月光書房
申の刻 ・ 夕方 ・ 第 一 話

ラムネの玉の音

夕木 あかね
児童 ・ 約26頁

さよならは、駄菓子屋の軒先で、ラムネの玉の音といっしょにやってくる。

その日の空は、いつもの帰り道より、ずっと赤かった。

ぼくは校門を出るとき、ちょっとだけ立ちどまって、うしろをふり返った。校舎の窓が、まっすぐに夕日を受けて、金色に光っていた。四年二組の教室は三階のいちばん右で、そこだけ、まだ電気がついているみたいに明るかった。でも、電気はついていない。あれは、夕日の色だ。ぼくは知っていた。だってさっきまで、その光の中にいたのだから。

「ハルー、なにやってんの、いくよー」

先を歩くケンタが、坂の下でふり返って手をふった。ランドセルが、そのたびに肩の上ではねている。ケンタのランドセルは黒で、ぼくのは紺色で、ミオのは赤だ。三つのランドセルは、坂道の途中で、いつもばらばらの高さで揺れていた。

「いま、いくって」

ぼくは走った。坂道を、ランドセルを鳴らしながら。中で筆箱が、かたかたと踊る。給食のときに飲みそこねた牛乳のことを、ちょっと思い出す。でも、いまはそんなことより、この坂を下りきったところに、ミオがまだいるかどうかが大事だった。

ミオは、いた。

坂の下の、電信柱のところで、ミオはこっちを見ていた。ぼくとケンタが下りてくるのを、ちゃんと待っていてくれた。赤いランドセルを背負って、右手には、いつもの黄色い手さげぶくろ。習字の道具が入っていて、歩くたびに、すみのにおいが、ふわっとする。

「おそーい」

ミオが言った。でも、ちっとも怒っていない顔で。ミオは怒った顔をするのがへただった。口をとがらせても、目のはしがすぐに笑ってしまうのだ。

「ハルが、校門でぼーっとしてたから」ケンタがぼくを指さした。

「ぼーっとしてない。空、見てただけ」

「空?」

「うん。今日、やけに赤いなって」

三人で、そろって空を見た。

ほんとうに、赤かった。ぼくらの町の西のほうに、低い山なみがあって、その上の空が、ちょうど火事みたいに燃えていた。でも、こわい火事じゃなくて、あったかい火事だ。オレンジと、それから赤と、いちばん高いところは、まだ少し青が残っていて、その青が、だんだん、うすい紫みたいになっていくところだった。雲は、ちぎった綿あめみたいに、ぷかぷか浮いて、そのふちだけが、金色にふちどられていた。

「わたあめの雲だ」とミオが言った。

「食べたい」とケンタが言った。

「食べたら口が空になるよ、雲だから」

「なにそれ」

ぼくらは笑った。なんでもないことで、よく笑った。四年生の帰り道は、なんでもないことで笑えるように、できていた。

坂を下りきると、川ぞいの道に出る。

小さな川で、名前も、たぶんちゃんとあるんだろうけど、ぼくらは「ザリガニ川」と呼んでいた。夏になると、ここでザリガニがとれるからだ。いまはもう夏じゃないから、ザリガニはどこかにかくれていて、川面には、赤い空がそのまま映って、ゆらゆら揺れていた。

「川も赤いね」ミオが、手すりから身をのりだして言った。

「空が映ってるから」

「知ってる。でも、川が赤いと、なんか、ちがう川みたい」

ぼくは、ミオのとなりに立って、おなじように川をのぞきこんだ。水面に、ぼくとミオの影が、黒く映っていた。長い影だった。夕方の影は、朝や昼の影より、ずっと長くのびる。ぼくらの体の何倍もある影が、川の上に、細く、細く、のびていた。

「影法師がさ」とケンタが、川に石を投げながら言った。「夕方になると、のびるの、なんでか知ってる?」

「なんで?」

「太陽が、ひくいところにあるからだよ。ななめから光があたると、影が長くなるんだ。うちのお父さんが言ってた」

「ふうん」

ミオは、自分の影をじっと見ていた。手を上げると、川の上の影も、手を上げた。ぴょんと跳ねると、影も跳ねた。ミオは、しばらく、自分の影と遊んでいた。

「影ってさ」とミオが言った。「自分にくっついてるのに、自分じゃないみたいで、へんだね」

ぼくは、なんて答えたらいいか、わからなかった。だから、ぼくも自分の影を見た。ぼくの影は、ミオの影よりちょっと背が高くて、頭のところで、ランドセルのかたちが、こぶみたいにふくらんでいた。

「ぼくの影、ランドセルのせいで、せむしみたいだ」

「せむしってなに」

「背中がまるいこと」

「ハルの影、かめみたい」

「かめじゃない」

また笑った。

ぼくらは、川ぞいの道を、影といっしょに、歩いた。夕日を、うしろから、あびて、歩くと、影が、いつも、ぼくらの、前を、いく。まるで、影のほうが、さきに、家に、帰ろうとしているみたいに。ぼくは、じぶんの影を、追いかけるみたいに、歩いた。でも、どんなに、はやく、歩いても、影は、いつも、ぼくの、ちょっとだけ、さきに、いた。

