月光書房 ・ 亥の刻 ・ 夜
この巻について
その古書店は、地図のどこにも載っていない。
ある晩、空の隅をひとすじの蒼い光が横切るとき——人は遠い昔から、それを「ミラ彗星」と呼んできた——路地のいちばん奥に、ぽつりと灯りがともる。木の看板には、ただ「月光書房」とだけある。扉を押せば、紙と埃と、少しだけ潮の匂い。朝になれば、店はもうそこにない。あったはずの場所には、古い塀と、片方だけ落ちた手袋が残っているきりだ。
わたしはその棚から、十二冊を借り受けた。
どれも作者がちがい、書かれた時代も、世界さえもちがう。恒星間をゆく船の底で記された手記があり、江戸の雨の夜にしたためられた覚え書きがあり、まだ存在しない国の地図の裏に走り書きされた物語もあった。たがいに何のかかわりもない——はずだった。
けれど、頁をめくるうちに気づく。どの空にも、同じ蒼い星が一度だけ尾を引く。どこかの卓に、三日月を刻んだ青いマッチ箱がそっと置かれている。そして、まるで申し合わせたように、だれかが同じ子守唄を口ずさむのだ。
「眠れ、眠れ、星が海をわたるまで」
それらが何を意味するのか、わたしは知らない。物語はそれぞれ自分の足で立っていて、答えを急かしはしない。ただ、十二の夜を続けて読みおえたとき、ひとつの大きな夜空を見上げていたような心地になる——それだけは、たしかだ。
どうか、好きな順に、好きな夜に。一冊ずつ、灯りのそばで。
そしてもし、あなたの窓の外を蒼い光がよぎったなら——そのときは、いちばん奥の路地を、のぞいてみるといい。