現像
現像
写真というものは、光がひとつの時間を掬(すく)い上げて、そのまま冷たく固めてしまう技(わざ)なのだと、わたしはずっと思っていた。だから写真は少し怖い。動いていたはずのものが動かなくなる。息をしていたはずのものが息を止める。けれど、あの一枚だけはちがった。あの一枚は、止まった時間の隅で、たしかにまだ息をしていた。
その日、わたしは相模(さがみ)の海に近い小さな駅で降りた。用があったわけではない。ただ、母の四十九日を終えて、家に帰る気になれなかっただけだ。喪服のままではさすがに気詰まりだったから、駅前の喫茶店で薄いコーヒーを一杯飲み、それから海の方へ歩いた。潮の匂いが、細い路地の奥からゆっくりと満ちてくる時刻だった。
法要のあいだじゅう、わたしはずっと、うまく涙が出てこないことに、うしろめたさを感じていた。親戚たちは、それぞれの流儀で泣いたり、悼(いた)んだり、久しぶりの再会に少しだけ声を弾ませたりした。読経(どきょう)が終わり、精進落(しょうじんお)としの膳(ぜん)が運ばれ、みなが箸(はし)をとるころには、母のことよりも、それぞれの暮らしのことに話が移っていった。それが薄情だとは思わない。人の死というのは、そうやって、生きている者の日々のなかへ、少しずつ薄まって溶けていくものなのだろう。ただ、わたしだけが、その膳のまえで、いつまでも箸をとれずにいた。母は、もうこの世のどこにもいない。その事実が、まだ、わたしの胸のなかで、かたちを結んでいなかった。
だから、家に帰りたくなかった。母のいない母の家に、たったひとりで座る気に、どうしてもなれなかった。それで、乗り換えの駅で、行きあたりばったりに、海のほうへ向かう電車に乗ってしまったのだ。窓の外を、田や畑が流れ、やがて松林(まつばやし)が現れ、その松の切れ間から、ときどき鈍(にぶ)く光る水面(みなも)が見えた。わたしは、どこで降りるとも決めずに、ただ、その光る水面のほうへ、引かれるように運ばれていった。
午後の五時を過ぎていた。
夏の名残(なごり)の日が、坂の上でようやく傾きはじめ、瓦屋根のひとつひとつに橙(だいだい)の縁(ふち)をつけていた。わたしは母の形見のカメラを首から提(さ)げていた。古いフィルムカメラで、蛇腹(じゃばら)こそないけれど、シャッターを切ると胸の奥に届くような硬い音がする。母が生きていたころ、これで何を撮っていたのか、わたしは知らない。知らないまま、火葬場からの帰りに、押し入れの奥からそれを見つけて、なんとなく持って出てきてしまった。
坂を下りきると、防波堤があった。
その向こうに、海が寝そべっていた。
海というより、それはもう空の一部のように見えた。
黄昏(たそがれ)というのはふしぎな時刻だ。昼のものが夜のものに変わっていく、その途中の色をぜんぶ抱えている。水平線のあたりはまだ残照の橙で、そこから頭上へと、桃色、藤(ふじ)色、そうしてわたしの真上あたりでは、もう深い藍(あい)が滲(にじ)みはじめていた。境目というものがどこにもなかった。海と空の境も、昼と夜の境も、すべてが溶けて、ひとつの大きな色のなかにわたしは立っていた。
こういう時刻を、祖母は「逢魔(おうま)が時(どき)」と呼んでいた。
――この時分にはね、外を歩くものじゃないよ。人か、人でないものか、見分けがつかなくなるからね。
幼いころ、そう言って祖母はわたしを家のなかへ入れた。手を引く祖母の掌(てのひら)は、いつも少しひんやりとしていた。そのひんやりを、わたしはこの歳になっても覚えている。人の掌の温度というのは、ふしぎと最後まで忘れないものらしい。
母の掌の温度も、わたしはまだ覚えていた。
病室でにぎった、あの、だんだんと熱を失っていった掌の。
母は、最後の半年ほどを、病院で過ごした。はじめのうちは、まだ話もできたし、笑いもした。わたしが仕事の帰りに立ち寄ると、母は決まって、「そんなに毎日来なくてもいいのに」と言った。けれど、その口ぶりのなかに、来てくれてうれしい、という色が、たしかに混じっていた。母は、そういう人だった。うれしいことを、まっすぐにうれしいとは言わない。少しだけ、そっぽを向くようにして、それを伝える人だった。
わたしは、そんな母の言いかたが、子どものころは苦手だった。もっと素直に、好きなら好きだと、言ってくれればいいのに、と思っていた。けれど、母がいなくなってみると、あの、少しそっぽを向くような言いかたのひとつひとつが、たまらなく恋しかった。人は、失ってはじめて、その人のいちばん癖のある部分を、いちばん深く懐かしむものらしい。
そうして、あの、片方の肩を少しだけ下げて立つ、母の立ちかたも。
