一人分の湯気
一人分の湯気
灯りをひとつだけともす、というのは、老いてから覚えた作法のようなものだった。
宵の口、日がすっかり暮れきって、窓の外の空が藍から墨へと沈んでいくころ、三郎はまず台所の裸電球をつける。次に、卓の上の小さな笠つきの電気スタンドをつける。それでおしまいだった。天井の蛍光灯は、もう長いこと点けていない。あの青白い、部屋の隅々までを容赦なく照らしだす光の下にいると、一人という事実が、影も持たずにそこに立っているのが、あんまりよく見えてしまうからだ。
橙色の、小さな灯りひとつ。卓の上にだけ、飴色の輪をつくる灯り。その輪の外は、ゆるやかに暗い。暗さのなかに、茶箪笥の輪郭が、柱時計の振り子の鈍い光が、壁にかけた古いカレンダーの端が、それとなく沈んでいる。三郎はその、光と闇のちょうど境目のような一畳ぶんの明るさのなかに、毎晩、一人で座る。
妻の菊江が逝って、四度目の冬が過ぎたところだった。
はじめの冬は、何も憶えていない。葬式のことも、四十九日のことも、まるで水の底で見た景色のように、輪郭がぼやけている。ただ、家じゅうの灯りという灯りをつけて、それでもちっとも明るくならなかった夜のことだけは、妙にはっきりと憶えていた。天井の蛍光灯も、廊下の電球も、便所の小さな豆電球まで、みんなつけて、それでも部屋は暗かった。灯りがいくつあっても、菊江のいない部屋というのは暗いのだと、あのとき三郎は知った。
だから、灯りをひとつに減らしたのは、明るくするのを諦めたからではない。むしろ逆だった。ひとつの灯りを、大事に、大事にともす。その灯りのぶんだけを、たしかに明るくする。手のひらに載るくらいの明るさを、こぼさないように守る。そうやってようやく、三郎はこの家で夜を過ごせるようになったのだった。
台所で、鍋がことこと鳴っている。
今夜は湯豆腐だった。菊江がいたころには、冬のあいだ、週に二度は卓にのぼった。昆布を一枚、水を張った土鍋の底に沈めて、豆腐を切って入れて、あとはただ、あたたまるのを待つ。それだけの、手も金もかからない献立だ。菊江はよく、「湯豆腐は、待つのがごちそうなのよ」と言った。鍋がゆらゆらと煮え立つのを、二人で待つ。その待つ時間が、ごちそうなのだと。
三郎は、豆腐を四つに切って、鍋に入れた。一丁の半分。残りの半分は、明日の朝、味噌汁にする。一人ぶんの分量というのは、こうやって覚えていくものだった。一丁は多い。半丁でちょうどいい。米は一合を炊いて、二食に分ける。醤油の減りが、めっきり遅くなった。
包丁を使うのも、はじめは、おぼつかなかった。台所に立つことなど、菊江が生きているあいだは、一度もなかった。飯は、女のするもの、と、そういう時代の、そういう男だった。菊江が病んで、床につくようになって、はじめて、三郎は、台所に立った。米の研ぎかたも、味噌汁のだしのとりかたも、なにひとつ知らなかった。菊江が、床のなかから、あれこれと、口で教えた。「米は、はじめの水を、すぐ捨てるのよ、糠くさくなるから」「だしは、煮立てちゃだめ、えぐみが出るから」――そうやって、菊江は、自分のいなくなったあとの、三郎の暮らしを、ひとつずつ、仕込んでいったのだった。いま思えば、あれは、遺言だったのかもしれない。飯の炊きかた、味噌汁の作りかた、洗濯物のたたみかた。菊江は、言葉ではなく、暮らしのやりかたを、三郎に、遺していったのだ。
だから、三郎が、こうして、一人で、湯豆腐をこしらえているのも、もとをただせば、菊江に、教わったからだった。包丁の使いかたひとつ、菊江の、あの、床のなかからの、かすれた声が、教えてくれたものだった。三郎は、豆腐を切りながら、ときどき、その声を、思いだす。「豆腐は、大きめに切るのよ、そのほうが、崩れないから」。三郎は、いまも、その通りに、大きめに、切る。
卓の隅に、青いマッチ箱が置いてあった。
藍色の紙に、三日月がひとつ刻んである。月光堂の、と言われても、三郎はもうその店を憶えていない。ずいぶん昔、菊江がどこかの縁日の帰りに買ってきたものらしかった。仏壇の蝋燭に火をともすのに、菊江はいつもこのマッチを使った。ライターは味気ない、マッチの、あの、しゅっと火が生まれる音がいいのだ、と言って。だからいまも三郎は、線香に火をつけるとき、このマッチを使う。箱を振ると、からから、と乾いた音がする。あと何本残っているだろうか。減っていくのを、なんとなく数えるのが怖くて、三郎はもう長いこと、中を確かめていなかった。