「影って、いつも、さきに、いくね」ぼくは、言った。

「そりゃ、影だもん」ケンタが言った。「太陽が、うしろにあるんだから、影は、前に、できるにきまってる」

「そうじゃなくて」ぼくは、うまく、言えなかった。「なんか、影のほうが、はやく、帰りたがってるみたいで」

「へんなこと、言うなあ、ハルは」

でも、ミオは、笑わなかった。ミオは、じぶんの影を、じっと、見て、それから、こう、言った。

「影も、おうちに、帰るのかな」

「え?」

「夕方になると、影、長くなるでしょ。あれ、ほんとは、影が、遠くの、おうちに、帰ろうとして、のびてるんじゃないかな。手を、うんと、のばして。ここから、見えない、遠くの、おうちに、とどこうとして」

ぼくは、その、はなしを、聞いて、なんだか、むねが、しんとした。

そんなふうに、かんがえたこと、なかった。でも、ミオが、そう言うと、ほんとうに、影が、遠くの、どこかへ、帰りたがって、うんと、のびているみたいに、見えてきた。夕方の、長い、影法師は、みんな、それぞれの、帰る場所へ、むかって、手を、のばしているんだ。

そのとき、ぼくは、まだ、知らなかった。ミオの影が、その日、いちばん、遠くの、帰る場所へ、手を、のばしていたことを。

石を投げおわったケンタが、こっちに来て、「ねえ、駄菓子屋、寄ってく?」と言った。

寄ってく、というのは、ぼくらの帰り道の、いちばん大事なところだ。ザリガニ川ぞいを少し行くと、「たまや」という古い駄菓子屋がある。おばあさんが一人でやっている店で、間口はせまくて、ガラスの引き戸には、色のさめたポスターがべたべた貼ってあって、中には、たぶん、ぼくらのお父さんやお母さんが子どものころからあるような、古いお菓子が、いっぱい並んでいる。

「よってく」ぼくとミオが、同時に言った。

たまやの引き戸を開けると、からから、と、乾いた音がする。

奥から、「はいよ」と、おばあさんの声がした。おばあさんはいつも、店の奥の、こたつみたいなところに座っていて、そこから出てこない。ぼくらが何を買うか、じっと見ているだけだ。でも、おこられたことは一度もない。

店の中は、外より暗くて、でも、なんだかあったかい。天井から、裸電球がひとつぶらさがっていて、それが、ぜんぶのお菓子を、うすいオレンジ色に染めていた。

ぼくは、いつものように、ラムネのびんを一本とった。ガラスのびんで、口のところに玉が入っているやつ。押しこむと、しゅわっと音がして、玉が下に落ちる。あの音が、ぼくは好きだった。

「わたし、これ」ミオは、麩菓子をとった。黒くて、ながくて、かじると、ぽろぽろこぼれる、あまいやつ。

「おれ、これとこれ」ケンタは、よくばりだから、あんず飴と、それから、あたりが出たらもう一本もらえる、当たりくじつきのソースせんべいを両方とった。

ぼくらは、それぞれ、十円玉や五十円玉を、おばあさんの前の、ちいさなおぼんに置いた。おばあさんは、それを、しわしわの手で、ゆっくりかぞえて、「はい、おつり」と、いくつか玉をもどしてくれる。その手つきが、ぼくは、なぜだか、見ているのがすきだった。いそがない手だった。

外に出て、ぼくは、ラムネのびんを押しこんだ。

しゅわっ。

玉が落ちて、あわが、口のところまでのぼってくる。ひとくち飲むと、つめたくて、あまくて、すこし、鼻のおくが、つんとした。

「あー、うまい」

「ハルはいつもラムネだね」ミオが、麩菓子をかじりながら言った。ぽろぽろと、黒いかけらが、道にこぼれる。

「だって、あの玉の音がすきなんだもん」

「音?」

「うん。しゅわって落ちる音」

「ふうん。ハルって、へんなとこにこだわるね」

ミオは、そう言って、笑った。麩菓子のかけらが、口のはしについていた。ぼくは、それを、なんとなく、ずっとおぼえておこうと思った。なんでかは、わからない。ただ、夕方の光の中で、ミオが麩菓子をかじって笑っている、それが、なんだか、とても、とっておきたい絵みたいに見えたのだ。

その理由を、ぼくは、あとになって知ることになる。

ぼくらは、たまやの、軒先の、コンクリートの、だんに、こしかけて、お菓子を、たべた。だんは、まだ、ひるまの、ひざしの、あたたかさが、のこっていて、おしりが、ぬくかった。おばあさんの店の、裸電球の、あかりが、引き戸の、ガラスごしに、ぼくらの、せなかを、うすく、てらしていた。

「たまやのおばあちゃんも、ずっと、ここに、いるよね」ミオが、ラムネの、ないぼくの手もとを、みながら、言った。

「そりゃ、店だもん」ケンタが、あんず飴を、なめながら、言った。

「わたしが、あかちゃんのころから、ずっと、ここに、あったんだよね、この店」ミオは、つづけた。「わたしが、大きくなっても、たぶん、ずっと、ここに、あるんだよね」

そのとき、ぼくは、気づかなかった。ミオが、「わたしが、大きくなっても」と、言ったとき、その、「ここ」に、じぶんは、もう、いないってことを、ミオは、わかって、言っていたんだってことに。ミオは、この店が、ずっと、ここに、あることを、たしかめたかったんだ。じぶんが、いなくなっても、この場所は、かわらずに、ここに、あるってことを。