わたしは防波堤に腰を下ろし、カメラを構えた。
撮ろうと思ったわけではない。ただ、この色を、この溶けていく境目のない色を、なにか手のなかに残しておきたかった。指がひとりでにピントを合わせ、指がひとりでにシャッターを押した。硬い音が、胸の奥で鳴った。
そのとき、水平線のすぐ上に、青いものがひとつ、灯(とも)った。
星だと思った。宵(よい)の明星(みょうじょう)にしては、色が青すぎた。金星なら、もっと金(こがね)に近い光を放つはずだ。それは氷を透(す)かしたような、澄んだ蒼(あお)い光で、暮れていく藍の空のいちばん低いところに、逢魔が時の徴(しるし)のように、ぽつりと、いちばんに昇っていた。
尾を引いているようにも見えた。
彗星(すいせい)だろうか、と思った。けれど、彗星が出るという話は聞いていなかった。わたしはそのころ、新聞もろくに読んでいなかった。母のことで、それどころではなかった。
蒼い星は、しばらくのあいだ、水平線の上に浮かんでいた。
わたしは、もう一度シャッターを切った。
その一枚が、あの一枚になった。
家に帰っても、しばらくはカメラのことを忘れていた。
四十九日を終えたといっても、片づけることは山のようにあった。母のものは、母が生きていたころのそのままの形で、家じゅうに残っていた。読みかけの本に挟まった栞(しおり)。飲みかけの薬の、飲む日にちを書いた小さな紙。台所の、母の背丈に合わせて低くしつらえられた棚。母がいなくなっても、家は母の形を覚えていた。家というのは、住む人のかたちに、少しずつ削(けず)られていくものらしい。母のいない母の家は、あちこちが母のかたちにへこんだまま、わたしを困らせた。
いちばん困ったのは、匂いだった。玄関を開けると、母の匂いがした。母の使っていた石鹸(せっけん)や、母の焚(た)いていたお香(こう)や、母の畳んでいた洗濯物の匂いが、家じゅうに、まだ残っていた。目には見えないのに、匂いだけは、あんなにも生々しく、その人を連れてくる。わたしは玄関を開けるたびに、ほんの一瞬、母がまだ奥の間にいるような気がして、「ただいま」と言いかけては、口をつぐんだ。
片づけをはじめても、なかなか手が進まなかった。母のものを捨てるということは、母の生きた時間を、少しずつ、この世から消していくことのように思えた。一枚のハンカチ、一本の櫛(くし)、一冊の家計簿。そのどれもが、母の指のあとを、まだ、ほのかに温めているようだった。わたしは、結局、その日も何も捨てられずに、母の座っていた座布団(ざぶとん)のうえに、ただ、ぼんやりと座っていた。日が暮れていくのを、障子越しに眺めながら。
フィルムを現像に出したのは、それから半月ほど経ってからだった。
近所の写真屋は、もうずいぶん前に店を閉めていた。母がよく通っていた店だ。わたしは電車で二駅離れた町まで出て、まだ細々(ほそぼそ)と現像を受けつけている古いカメラ店を探しあてた。店番をしていたのは、白髪(しらが)を几帳面(きちょうめん)に撫(な)でつけた老人だった。
「フィルム、お預かりしますよ」
老人はそう言って、わたしの差し出したフィルムを、大切なものを受けとるように両手で受けた。
「近ごろは、こういうのをお持ちになる方も少なくなりましてね」
「母の、形見なんです」
わたしがそう言うと、老人は少しのあいだ、わたしの顔を見た。それから、静かにうなずいた。
「大切に、現像いたします」
一週間で仕上がると言われた。わたしはその一週間を、母の家の片づけをして過ごした。夜になると、あの黄昏の海の色を、ときどき思い出した。溶けて、境目のなかった、あの色を。そうして、水平線に灯った蒼い星のことを。あれは何だったのだろうと、寝る前に少しだけ考えて、そのまま眠りに落ちた。
一度だけ、図書館で、古い新聞を調べてみたことがあった。あの日の前後に、彗星が見えたという記事は、どこにもなかった。天文の欄にも、ミラという名の彗星が近づいているという知らせは、載っていなかった。ミラ、というのは、あとで知った名だ。くじら座にある、明るくなったり暗くなったりを繰り返す、ふしぎな星の名だという。「くしき星(ステラ・ミラ)」――驚くべき星、という意味のラテン語から、その名がついたのだと、図鑑には書いてあった。けれど、わたしの見た蒼い星が、その星だったのかどうか、わたしにはわからない。あれは、暦(こよみ)にも、新聞にも、載らない星だったのかもしれない。ただ、逢魔が時の、あの一瞬にだけ、境目の空の低いところに、そっと昇ってくる星。誰かが渡ってくるための、目印として。
写真を受けとりに行ったのは、次の週の、やはり夕方だった。
店に入ると、老人はすぐにわたしのことを覚えていて、奥から茶封筒を持ってきた。