ラジオが、つけっぱなしになっている。
台所の棚のうえに置いた、古い、卓上ラジオ。もう何年も、同じ局にあわせたきりだった。夕方のニュースが終わって、いまは、なにか歌謡曲を流す番組になっている。誰の歌だか三郎は知らないが、それでいい。曲名も歌手も知らなくていい。ただ、部屋のなかに、人の声がしていればいいのだった。
菊江が生きていたころは、ラジオなど、めったにつけなかった。二人で喋っていれば、それで足りたからだ。喋ることが、そんなにたくさんあったわけでもない。今日の天気のこと、隣の家の柿がよく生ったこと、膝が痛いの腰が痛いのという話。とりとめのない、あってもなくてもいいような話を、二人はえんえんと交わした。いま思えば、あの、あってもなくてもいいような言葉こそが、部屋を満たしていたのだった。
その言葉がなくなって、部屋がしんと静まりかえったとき、三郎はラジオをつけた。人の声が要るのだ、と気づいたのだ。誰の声でもよかった。ニュースを読むアナウンサーの声、天気予報の声、歌う声。意味などどうでもよかった。ただ、この部屋のどこかで、人が息をして、口を動かしている――その気配だけが、欲しかった。
だからラジオは、朝からずっとついている。三郎が家を出るときも、消さない。誰もいない部屋で、ラジオだけが喋りつづけている。そのことを、近所の者は変に思うかもしれない。電気の無駄だと言うかもしれない。それでも三郎は、消せなかった。帰ってきたとき、玄関の戸を開けて、部屋の奥からかすかに人の声が聞こえてくる――その一瞬のために、三郎はラジオをつけたままにしておくのだった。おかえり、と言ってくれる声はもうないけれど、せめて、しんとしていない家に、帰りたかった。
いつだったか、隣村に住む姪が、様子を見にきたことがあった。菊江の、妹の娘で、三郎には血のつながりはないが、菊江の生前は、よく、うちに寄ってくれた娘だった。その姪が、ラジオがつけっぱなしなのを見て、「おじさん、これ、点けっぱなしだと、あぶないよ」と言った。三郎は、うん、と、あいまいにうなずいた。姪は、それ以上は、言わなかった。ただ、帰りぎわに、玄関で、ふりかえって、「おじさん、寂しくない?」と、小さな声で、聞いた。三郎は、寂しくないよ、と、笑って、答えた。嘘だった。姪も、それが嘘だと、分かっていただろう。それでも、寂しい、とは、言えなかった。寂しい、と口に出してしまえば、その寂しさが、ほんとうのものになってしまいそうで。だから三郎は、寂しくないよ、と、笑うのだった。ラジオがあるから、と。
姪は、ときどき、電話を、くれる。日曜の、夕方に。「おじさん、ごはん、ちゃんと食べてる?」と。三郎は、そのたびに、食べてるよ、今日は湯豆腐だ、とか、鍋だ、とか、答える。姪は、それを聞いて、安心したように、「よかった」と言う。ほんの、五分か、十分の、電話。それでも、その電話のある日曜は、三郎の、宵の灯りが、すこし、あかるくなるような気がした。誰かが、三郎の、ごはんのことを、気にかけてくれている。それだけのことが、一人の暮らしには、じんわりと、うれしかった。
鍋が煮えてきた。
土鍋の蓋のふちから、白い湯気が、細く立ちのぼる。橙色の灯りに透かされて、湯気はほんのり金色に見えた。三郎はその湯気を、しばらく眺めた。ゆらゆらと立ちのぼって、灯りのなかで金色に染まって、やがて天井の暗がりに溶けて消えていく。一人ぶんの湯気だ。豆腐半丁ぶんの、細い湯気。
菊江がいたころは、この湯気が、もっと太かった。豆腐は一丁、鍋も大きなのを使って、湯気は蓋を持ちあげんばかりに、もうもうと立った。その湯気の向こうに、菊江の顔があった。眼鏡がくもるのを、手の甲でぬぐいながら、「熱いうちにねえ」と菊江は言った。熱いうちに。その一言を、三郎はいまでも、湯気を見るたびに思いだす。
卓には、茶碗と、皿と、箸が、一人ぶん。
そして、向かいの席が、空いている。
三郎はいつも、卓の同じ側に座る。菊江のいたころと、同じ側だ。だから向かいの席は、いつも空いている。座布団だけが、きちんと敷いてある。三郎はどうしても、この座布団を片づけることができなかった。しまってしまえば、卓が広く使えることは分かっている。一人なのだから、座布団は一枚でいい。それでも三郎は、向かいの座布団を、敷いたままにしていた。片づけてしまったら、菊江が座る場所が、この家からなくなってしまうような気がしたのだ。