「あるよ、ずっと」ぼくは、なにも、かんがえずに、言った。「たまやは、ずっと、ここに、あるよ」

ミオは、うなずいて、それから、ちいさく、わらった。そのわらいが、なんだか、いつもと、ちがうことに、ぼくは、そのとき、気づけなかった。

分かれ道

ザリガニ川ぞいの道は、大きなイチョウの木のところで、三つに分かれる。

まっすぐ行くと、ケンタの家のほうへ。左に折れると、ミオの家のほうへ。そして右に折れて、ちょっと登ると、ぼくの家だ。だから、このイチョウの木の下が、ぼくらの「分かれ道」だった。

毎日、ここで、ぼくらは別れる。

「じゃあ、またあした」

そう言って、ケンタはまっすぐ、ミオは左、ぼくは右へ。三つのランドセルが、三つの方向へ、ばらばらに揺れていく。それが、ぼくらの毎日のおわりだった。「またあした」は、明日もまた、ここで会えるという、約束みたいな言葉だった。

イチョウの木は、もう、だいぶ葉っぱが黄色くなっていた。落ちた葉っぱが、道のはしに、金色にたまっていて、風がふくと、かさかさと鳴った。夕日が、イチョウの葉のあいだから、こぼれるみたいに、ぼくらの足もとに、まだらな光を落としていた。

いつもなら、ここで、「じゃあ、またあした」と言って、別れる。

でも、その日は、ちがった。

ケンタが、まっすぐ行かないで、立ちどまっていた。ミオも、左に折れないで、立ちどまっていた。ぼくも、右に行かないで、立ちどまっていた。

三人とも、なんとなく、わかっていたのだ。

今日は、「またあした」じゃないってことを。

だって、ミオは、あした、この町にいない。

ミオが転校することは、一週間まえに、先生から聞いた。

朝の会のときだった。先生が、「みんなに、たいせつなお知らせがあります」と言って、それから、ミオの名前を言った。ミオのお父さんの仕事の都合で、遠くの町へ引っこすことになった、と。三月まで待たずに、六月のおわりに、行ってしまう、と。

教室が、しんとなった。

ミオは、自分の席で、下をむいていた。ぼくは、ミオのななめうしろの席だったから、ミオの、うなじのあたりしか見えなかった。でも、ミオの肩が、ちょっとだけ、ふるえているのが、わかった。

そのあと、みんなで、寄せ書きを書いた。色紙に、ひとりずつ、なにか書くやつだ。ぼくは、なにを書いたらいいか、ぜんぜん、わからなかった。「元気でね」とか、「またあおうね」とか、みんなが書きそうなことは、書きたくなかった。かといって、うまいことも、思いつかなかった。

けっきょく、ぼくは、色紙のはしっこの、ちいさなすきまに、こう書いた。

「ラムネの玉の音、わすれないで」

書いてから、なんてへんなことを書いたんだろう、と思った。ミオは、これを読んで、なんのことだかわからないだろう。でも、消せなかった。ペンで書いてしまったから。それに、なんとなく、これが、ぼくのいちばん言いたいことのような気が、していた。

イチョウの木の下で、ぼくらは、しばらく、なにも言わなかった。

夕日が、じりじりと、山のほうへ沈んでいく。空の赤が、さっきより、もっとふかくなって、いちばん高いところの青が、だんだん、藍色みたいに、こくなっていく。あたりの影が、ぜんぶ、長くのびて、ぼくらの三つの影も、地面に、細く、長く、のびていた。三つの影は、分かれ道のところで、まだ、いっしょにいた。

「あのさ」

さいしょに口をひらいたのは、ケンタだった。ケンタは、いつも、いちばんはじめに、しゃべる。

「ミオ、ほんとに、行っちゃうの?」

「うん」ミオが、うなずいた。「あした、朝の、はやい電車で」

「ふうん」

ケンタは、それだけ言って、また、だまった。あんず飴のぼうを、くるくる回していた。ケンタも、なにを言ったらいいか、わからないんだ、と、ぼくは思った。

ぼくは、ラムネのびんを、ぎゅっと、にぎった。ガラスが、つめたくて、手のひらに、汗をかいていた。

「電車、なんじの?」ぼくは、きいた。

「六時、四十五分」

「はやいね」

「うん。ほんとは、もっと、ゆっくり行きたいけど」

「そっか」

また、しずかになった。イチョウの葉が、風に、かさかさと鳴った。どこか遠くで、カラスが鳴いた。夕方のカラスの声は、なんだか、さびしい。あれは、カラスが、自分のねぐらへ、帰るための声なんだ、と、いつか、ケンタのお父さんが言っていた。