「よく撮れておりましたよ」
そう言って封筒をわたしに渡すとき、老人の手が、ほんの少しためらったように見えた。気のせいだったのかもしれない。けれど、あとになって思い返すと、あのとき老人は、封筒のなかに写っているものを、もう見ていたのだ。
「ありがとうございます」
わたしは代金を払い、店を出た。
外はもう暮れかけていた。また、あの時刻だった。西の空が橙から藤色へ、そうして頭上の藍へと、境目なく溶けていく、あの逢魔が時だった。バス停の屋根の下で、わたしは茶封筒を開けた。待ちきれなかったのだ。母のカメラが、母のいない世界で、はじめて撮った写真だった。
一枚、また一枚と、わたしはめくっていった。
海。防波堤。潮に濡れた石。傾いた日。空の色。どれもうまく撮れていた。母のカメラは、母がいなくなっても、まだ律儀(りちぎ)に光を掬い上げていた。わたしは胸のあたりが、少し温かくなるのを感じた。
そうして、あの一枚に行きあたった。
水平線のすぐ上に、蒼い星の写った一枚。
尾を引いた蒼い光は、思ったよりもはっきりと、フィルムに焼きついていた。空の隅の、暮れていく藍のなかに、それは小さな傷のように、けれど澄んで、光っていた。彗星だ、とわたしは思った。やはり、あれは彗星だったのだ。
美しい一枚だった。
けれど、それだけではなかった。
防波堤の、少し離れたところ。わたしがカメラを構えていた場所から、十歩ばかり離れた石の上に、人が立っていた。
わたしは、息を止めた。
そこには、誰もいなかったはずだった。
あの日、わたしは海を独り占めしていた。防波堤には、わたしのほかに誰もいなかった。だからこそ、わたしは喪服も脱がずに腰を下ろし、涙のようなものを、誰にも見られずに海に流したのだ。誰かがいたなら、わたしは気がついていたはずだ。
けれど、写真のなかには、人が立っていた。
背の低い、痩(や)せた人だった。灰色の、少し裾(すそ)の長いコートのようなものを着て、こちらに半身(はんしん)を向けていた。顔は、逆光になっていて、はっきりとは見えなかった。橙の残照がその人の輪郭を縁どり、そのために、その人のかたちだけが、金色の細い線になって、暮れていく海のなかに浮かんでいた。
輪郭。
そうだ、輪郭だった。逢魔が時には、ものの輪郭が溶ける、と祖母は言っていた。けれどその人の輪郭は、溶けるどころか、残照のなかでいっそう際立(きわだ)って、澄んでいた。まるで、その人だけが、この世のものの光をまとって、そこに立っているようだった。
わたしは、その顔を見ようとして、写真を目に近づけた。
けれど、いくら目を凝(こ)らしても、顔は見えなかった。逆光の橙が、そこに滲んで、暮れかけた空の色と溶けあっていた。写真というのは、たしかに、あの一瞬の光をそっくりそのまま掬い上げるはずなのに、その人の顔だけが、まるで最初からそこに写ることを拒(こば)むように、ぼやけて、光のなかに退(しりぞ)いていた。
見えなかった。
けれど、見えなくても、わたしにはわかってしまった。
その人の、少し首をかしげた立ちかた。片方の肩だけを、いつも少しだけ下げる癖。それから、痩せた手を、コートのポケットに入れずに、だらりと下げている、そのかたち。
母だった。
わたしは、バス停の屋根の下に、立ちつくしていた。
写真を持つ手が、震えていた。震えを止めようとすればするほど、震えは強くなった。バスが一台、目の前を通りすぎた。乗るはずだったのに、わたしは動けなかった。運転手が、ちらりとこちらを見た。けれど、わたしが乗る気配を見せないので、扉は閉まり、バスは、赤い尾灯(びとう)を残して、暮れていく町のなかへ、消えていった。
あたりは、しんとしていた。逢魔が時の町は、ふしぎと、音が遠くなる。犬の声も、自転車のベルも、どこかの家の夕餉の匂いも、すべてが、藍色のなかに、ゆっくりと沈んでいく。世界のぜんぶが、息をひそめて、昼から夜へと、そっと着替(きが)えをしているような、そんな時刻だった。
母が、写っていた。
母が死んだのは、あの日から、ちょうど四十九日も前のことだった。あの海に、母が立っているはずはなかった。母はもう、この世のどこにもいないはずだった。骨になって、白い壺のなかに納まって、父の眠る墓のなかにいるはずだった。
けれど、写真のなかで、母は立っていた。
わたしのいる方へ、半身を向けて。
顔は見えない。けれど、母だった。
怖くなかった、と言えば、嘘になる。背筋を、冷たいものが一度、たしかに走った。けれど、それは長くはつづかなかった。怖さは、すぐに、べつのものに変わった。名前のつけられない、けれどとても静かな、なにか温かいものに。