食事のあいだ、三郎はときどき、その空いた席のほうを見る。見て、それから、目をそらす。そこに菊江がいるように思うわけではない。四年も経てば、そんな幻を見るほど、心はやわではなくなる。ただ、そこに座布団があって、そこが空いている、という、その事実を、三郎は毎晩、たしかめる。空いている、と分かって、それから、湯豆腐を食べる。
「いただきます」
声に出して、言う。誰に言うでもなく。ラジオの歌謡曲に紛れて消えてしまうような、小さな声で。それでも、言う。菊江が、「ごはんのときは、ちゃんと言うのよ、いただきますも、ごちそうさまも」と、口うるさく言ったからだった。あのころは、うるさいなあと思っていた。いまは、その口うるささが、恋しい。だから三郎は、毎晩、誰もいない卓に向かって、いただきます、と言う。それが、菊江との、いちばん最後まで残った約束のような気がして。
豆腐を、箸でそっと持ちあげる。崩れないように。醤油を、ちょんとつけて、口に運ぶ。熱い。あたたかい。あたたかいものが、体のなかを、すうっと落ちていく。それだけのことが、一人の夜には、じんわりと沁みた。あたたかいものを食べているあいだだけは、なんとなく、寂しさが遠のく。腹のなかがあたたまると、心も、すこしだけあたたまる。人の体というのは、うまくできているものだと、三郎は思う。
冷たいものを食べていると、寂しさが、増す。それを、三郎は、この四年で、覚えた。だから、三郎は、努めて、あたたかいものを、食べるようにしていた。冷や飯は、食わない。かならず、あたためる。おかずも、あたたかいうちに、食べる。冷たくなってしまったら、鍋で、もう一度、あたためる。手間だけれど、そうする。あたたかいものを、食べていれば、なんとか、やっていける。菊江が言った、あの、「熱いうちにねえ」という一言は、たぶん、料理のことだけを、言っていたのではない。生きることの、こつを、言っていたのかもしれない、と、三郎は、いまになって、思う。あたたかいうちに。冷めないうちに。人も、暮らしも、こころも。
豆腐を、二切れ、食べた。腹が、あたたまってきた。三郎は、飯を、すこし、食べた。一人ぶんの飯は、すぐに、なくなる。菊江といたころは、おかわりを、した。菊江が、おひつから、よそってくれた。「たんと、お食べ」と。いまは、おかわりも、しない。一膳で、じゅうぶんだった。年をとると、そんなに、食べられなくなる。それでも、一膳の飯を、あたたかいうちに、食べる。それが、三郎の、宵の、いとなみだった。
食べながら、三郎はふと、片方だけの手袋のことを思いだした。
台所の、小さな引き出しのなかに、片方だけの手袋が、しまってある。焦げ茶色の、毛糸で編んだ、右手の手袋。左手のほうは、いつだったか、なくしてしまった。菊江が編んでくれたものだった。三郎の手が大きいものだから、既製品ではどうも指が窮屈で、それを見かねて、菊江が毛糸を買ってきて、編んでくれた。冬のあいだ、三郎は毎日それを嵌めて、畑に出た。
左手をなくしたのは、菊江が逝った、あの冬のことだった。病院と家とを、幾度も行き来した。どこでなくしたのか、まるで憶えていない。気がついたら、右手だけが、上着のポケットに残っていた。左手は、どこにもなかった。
ふつうなら、片方だけの手袋など、捨ててしまうだろう。片方だけあっても、使い道はない。それでも三郎は、その右手の手袋を、捨てられなかった。捨てられないまま、引き出しにしまった。ときどき、なにかを探して引き出しを開けるたびに、その焦げ茶色の手袋が、目に入る。菊江の編んだ、目のつまった、あたたかそうな手袋。
片方だけになってしまったものは、なんだか、菊江と自分のようだと、三郎は思うことがある。対になっていたものが、片方だけ残されて。残されたほうは、もう手袋の役目も果たせずに、ただ、引き出しの奥で、なくなった片割れのことを憶えている。それでも、捨てられない。捨ててしまったら、あの手袋が二つで一組だった、あたたかかった冬のことまで、なくなってしまいそうで。
三郎は、湯豆腐を食べながら、その手袋のことを、ぼんやりと思った。今年の冬も、あれを嵌めることはなかった。畑にはもう、めったに出なくなった。膝が言うことをきかない。それでも、手袋は、引き出しにある。片方だけ、ある。