みんな、帰るんだ、と、ぼくは思った。

カラスも、ねぐらへ帰る。ケンタも、ミオも、ぼくも、それぞれの家へ帰る。夕方は、みんなが、帰る時間だ。

でも、ミオは、あした、いつもの家じゃなくて、ずっと遠くの、まだ見たこともない町へ、帰っていく。もう、この分かれ道に、もどってこない。

そう思ったら、ぼくは、なんだか、むねのおくが、ぎゅうっと、いたくなった。ラムネのあわが、のこったみたいに、つんと、きた。

手袋

「これ」

とつぜん、ミオが、手さげぶくろの中を、ごそごそさがして、なにかを、とりだした。

手袋だった。

赤い、毛糸の手袋。ミオのお母さんが、あんでくれたんだ、と、ミオは、まえに、じまんしていた。手のこうのところに、白い雪のもようが、あんでこんであって、ミオの、いちばんのお気にいりだった。冬のあいだ、ミオは、いつも、この手袋をしていた。

でも、いまは、六月だ。手袋なんて、いらない。

「なんで、手袋?」ケンタが、きょとんとして言った。

「あのね」ミオは、その手袋を、両手で、そっと、もっていた。「これ、あげる」

「え?」ぼくと、ケンタは、同時に、声を出した。

「片っぽだけ」

ミオは、二つの手袋のうち、右手のほうを、ぼくに、さしだした。

「ハルに、片っぽ」

ぼくは、わけがわからなくて、ミオの顔と、手袋を、かわるがわる、見た。

「片っぽだけ、もらっても、こまるだろ」ケンタが言った。「手袋は、両手、あるから、手袋なんだよ」

「ちがうの」ミオは、首を、ふった。「両方あげたら、それは、ただの手袋でしょ。でも、片っぽずつ、もってたら」

ミオは、そこで、ちょっと、ことばを、さがした。夕日が、ミオの顔を、赤く、そめていた。ミオの目のふちが、光っていた。それが、夕日のせいなのか、そうじゃないのか、ぼくには、わからなかった。

「片っぽずつ、もってたら、いつか、また、あわせられるでしょ」

しん、とした。

「わたしが、右。ハルが、左。……ちがう、ハルが、右で、わたしが、左。えっと」

ミオは、あわてて、言いなおした。目のふちが、もう、ぜんぜん、かくせないくらい、光っていた。

「どっちでもいいの。片っぽずつ、もってれば、いつか、また、ここで、あわせられる。そしたら、また、両手の手袋に、なるでしょ。だから」

だから、これは、さよなら、じゃない。

ミオは、そう、言いたかったんだ、と、ぼくは、わかった。

片っぽずつ、手袋をもっていれば、いつか、また、あわせるために、会わなくちゃいけない。会わなくちゃいけないなら、それは、ずっとのさよならじゃ、ない。

ぼくは、右手の手袋を、うけとった。

赤い、毛糸の、右手の手袋。まだ、ミオのぬくもりが、のこっているような気がした。でも、それは、たぶん、ぼくの、気のせいだった。だって、六月だもの。手袋は、ずっと、手さげぶくろの中で、ひんやり、していたはずだ。

「じゃあ、ケンタは?」ぼくが、きいた。

ミオは、ちょっと、こまった顔をした。手袋は、二つしか、ない。右と、左。片っぽずつ、分けたら、もう、ケンタの分は、ない。

「ケンタには」ミオは、また、手さげぶくろを、さがして、こんどは、ちいさな、青いものを、とりだした。

「これ」

青い、マッチ箱だった。

「なにそれ」ケンタが、その青い箱を、うけとって、まじまじと、見た。

ちいさな、四角い箱。ぜんたいが、ふかい、青。夜の空みたいな、青だった。ふたのところに、金色で、なにか、字が、書いてあった。

「げっ……こう……どう?」ケンタが、たどたどしく、読んだ。「月光堂?」

「うん。月光堂の、マッチ箱」

「どこで、もらったの、こんなの」

「あのね」ミオは、すこし、こえを、ひそめた。まるで、ないしょばなしをするみたいに。「このまえ、夜に、おばあちゃんちに、とまったとき。トイレに、おきて、まどから、外を見たら、ね」

ミオは、そこで、ぼくと、ケンタの顔を、かわるがわる、見た。ぼくらが、ちゃんと、聞いているか、たしかめるみたいに。

「いつもは、なんにもない、はらっぱのところに、ちいさな、お店が、あったの。ふるい、ほんやさん。まどから、あかりが、もれてて」

「ほんやさん?」

「うん。かんばんに、月光書房って、書いてあった。おばあちゃんに、あくる朝、きいたら、そんなお店、ないよって。でも、たしかに、あったの。夜だけ。朝には、なくなってた」

ぼくは、ぞくっと、した。こわい、というのとは、ちがう。なんだか、ふしぎな、はなしだった。夜だけ、あらわれて、朝には、消えてしまう、ほんやさん。

「そのお店の、まえに、この、マッチ箱が、ひとつ、おちてたの。だから、ひろった。月光堂って、書いてあるから、たぶん、そのお店の、なにかだと、思う」

「もらっちゃって、いいの?」

「いいよ。だって、おちてたんだもん。それに」

ミオは、ケンタを、見た。

「ケンタ、まえに、言ってたでしょ。くらいの、こわいって。だから、マッチ、あげる。くらくなったら、これで、あかりを、つけられるように」

ケンタは、青い、マッチ箱を、ぎゅっと、にぎった。

「おれ、べつに、くらいの、こわくないし」

でも、ケンタの、こえは、ちょっと、ふるえていた。ケンタは、ほんとうは、くらいのが、こわいのだ。そのことを、ミオは、おぼえていて、それで、この、マッチ箱を、えらんだんだ。