祖母なら、これを、どう言っただろうと、わたしは思った。人か、人でないものか、見分けがつかなくなる刻。祖母は、それを、怖いものとして、わたしに教えた。けれど、いまのわたしには、それは、少しもちがって見えた。見分けがつかなくなる、ということは、隔(へだ)てがなくなる、ということでもあるのだ。この世のものと、そうでないものとの隔てが。生きている者と、逝(い)ってしまった者との隔てが。逢魔が時は、その隔てを、そっと溶かす。だからこそ、その刻にだけ、わたしたちは、もう会えないはずの人に、もういちど、会えるのかもしれなかった。祖母は、それを怖がって、わたしを家に入れた。けれど、ほんとうは、祖母もまた、その刻に、誰かに会っていたのではないか。わたしの知らない、祖母のもう会えない誰かに。
わたしは、写真をもう一度、じっと見た。
母は、笑っているような気がした。顔は見えないのに、そう感じた。首を少しかしげて、片方の肩を下げて、こちらを見ている、その立ちかたが、母が上機嫌のときにいつもしていた立ちかただった。母は、わたしが小さいころ、わたしの帰りを玄関で待つとき、いつもそうやって立っていた。ランドセルを背負って坂を上ってくるわたしを見つけると、母は、その立ちかたのまま、片手を、ほんの少しだけ、上げた。大きく振るのではない。ただ、片手を、腰のあたりで、ちょっと持ちあげるだけだった。それが、母の、いちばんの「おかえり」だった。
あの片手が、いま、写真のなかで、だらりと下がっていた。持ちあげられることを、まだ、待っているように。
――おかえり。
そう言われたような気がして、わたしは、その場にしゃがみこんだ。
暮れていく町の、バス停の下で、わたしは長いあいだ、しゃがんでいた。
家に帰ってから、わたしは写真を、母の写真の隣に並べて置いた。
母の遺影(いえい)は、笑っている。生きているころに撮った、いちばん元気だったころの写真だ。その隣に、あの一枚を並べると、遺影のなかの母と、写真のなかの母とが、ちょうど向かいあうようになった。
わたしは毎日、その二枚を見た。
見れば見るほど、写真のなかの人は、母だった。けれど、確かめようがなかった。顔は逆光で見えない。誰に見せても、「たしかに人が写っているけれど、誰かはわからない」と言うだろう。わたしにしか、それが母だとはわからない。それでよかった。それは、わたしと母だけの、秘密のようなものだった。
ただ、ひとつだけ、わたしには腑(ふ)に落ちないことがあった。
写真のなかの母は、右手を、だらりと下げていた。その右手に、白いものが見えた。手袋だった。母は、右手にだけ、白い手袋をはめていた。左手には、なにもしていなかった。片方だけの手袋。
なぜ、片方だけなのだろう。
わたしは、その白い手袋に、見覚えがあるような気がした。けれど、どこで見たのか、思い出せなかった。母が手袋をはめているところなど、わたしは見たことがなかった。母は寒がりではなかった。冬でも、素手(すで)で買い物に出るような人だった。
片方だけの、白い手袋。
わたしは、そのことを、ずっと考えていた。
思い出したのは、それから、またしばらく経ってからだった。
母の家の片づけは、なかなか終わらなかった。母は、ものを捨てられない人だった。押し入れの奥からは、次から次へと、母の生きてきた時間が出てきた。わたしの幼いころの絵。父の背広。祖母の帯。そういうものにまじって、ある日、小さな木の箱が出てきた。
母が、大切にしていた箱だった。
蓋(ふた)を開けると、なかには、こまごまとしたものが入っていた。古い切符。色の褪(あ)せた写真。それから、青いマッチ箱がひとつ。
そのマッチ箱を、わたしは手にとった。
藍色の地に、月と、書物のかたちが白く刷(す)られていた。「月光堂」と、細い文字で記されている。振ると、なかでマッチが乾いた音を立てた。母は、煙草を吸わなかった。なぜこんなものを、と思って裏を返すと、そこには小さな文字で、一行、こう記されていた。
――逢魔が時に、灯(ひ)をひとつ。
わたしは、そのマッチ箱を、しばらく掌のうえで見ていた。月光堂という名に、覚えはなかった。けれど、その藍色は、あの海の空の色に、よく似ていた。
箱の底に、もうひとつ、白いものが入っていた。
手袋だった。
白い、片方だけの、女ものの手袋。
わたしは、その手袋を、両手で持ちあげた。
左手のものだった。写真のなかで母がはめていたのは、右手の手袋だった。だから、これは、その片われだった。母は、片方を写真のなかへ持っていき、もう片方を、この箱のなかに残していったのだ。
そんなことがあるはずはない。
写真は、母が死んだあとに撮ったものだ。母が、写真のなかへ手袋を持っていくなどということが、あるはずはない。けれど、手袋は、たしかにここにあった。左手の、片方だけが。掌にのせると、それは思ったよりも軽く、けれどたしかに、母の匂いがした。母の使っていた、白粉(おしろい)のような、古い簞笥(たんす)のような、あの匂いが。
わたしは、その手袋を頬(ほお)に当てた。
やわらかかった。四十年ものあいだ、箱の底に眠っていたとは、とても思えないほど、それは、やわらかく、白かった。指を一本ずつ入れる部分の、その内側の縫(ぬ)い目まで、丁寧に、まるで昨日仕上げられたばかりのようだった。誰の手のために、これは編まれたのだろう。母の手には、少し大きすぎるようにも見えた。まるで、母のためではなく、いつか母がにぎるべき、もっと別の手のために、これは用意されていたかのように。
そうして、思い出した。
わたしは、その手袋を、たしかに、一度、見たことがあった。ずっと昔に。あの、逢魔が時の路地で。
母が、この手袋を、どこで手に入れたのかを。
あれは、わたしが、まだ小学校に上がる前のことだった。
冬の、やはり夕方だった。母に手を引かれて、わたしは町を歩いていた。何かの帰りだったと思う。日が短くて、四時を過ぎるともう暮れかけていた。空が、あの色をしていた。橙から藤色へ、藍へと、境目なく溶けていく、あの逢魔が時の色を。
商店街を抜けて、細い路地に入ったとき、わたしたちは、一軒の店の前に出た。
そんな店が、そこにあったことを、わたしはそのとき、はじめて知った。いつも通る道のはずなのに、その店を見たのは、はじめてだった。古い、木の格子(こうし)のはまった店で、軒(のき)に、藍色の暖簾(のれん)がかかっていた。暖簾には、月と、書物のかたちが、白く染め抜かれていた。
「月光書房」
母は、その名を、声に出して読んだ。
「あら、こんなところに、古本屋さんが」
母は、少しふしぎそうに首をかしげた。母も、その店を見るのは、はじめてだったのだ。
店の奥には、あかりが灯っていた。橙色の、やわらかなあかりだった。本の背が、その光のなかで、金色に光っていた。母は、わたしの手を引いて、暖簾をくぐった。
店のなかは、外から見るよりも、ずっと広かった。
天井まである本棚が、迷路のように並んでいた。古い紙の匂いが、店じゅうに満ちていた。それは、母の簞笥の奥の匂いに、少し似ていた。棚に並ぶ本の背は、どれも古びて、金や銀の箔(はく)の題字が、橙色のあかりのなかで、ちらちらと光っていた。子どものわたしには読めない字ばかりだった。けれど、その読めない字の連なりが、なぜか、うつくしいものに見えた。まるで、その一冊一冊が、誰かの一生を、そっと閉じこめているように。
奥のほうに、帳場(ちょうば)があって、そこに、ひとりの老人が座っていた。
いや、老人だったのかどうか、わたしにはわからない。逆光で、顔が見えなかったのだ。あの写真のなかの母のように、その人の輪郭だけが、あかりに縁どられて、金色に光っていた。
「いらっしゃい」
その声だけを、わたしは覚えている。低くて、けれど、どこか懐かしい声だった。
母は、しばらく本棚のあいだを歩いた。わたしは、母の手を離さずに、母のあとをついて歩いた。母は、一冊の本を手にとって、しばらくそれを読んでいた。何の本だったのか、わたしは知らない。子どもだったわたしには、退屈な時間だった。わたしは、母の手を引いて、はやく帰ろうとせがんだ。
「もう少しだけ、待ってちょうだいね」
母は、そう言った。
その、母の声を。
わたしは、いま、はっきりと思い出すことができる。あの日の、母の、まだ若かったころの声を。
帰りぎわに、帳場の老人が、母に、何かを手渡した。
「これを」
それが、あの手袋だった。
白い、女ものの手袋。老人は、たしか、こう言った。
「片方だけで、申し訳ありませんが。もう片方は、いつか、あなたが本当に必要なときに、お返しいたします」
母は、ふしぎそうに、その手袋を受けとった。
「あの、これは……」
けれど、老人は、それ以上、何も言わなかった。
わたしたちは、店を出た。暖簾をくぐって、路地に出ると、外はもう、すっかり暮れていた。西の空の、いちばん低いところに、蒼い星がひとつ、灯っていた。
「きれいねえ」
母は、その星を見あげて、そう言った。
そうして、わたしの手を引いて、家へ帰った。
次の日、わたしは、その店をもう一度見たくて、母をせがんで、あの路地へ行った。
けれど、店は、なかった。
古本屋のあったはずの場所には、ただの、しもた屋(や)の壁があるだけだった。暖簾も、格子も、橙色のあかりも、なにもなかった。母も、首をかしげた。
「あら、おかしいわねえ。たしかに、この辺りだったと思うんだけれど」