ぼくは、右手の手袋を、みて、それから、ケンタの、青いマッチ箱を、みた。

ミオは、ちゃんと、かんがえていたんだ、と、ぼくは、思った。ぼくには、音のこと。ケンタには、あかりのこと。ぼくらの、いちばん、たいせつにしているものを、ミオは、ちゃんと、おぼえていて、それに、あわせて、わかれの、おくりものを、えらんでくれた。

ぼくは、ミオが、そういう子だってことを、いままで、あんまり、ちゃんと、わかっていなかった。毎日、いっしょに、帰っていたのに。分かれ道で、毎日、「またあした」って、言っていたのに。

いっしょにいる時間が、たくさん、あると、かえって、そういうことに、気づかないのかもしれない。おわりが、近づいて、はじめて、気づく。

そう思ったら、ぼくは、ますます、むねが、いたくなった。

一番星

空が、藍色に、なりはじめていた。

さっきまで、火事みたいに、燃えていた西の空も、いまは、山のふちのところだけが、まだ、朱色で、その上は、もう、ふかい、藍色だった。町のあかりが、ひとつ、ふたつと、ともりはじめていた。だれかの家の、まどに、あかりがつくと、ああ、あの家も、だれかが、帰ってきたんだな、と、思った。

「あ」

さいしょに、気づいたのは、ミオだった。

「見て、あそこ。星」

ミオが、ゆびさした、そのさきを、ぼくと、ケンタは、見あげた。

まだ、あかるさの、のこった、藍色の空。そのなかに、ひとつだけ、星が、光っていた。西の、山のうえ。ほかの星は、まだ、ひとつも、出ていない。いちばんはじめの、いちばん、明るい星。

「一番星だ」ケンタが言った。「ゆうべの、一番星」

でも、その星は、ぼくが、いままで、見たことのある、どの一番星とも、ちがっていた。

ふつうの一番星は、金色か、白っぽく、光る。でも、その星は、青かった。それも、ただの青じゃない。すきとおった、蒼い色。夜のはじまりの、藍色の空の中で、その星だけが、つめたく、蒼く、光っていた。

そして、その星には、しっぽが、あった。

「あれ、しっぽ、ある」ぼくは、言った。

「ほんとだ」ミオが、目を、こらした。「ながい、しっぽ」

星から、うすく、蒼い、しっぽが、すうっと、のびていた。夕やけの、のこった、朱色の空に、その蒼い光が、すじを、ひいていた。まるで、だれかが、夜のはじまりの空に、青いえのぐで、一本、線を、ひいたみたいだった。

「あれ、なに?」ケンタが、こわごわ、言った。「星に、しっぽなんて、あるっけ」

「ほうきぼしだ」ぼくは、言った。「しっぽのある星は、ほうきぼしっていうんだ。図書室の、本で、見た」

「ほうきぼし……」

三人で、しばらく、その、蒼い星を、見あげていた。

ふしぎと、こわくは、なかった。あんなに、遠くの、へんな星なのに。ただ、きれいで、そして、なんだか、さびしかった。夕やけの、おわりの空に、たったひとつ、蒼く、しっぽを、ひいて、あらわれた星。それは、ぼくらの、いまの、きもちに、よく、にていた。

「あの星、どこに、いくんだろう」ミオが、ぽつり、と、言った。

「どこにも、いかないよ。星だから」ケンタが言った。

「ううん」ミオは、首を、ふった。「ほうきぼしは、うごくんでしょ。空を、わたって、どこかへ、いくんだよ。きっと」

ぼくは、はっとした。

そういえば、いつか、おばあちゃんが、うたってくれた、子もりうたが、あった。ねる前に、いつも、うたってくれた、うただ。

眠れ、眠れ、
星が海をわたるまで。

そんな、うただった。星が、海を、わたる。ぼくは、こどものころ、その、うたの、いみが、わからなかった。星は、空にあるのに、どうして、海を、わたるんだろう、と。

でも、いま、この、蒼い、しっぽの星を、見ていたら、なんとなく、わかるような、気が、した。

あの星も、きっと、どこかへ、帰るんだ。

長い、長い、旅をして。海のように、ひろい、くらい空を、わたって。ずっと、遠くの、自分の、帰る場所へ。カラスが、ねぐらに帰るみたいに。ぼくらが、家に帰るみたいに。ミオが、あたらしい町に、帰っていくみたいに。

みんな、帰るんだ。

「あの星も、帰るんだよ、きっと」ぼくは、言った。

「帰る?」

「うん。ずっと、遠くの、自分のところに。だから、いま、いそいで、空を、わたってるんだ。しっぽ、ひいて」

ミオは、その、蒼い星を、じっと、見あげた。それから、ちいさな、こえで、言った。

「わたしも、あの星みたいに、なるのかな」

ぼくは、ミオの顔を、見た。ミオの、よこがおが、藍色の空を、せおって、うっすら、青く、見えた。

「あした、電車に、のって、遠くに、いって。しっぽ、ひいて、帰って。そしたら、みんな、わたしのこと、あの星みたいに、見あげるのかな。ああ、あそこに、ミオが、いたなあ、って」