母は、しばらく、その辺りを探した。けれど、店は、どこにもなかった。
「夢でも見たのかしらねえ」
母は、そう言って、笑った。
けれど、手袋は、たしかにあった。母のポケットのなかに、あの白い手袋は、片方だけ、たしかに入っていた。だから、あれは夢ではなかった。母は、その手袋を、木の箱のなかにしまった。青いマッチ箱と、いっしょに。
わたしは、そのことを、長いあいだ、忘れていた。
四十年ちかくも、忘れていた。
わたしは、手袋を掌にのせたまま、母の家の畳に、座りこんでいた。
外は、また、暮れかけていた。
障子(しょうじ)の紙が、橙色に染まっていた。その色が、だんだんと、藤色に、藍色に、変わっていった。境目のない、あの色に。逢魔が時に。
わたしは、思い出していた。
あの日、月光書房の老人が言った言葉を。
――もう片方は、いつか、あなたが本当に必要なときに、お返しいたします。
母が、本当に必要としたとき。
それは、いつだったのだろう。
わたしは、母が死んだあの日のことを思った。母は、病室のベッドの上で、だんだんと、この世から遠ざかっていった。あの半年は、ゆっくりと日の暮れていくのに、よく似ていた。はじめは、まだ橙色の光が残っていた。母は笑い、母は話し、母はわたしの淹(い)れたお茶を、少しずつ、飲んだ。それが、だんだんと藤色になり、藍色になり、母のいる場所が、少しずつ、遠い暗がりのほうへ、退いていった。わたしは、その暮れていくのを、ただ、そばで見ているしかなかった。手を伸ばしても、母は、もう、届かないところへ、ゆっくりと、渡っていこうとしていた。
最後の日、母の意識は、もう、ほとんどなかった。けれど、母は、一度だけ、目を開けた。そうして、わたしの手をにぎって、何か言おうとした。
言葉には、ならなかった。
けれど、母の唇(くちびる)は、たしかに動いた。
わたしは、そのとき、母が何を言おうとしたのか、わからなかった。ただ、母の手が、だんだんと冷たくなっていくのを、感じていた。
いま、わたしには、わかるような気がした。
母は、あの手袋のことを、言おうとしたのではないか。
――もう片方の手袋を、返してもらいに、行かなくちゃ。
そう、言おうとしたのではないか。
わたしは、あの写真を、もう一度、手にとった。
母は、防波堤の石の上に立っていた。片方に、白い手袋をはめて。もう片方は、素手だった。母は、右手にだけ、手袋をはめていた。
そうして、わたしは、はじめて気がついた。
母がはめていたのは、あの箱のなかに残っていたのと、逆の手のものだった。箱のなかにあったのは、左手の手袋。写真のなかで母がはめていたのは、右手の手袋。母は、あの逢魔が時の海で、もう片方の手袋を、返してもらったのだ。
月光書房の老人が、四十年前に約束したとおりに。
母が、本当に必要としたときに。
母は、両手に手袋をはめて、旅立とうとしていたのだ。けれど、片方が、まだ、この世に残っていた。だから母は、それを取りに、あの海へ来たのだ。四十九日の、いちばん最後の日に。逢魔が時の、境目のない海へ。
そうして、母は、そこで、わたしに会った。
偶然だったのだろうか。
そうではない、と、わたしは思う。
母は、わたしに会いに来たのだ。手袋を取りに来た、そのついでに、ではない。手袋を取りに来ることが、わたしに会いに来ることだったのだ。逢魔が時は、生きているものと、そうでないものとの、境目を溶かす。その溶けた境目のなかで、母は、もういちど、わたしのそばに立った。
顔は見えなかった。
けれど、母は、笑っていた。
首を少しかしげて、片方の肩を下げて。
――おかえり。
そう、言っていた。
わたしは、その夜、母の家に泊まった。
畳の上に、母の布団を敷いて、そこに横になった。母の匂いのする布団だった。天井を見あげていると、いろいろなことが、思い出された。母のこと。父のこと。祖母のこと。あの、月光書房のこと。蒼い星のこと。
思えば、母は、生きているあいだ、あの日の古本屋のことを、ときどき、話題にした。夕餉(ゆうげ)の膳を囲んでいるとき、ふと箸を止めて、「あの本屋さんは、いったい、なんだったのかしらねえ」と、遠いところを見るような目をして、言うことがあった。そのたびに、父は、「夢でも見たんだろう」と笑った。わたしも、そのころにはもう、あの日のことを、半分は夢だったように思うようになっていた。子どものころの記憶などというものは、そうやって、だんだんと夢と溶けあっていくものだから。
けれど、母は、笑わなかった。ただ、少し首をかしげて、「そうかもしれないわねえ」と、あいまいにうなずいた。あの、片方の肩を下げた立ちかたで。いま思えば、母は、あれを夢だとは、少しも思っていなかったのだ。母は、あの手袋のことを、あの約束のことを、ずっと、忘れずにいたのだ。四十年ものあいだ。青いマッチ箱と、片方だけの手袋を、木の箱の底に、大切にしまいこんで。
眠れないまま、わたしは、口のなかで、あの唄(うた)をくちずさんでいた。
――眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。
母が、わたしが小さいころ、寝かしつけるときに、いつも歌ってくれた子守唄だった。作者も知らない、どこで覚えたのかもわからない、けれど母だけが知っていた唄。星が海をわたるまで。母は、いつもそこで、声を低くした。星が、海を、わたるまで。
わたしは、いま、その意味が、少しわかったような気がした。
星は、海をわたる。
蒼い星が、あの黄昏の海を、ゆっくりとわたっていく。逢魔が時の空を、暮れていく藍のなかを、尾を引いて。そうして、その星がわたりきったとき、境目は、また閉じる。昼と夜の。生きているものと、そうでないものの。この世と、あの世の。
母は、その星に乗って、海をわたっていったのだ。
両手に、手袋をはめて。
翌朝、わたしは、あの写真屋の老人のことを、ふと思い出した。
フィルムを現像してくれた、あの、白髪を几帳面に撫でつけた老人のことを。写真を渡すとき、あの人の手は、ほんの少し、ためらったように見えた。あの人は、封筒のなかに写っているものを、もう見ていたのだ。人が写っていることに、気がついていたのだ。
けれど、あの人は、何も言わなかった。
「よく撮れておりましたよ」
そう言って、静かに、封筒をわたしに渡しただけだった。
わたしは、あの写真屋に、もう一度、行ってみようと思った。あの写真のことを、あの人になら、話せるような気がした。あの人なら、わたしが「母が写っている」と言っても、笑わないような気がした。
わたしは、電車に乗って、二駅離れた町へ行った。
けれど、写真屋は、なかった。
あの、細々と現像を受けつけていた、古いカメラ店のあった場所には、シャッターの下りた、空き店舗があるだけだった。ずいぶん前から、閉まっているようだった。近所の人にたずねると、その店は、もう十年も前に、店主が亡くなって、閉めたのだという。
「白髪の、ご老人でしたよ。写真がお好きで、亡くなる前まで、暗室にこもっておられました」
近所の人は、そう言った。
わたしは、店の前に、しばらく立っていた。
十年も前に、閉まった店。
けれど、わたしは、たしかに、あの店で、フィルムを現像してもらった。あの老人から、たしかに、あの写真を受けとった。
「大切に、現像いたします」
そう言った、あの老人の声を、わたしは、はっきりと覚えている。両手で、わたしのフィルムを、大切なものを受けとるように受けとった、あの、几帳面な手のことも。
わたしは、下りたシャッターに、そっと掌を当てた。冷たい金属の感触があった。その冷たさの向こうに、暗室の、あの赤いあかりが、いまも灯っているような気がした。逢魔が時に、灯をひとつ。あの老人もまた、この世と、そうでないところとの、境目のあたりで、静かに、誰かの光を掬い上げつづけているのかもしれなかった。もう会えないはずの、誰かの姿を、フィルムのなかに、そっと、浮かびあがらせながら。
わたしは、そのシャッターに向かって、小さく、頭を下げた。それから、来た道を、駅のほうへ、引き返した。空は、もう、暮れかけていた。また、あの時刻が、近づいていた。
わたしは、家に帰る電車のなかで、あの、木の箱のなかのマッチ箱のことを、思った。
月光堂の、青いマッチ箱。
――逢魔が時に、灯をひとつ。
その一行を、わたしは、また思い出していた。
逢魔が時に、灯をひとつ。
それは、どういう意味なのだろう。
わたしには、なんとなく、わかるような気がした。逢魔が時は、境目が溶ける刻(とき)だ。人か、人でないものか、見分けがつかなくなる刻。その刻に、灯をひとつ、ともす。そうすると、その灯を頼りに、境目の向こうの誰かが、こちらへ、渡ってこられる。あるいは、こちらの誰かが、向こうへ、渡っていける。
灯は、目印なのだ。
あの、月光書房の橙色のあかりのように。あの、写真屋の暗室の、赤いあかりのように。あの、水平線に灯った、蒼い星のように。
そうして、あの写真そのものが、母の、灯だったのだ。
母は、逢魔が時に、灯をひとつ、ともした。それが、あの一枚だった。そのおかげで、わたしは、もういちど、母に会えた。会えない母から、最後の便りを、受けとることができた。写真という、光を掬い上げる技を通して。あの、境目の溶けた、黄昏の海で。
いまも、あの写真は、母の遺影の隣に、飾ってある。
わたしは、ときどき、それを眺める。