「そんなこと、ないよ」ぼくは、いそいで、言った。

でも、うまく、つづきが、言えなかった。だって、ほんとうは、ぼくも、そう、思っていたから。ミオが、いなくなったら、ぼくは、きっと、この、分かれ道に、くるたびに、空を、見あげて、ああ、ここに、ミオが、いたなあ、と、思うんだろう。あの、蒼い星を、見あげるみたいに。

星は、ゆっくりと、動いているようにも、見えたし、動いていないようにも、見えた。

でも、そのあいだにも、空は、どんどん、くらくなっていった。朱色の、山のふちも、もう、ほとんど、消えて、あたりは、ぜんぶ、藍色に、しずんでいた。ぼくらの、三つの影は、もう、地面から、消えてしまっていた。影は、あかるいところに、しか、できない。くらくなると、影は、いなくなる。

それは、なんだか、さびしいことのように、思えた。

さっきまで、川の上で、ぼくらといっしょに、あそんでいた、あの、長い影法師たちは、いま、どこへ、いってしまったんだろう。

「もう、帰らないと」

そう言ったのは、ミオだった。

「お母さんが、はやく帰ってきなさいって。あした、はやいから」

「うん」ぼくは、うなずいた。

「うん」ケンタも、うなずいた。

でも、だれも、うごかなかった。

イチョウの木の下で、ぼくらは、まだ、立っていた。分かれ道の、まんなかで。まっすぐと、左と、右の、三つの道が、ぼくらの前で、口を、あけて、まっていた。それぞれの、帰る道が。

いつもなら、「じゃあ、またあした」で、いい。

でも、今日は、「またあした」じゃ、ない。

「またあした」の、かわりに、なにを、言えばいいのか、ぼくには、わからなかった。ケンタにも、わからないみたいだった。ミオにも、わからないみたいだった。

だから、ぼくらは、ただ、だまって、立っていた。

イチョウの葉が、風に、かさかさと、鳴った。

またあした

さいごに、ぼくは、ラムネの、びんを、見た。

まだ、すこし、のこっていた。ぼくは、それを、ぐっと、のみほした。しゅわしゅわと、あわが、のどを、とおって、いって、さいごに、びんの中で、玉が、からん、と、鳴った。

その音を、聞いたら、ぼくは、色紙に書いた、じぶんの字を、思い出した。

「ラムネの玉の音、わすれないで」

ぼくは、あのとき、なんで、あんなことを、書いたのか、いまなら、わかる。

ぼくは、ミオに、おぼえていてほしかったんだ。この、帰り道のことを。駄菓子屋の、たまやのことを。ラムネの、玉の、しゅわっと落ちる音のことを。麩菓子を、かじる、音のことを。ザリガニ川に、映った、赤い空のことを。長く、のびた、ぼくらの、影法師のことを。分かれ道の、イチョウの木のことを。

ぜんぶ。

ぜんぶ、おぼえていてほしかった。

ミオが、遠くの町に、いって、あたらしい、ともだちが、できても、あたらしい、帰り道が、できても、この、ぼくらの、帰り道のことを、ときどきでいいから、思い出してほしかった。

「ミオ」ぼくは、言った。

「なに」

ぼくは、ラムネの、からびんを、ミオに、さしだした。

「これ、あげる」

「え、びん?」ミオが、きょとんと、した。

「うん。ラムネの、びん。もう、からっぽだけど。でも、これ、ふると、玉が、鳴るから」

ぼくは、びんを、ふって、みせた。からん、からん、と、ガラスの中で、玉が、鳴った。

「くらくなって、さびしくなったら、これ、ふって。そしたら、ぼくらの、帰り道の音、思い出せるから」

ミオは、その、からびんを、うけとった。両手で、そっと。そして、ふった。

からん、からん。

夕やみの中で、その音は、なんだか、とても、すんで、聞こえた。

ミオの目から、とうとう、なみだが、こぼれた。ぽろぽろと、麩菓子の、かけらみたいに、こぼれた。ミオは、それを、赤いランドセルの、肩ひもで、ぐいっと、ふいた。でも、また、こぼれた。

「ずるいよ、ハル」ミオは、なきながら、言った。「そんなの、もらったら、わたし、わすれられないじゃん」

「わすれなくて、いいんだよ」ぼくは、言った。

じぶんの、こえが、ふるえているのが、わかった。

「わすれなくて、いいんだ。わすれたら、こまるんだ。ぼく、ミオに、わすれてほしくなくて、あの色紙に、あんなこと、書いたんだから」

「知ってる」ミオは、なきながら、笑った。「ラムネの玉の音、わすれないで、でしょ。あれ、読んだとき、なんのことか、ぜんぜん、わかんなかった。でも、いま、わかった」

ケンタも、めを、あかくしていた。ケンタは、なくのを、こらえて、そらを、見あげていた。あの、蒼い、一番星を。ケンタは、なきそうになると、いつも、うえを、むく。なみだが、こぼれないように。ぼくは、それを、知っていた。ぼくらは、みんな、おたがいの、そういうことを、知っていた。四年間、おなじ、帰り道を、帰ってきたから。

「じゃあ」

ミオが、言った。からびんを、ぎゅっと、むねに、だいて。

「じゃあ、また、あした」

ぼくは、はっと、した。

「あした」なんて、ないのに。ミオは、あした、いないのに。

でも、ミオは、なきながら、わらって、もう一度、言った。

「また、あした。ぜったい、また、あした」

そして、ぼくは、わかった。

「またあした」は、明日、ほんとうに、会えるっていう、意味じゃ、なくても、いいんだ。それは、いつか、また、会おうっていう、やくそくの、ことばなんだ。片っぽの手袋を、あわせるみたいに。いつか、また。

「うん」ぼくは、うなずいた。「また、あした」

「また、あしたな」ケンタも、そらを、むいたまま、言った。こえが、すこし、つまっていた。

そうして、ぼくらは、別れた。

いつものように。三つの、道に、わかれて。

ケンタは、まっすぐ。ミオは、左。ぼくは、右。

でも、いつもと、ちがったのは、ぼくらが、なんども、なんども、ふり返ったことだ。

ぼくは、右の道を、のぼりながら、なんども、うしろを、見た。ミオが、左の道を、いくのが、見えた。赤いランドセルが、夕やみの中で、だんだん、ちいさく、なっていった。ミオも、なんども、ふり返って、手を、ふった。ぼくも、手を、ふった。右手を。ミオの、くれた、赤い手袋を、にぎった、右手を。

ケンタは、まっすぐな、道の、ずっとむこうで、青いマッチ箱を、たかく、かかげて、ふっていた。まるで、あかりを、ともすみたいに。くらくても、こわくないぞ、と、言うみたいに。

三つの影は、もう、なかった。くらくて、影は、できなかった。

でも、ぼくには、見えるような、気がした。

まっすぐと、左と、右の、三つの道を、いく、ぼくらの、三つの影が、まだ、分かれ道のところで、手を、つないだまま、のこっているような、気が。

家に、ついて、ぼくは、ランドセルを、おろした。

そして、ポケットから、赤い手袋を、とりだして、つくえの上に、おいた。

右手の、手袋。手のこうに、白い、雪のもよう。ミオの、いちばんの、お気にいり。

いま、ミオの手さげぶくろの中には、左手の、手袋だけが、はいっている。ぼくの、つくえの上には、右手の、手袋だけが、ある。

片っぽずつ。

いつか、また、あわせるために。

ぼくは、まどを、あけて、そらを、見た。

もう、すっかり、夜だった。空には、たくさんの、星が、出ていた。でも、ぼくは、あの、蒼い、一番星を、さがした。しっぽの、ある星を。

いた。

まだ、いた。ほかの、たくさんの星の、いちばん西の、はしっこに、あの星は、まだ、蒼く、しっぽを、ひいて、光っていた。ゆっくり、ゆっくり、空を、わたって、いくところだった。ずっと、遠くの、自分の、帰る場所へ。

ぼくは、その星に、むかって、ちいさく、手を、ふった。

いってらっしゃい、と、こころの中で、言った。ぶじに、帰れますように、と。

それから、ぼくは、思った。あの星は、また、いつか、もどってくるのかな、と。ほうきぼしは、長い、長い、旅をして、でも、また、いつか、おなじ空に、もどってくる、って、図書室の本に、書いてあった。何十年も、かかるけど、でも、ぜったい、もどってくる、って。

だったら、ミオも、きっと、もどってくる。

ぼくは、そう、思った。

いつか。何年、かかっても。あの、蒼い星が、また、この空に、もどってくるみたいに。ミオも、また、この、分かれ道に、もどってくる。そして、そのとき、ぼくらは、片っぽずつの、手袋を、あわせる。右と、左を。そしたら、また、両手の手袋に、なる。

ぼくは、赤い手袋を、そっと、手に、はめてみた。

六月の、あたたかい、よるだった。手袋なんて、いらない、よるだった。汗ばむくらいの、よる。でも、ぼくは、その、右手の手袋を、はめたまま、しばらく、まどの外の、蒼い星を、見ていた。

手のひらの中が、ほんのり、あたたかかった。

それは、毛糸の、あたたかさだったのか、それとも、ミオの、のこした、なにかの、あたたかさだったのか、ぼくには、わからなかった。

つぎの日の朝、ぼくは、いつもより、はやく、目が、さめた。

まどの外は、まだ、うすぐらかった。時計を、見たら、六時、四十分だった。

ミオの電車は、六時、四十五分。

ぼくは、あわてて、まどを、あけた。ぼくの家は、坂の上に、あるから、まどから、遠くの、駅のほうが、すこし、見える。もちろん、ミオの、すがたなんて、見えない。ホームも、電車も、ちいさすぎて、見えない。

でも、ぼくは、そっちを、見た。

そして、六時、四十五分に、なったとき、ぼくは、右手の手袋を、はめた手を、まどの外に、つきだして、大きく、大きく、ふった。

だれも、見ていない、あいさつ。だれにも、とどかない、さよなら。

でも、ぼくは、ふった。ミオの、のった電車が、この町を、はなれて、遠くへ、いくのを、見おくるみたいに。

そのとき、ちょうど、東の空から、朝日が、のぼって、ぼくの、右手の、赤い手袋を、金色に、そめた。

ぼくは、思った。

いま、ミオも、電車の、まどから、この町を、見ているかもしれない。そして、坂の上の、ぼくの家を、さがしているかもしれない。ぼくの、まどを。ぼくの、ふる手を。

見えなくても、いい。

とどかなくても、いい。

ぼくらは、片っぽずつ、手袋を、もっている。だから、これは、さよならじゃ、ない。

「またあした」だ。

いつか、の、あした。何年、かかっても、また、あわせるための、あした。

学校で、ミオの席は、からっぽに、なった。

ミオの、机と、いすは、しばらく、そのまま、のこっていた。だれも、そこに、すわらなかった。給食のとき、ミオの分の、牛乳が、まちがって、くばられて、みんな、しんとなった。先生が、「ハルくん、のむ?」と、言って、ぼくは、それを、のんだ。ちょっと、しょっぱい、牛乳だった。