蒼い星の写った、黄昏の海の写真。そのなかに、母は、いまも立っている。首を少しかしげて、片方の肩を下げて。右手に、白い手袋をはめて。もう片方の手袋は、いまも、あの木の箱のなかにある。青いマッチ箱と、いっしょに。
ときどき、わたしは、その手袋を、木の箱から取り出して、掌にのせてみる。四十年ものあいだ、箱の底で眠っていたのに、それは少しも黄ばんでいなかった。まるで、昨日、あの月光書房の老人の手から、母が受けとったばかりのように、白く、やわらかいままだった。頬(ほお)に当てると、いまも、ほのかに、母の匂いがする。あの、白粉のような、古い簞笥のような匂いが。わたしは、そのたびに、あの黄昏の海を思い出す。境目のなかった、あの色を。そうして、水平線に灯った、蒼い星を。
わたしは、その左手の手袋を、母の骨壺(こつつぼ)のなかに、いれてあげようかと、一度は思った。
けれど、やめた。
母は、もう、両手に手袋をはめて、海をわたっていったのだ。だから、この、箱のなかの片方は、母のものではない。これは、わたしのために、母が残していったものなのだ。
いつか、わたしが、本当に必要とするときのために。
いつか、わたしも、逢魔が時の海へ行くときのために。
そのとき、わたしは、この片方の手袋を持って、あの海へ行くだろう。そうして、防波堤の石の上に立つだろう。西の空の、いちばん低いところに、蒼い星が灯るのを、待つだろう。
そのとき、境目は、また溶けるだろう。
そうして、わたしは、母に会うだろう。
母が亡くなって、もう、何年も経った。
わたしは、あれから、母のカメラで、たくさんの写真を撮った。海の写真。空の写真。町の写真。けれど、あの一枚のような写真は、二度と撮れなかった。あれは、あの逢魔が時の、あの一瞬にしか、撮れないものだったのだ。生きているものと、そうでないものとが、たった一度だけ、同じ光のなかに立った、あの一瞬にしか。
写真というものは、光がひとつの時間を掬い上げて、そのまま冷たく固めてしまう技なのだと、わたしはずっと思っていた。
けれど、いまは、そうは思わない。
写真は、光を、掬い上げる。掬い上げた光のなかには、ときどき、この世のものではない光も、まじっている。逢魔が時の、境目の溶けた刻に、そっと差しこんでくる、あの、蒼い星の光のような。
その光が、届けてくれる便りが、ある。
もう会えないはずの、誰かからの、最後の便りが。
先日、わたしは、また、あの海へ行った。
母の命日だった。
夕方の五時を過ぎて、日が、坂の上で傾きはじめる、あの時刻だった。わたしは、母のカメラを首に提げ、防波堤に腰を下ろした。海と空が、境目なく、溶けていった。橙から、藤色へ。藤色から、藍へ。
わたしは、待った。
そうして、水平線のすぐ上に、蒼いものが、ひとつ、灯った。
あの日と、同じ星だった。氷を透かしたような、澄んだ蒼い光。暮れていく藍の空の、いちばん低いところに、逢魔が時の徴のように、いちばんに昇る、蒼い星。尾を引いて、ゆっくりと、海の上を渡っていく。
わたしは、カメラを構えた。
けれど、シャッターは、切らなかった。
もう、写真は、いらなかった。
わたしは、ただ、その星を、見あげていた。
そうして、防波堤の、少し離れたところ、あの日、母が立っていた、あの石の上を、そっと見た。
そこには、誰もいなかった。
けれど、わたしには、わかった。
母は、そこに、立っている。首を少しかしげて、片方の肩を下げて。両手に、白い手袋をはめて。逆光のなかで、その輪郭だけが、金色に光って。
わたしは、口のなかで、あの唄を、くちずさんだ。
――眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。
蒼い星は、ゆっくりと、海をわたっていった。
その星がわたりきったとき、空は、すっかり、夜になっていた。境目は、また、閉じた。海も、空も、防波堤の石も、みな、藍色の闇のなかに、しずかに沈んでいった。
わたしは、立ちあがった。
そうして、来た道を、家へ、帰った。
ポケットのなかには、あの、片方だけの、白い手袋が、あった。いつか、わたしが、本当に必要とするときまで。それは、たしかに、あった。母の匂いを、まだ、ほんの少しだけ、残したまま。
黄昏は、いつも、こうして、境目を溶かす。溶けた境目のなかで、わたしたちは、もういちど、会えない誰かに、会う。写真の一枚に、あるいは、蒼い星の光に、あるいは、片方だけの手袋のなかに、そっと差しこんでくる、あの、逢魔が時の便りを、受けとりながら。
だから、わたしは、もう、黄昏を、怖れない。
母が、この時刻に、わたしに会いに来てくれることを、わたしは、知っているから。