ケンタは、あいかわらず、だった。休みじかんに、あばれて、先生に、おこられて。でも、ぼくは、知っていた。ケンタの、ポケットの中に、いつも、あの、青いマッチ箱が、はいっていることを。ケンタは、それを、まもりみたいに、いつも、もっていた。くらいのが、こわいときに、それを、にぎると、こわくなくなるんだ、と、あるとき、こっそり、おしえてくれた。

「でも、まだ、いっかいも、火は、つけてない」ケンタは、言った。「もったいないから。ミオが、くれたやつだから」

ぼくらの、帰り道は、二人に、なった。

分かれ道で、ケンタは、まっすぐ。ぼくは、右。ミオの、左の道には、もう、だれも、いかない。でも、ぼくらは、なんとなく、その、左の道のほうを、いつも、ちらっと、見てから、別れた。まるで、そこに、まだ、ミオが、いるみたいに。

「じゃあ、またあした」

ぼくらは、いまも、そう言って、別れる。

その、「またあした」の中には、ケンタと、ぼくの、明日の分と、それから、ミオの、いつかの、明日の分も、はいっている。ぼくは、そう、おもうことにしている。

いつか

それから、ずいぶん、たった。

ぼくは、もう、あのころの、小学生じゃ、ない。ずっと、大きく、なった。あの、紺色のランドセルも、とっくに、しまいこんで、どこかの、おしいれの、おくに、ある。ザリガニ川の、たまやは、おばあさんが、としを、とって、もう、しまってしまった。ガラスの引き戸には、いまも、色のさめた、ポスターが、貼ってあるけど、中は、からっぽだ。

ケンタとは、いまも、たまに、会う。ケンタは、もう、くらいのを、こわがったりしない。でも、あの、青いマッチ箱は、いまも、もっている、と、言っていた。「まもりみたいなもんだよ」と、てれくさそうに。

ミオとは、あれから、いちども、会って、いない。

さいしょのうちは、手がみを、やりとりした。ミオの、あたらしい町の、はなし。ぼくらの、町の、はなし。でも、だんだん、手がみは、へって、そのうち、とだえた。ミオが、いま、どこで、なにを、しているのか、ぼくは、知らない。

でも、ぼくの、つくえの、いちばん上の、ひきだしには、いまも、あの、赤い手袋が、ある。

右手の、手袋。手のこうに、白い、雪のもよう。もう、ぼくの手には、ちいさすぎて、はまらない。毛糸は、すこし、色が、あせて、けばだって、いる。それでも、ぼくは、それを、すてられない。

だって、これは、片っぽだから。

どこか、遠くの町で、ミオも、まだ、左手の、手袋を、もっている、かもしれない。すてて、いない、かもしれない。そして、ときどき、それを、見て、あの、夕やけの、分かれ道のことを、思い出している、かもしれない。ラムネの、玉の音のことを。麩菓子の、あまさのことを。あの、蒼い、しっぽの星のことを。

ぼくは、いまでも、ときどき、ゆうがた、そらを、見あげる。

とくに、西の空が、火事みたいに、赤く、燃えて、そのいちばん高いところが、藍色に、なっていくころ。ぼくは、あの、蒼い、一番星を、さがす。しっぽの、ある星を。ほうきぼしを。

もう、あれから、ずいぶん、たったから、そろそろ、あの星も、また、この空に、もどってくるころかもしれない。何十年も、かけて、長い、長い、旅をして。海のように、ひろい、くらい空を、わたって。そして、また、おなじ、夕やけの空に、蒼く、しっぽを、ひいて。

その星が、また、もどってきたら。

ぼくは、あの、分かれ道に、いってみようと、おもう。イチョウの木の下に。片っぽの、赤い手袋を、もって。

そして、そこで、まっているんだ。

もう一つの、手袋を、もった、だれかが、くるのを。

いつか。

きっと。

だって、ぼくらは、あのとき、ちゃんと、言ったんだから。さよなら、じゃなくて。

また、あした、と。

さよならは、駄菓子屋の軒先で、ラムネの玉の音といっしょにやってきた。でも、それは、おわりの音じゃなかった。片っぽずつ、わけあった、手袋のように、それは、いつか、また、あわせるための、はじまりの音だったのだと、いまなら、わかる。夕やけの空に、蒼くひかる一番星が、長い旅のはてに、きっと、この空へもどってくるように。

この物語にひそむ符牒

ほかの物語と、ひそかに分かち合っているもの:

  • 月光堂のマッチ
  • 子守唄
  • 月光書房
  • 片方の手袋

十二をつなぐ符牒について →

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