一度だけ、その手袋を、捨てようと、思ったことがあった。三回忌の、あとだった。いつまでも、こんなものを、とっておくのは、未練がましい、と、思ったのだ。区切りを、つけよう、と。三郎は、引き出しから、その手袋を、取りだして、ごみ袋の口まで、持っていった。けれど、どうしても、手が、離せなかった。焦げ茶色の毛糸の、そのあたたかそうな手触りが、手のひらのなかで、菊江の、編み棒を動かす、あの、こまかな手の動きを、思いださせた。菊江は、テレビを見ながら、よく、編み物をした。手だけが、勝手に、動いているように、見えた。その手が、この手袋を、編んだ。一目、一目、三郎の、大きな手のかたちを、思いながら。
三郎は、その手袋を、ごみ袋には、入れられなかった。また、引き出しに、しまった。区切りなど、つかなくていい、と、そのとき、思った。未練がましくても、いい。片方だけの手袋を、後生大事に、とっておく、じいさんで、いい。区切りをつけて、さっぱりと、忘れてしまうくらいなら、いつまでも、未練がましく、憶えていたかった。忘れることのほうが、よほど、こわかった。
ラジオの歌が、変わった。
ゆったりとした、古い歌だった。三郎は箸を止めた。聞き覚えのある、旋律だった。しばらく、それが何の歌か思いだせなかった。それから、ああ、と気がついた。子守唄だ。
「眠れ、眠れ、星が海をわたるまで」
そういう歌詞の、子守唄。ラジオでは、若い女の歌手が、澄んだ声で、しずかに歌っていた。三郎は、箸を持ったまま、その歌に聴きいった。
菊江が、この歌をうたっていた。
子どもが、いたわけではない。三郎と菊江のあいだには、とうとう子は授からなかった。それでも菊江は、この子守唄を知っていた。菊江の母が、菊江に、うたってくれたのだという。だから菊江も、覚えていた。子はいなかったけれど、菊江はときどき、なんということもなしに、この子守唄を口ずさんだ。台所で洗いものをしながら、庭で洗濯物を干しながら、ふとしたときに、「眠れ、眠れ」と。
そのたびに三郎は、うちには眠らせる子もいないのに、と、心のなかで苦笑した。けれど、菊江のうたう子守唄は、なんとも言えず、心をなだめた。子守唄というのは、子を眠らせるためだけのものではないのかもしれない、と三郎は思った。うたう者の心も、聴く者の心も、いっしょになだめる。菊江がうたうと、部屋のなかの、とがった何かが、すっと丸くなった。三郎の、日中の畑仕事でささくれた気持ちも、その歌を聞くと、ふしぎと、おさまった。
いま、ラジオから流れてくる、若い女の歌手のうたう子守唄は、菊江の声とは、まるで違う。声も、節まわしも。それでも、旋律は同じだった。同じ旋律を聞いていると、菊江の声が、そのうえに、そっと重なってくるような気がした。
三郎は、ちいさな声で、うたってみた。
「眠れ、眠れ……星が、海を、わたるまで……」
かすれた、しわがれた、老いた男の声だった。子守唄には、まるで似つかわしくない声だった。それでも三郎は、うたった。ラジオの女の歌手の声に、自分のかすれた声を、そっと重ねて。すると、そこに、もう一つ、菊江の声も重なるような気がした。三つの声が、橙色の灯りのなかで、ひとつになる。ほんの、いっときのことだったけれど。
うたい終えて、三郎は、ふうと息をついた。目のふちが、すこし熱かった。泣くというほどのことでもない。ただ、なにかが、胸の奥のほうで、あたたかく、ほどけたのだった。
菊江は、なぜ、子のいないうちで、あの子守唄を、うたいつづけたのだろう。三郎は、いまになって、その意味を、考える。もしかしたら、菊江は、生まれてこなかった子に、うたっていたのかもしれない。三郎と菊江のあいだには、一度だけ、子を、宿したことがあった。若いころだ。けれど、その子は、生まれてくる前に、流れてしまった。菊江は、しばらく、ふさぎこんだ。それきり、子は、授からなかった。二人は、そのことを、めったに、口にしなかった。触れずに、いた。それでも、菊江が、あの子守唄を、口ずさむとき、三郎は、ときどき、思った。菊江は、あの、生まれてこなかった子のことを、うたっているのではないか、と。眠れ、眠れ、と。まだ、この世に、生まれてくることのなかった、小さないのちに。
だとしたら、と三郎は思う。いま、この子守唄を、うたっているのは、菊江のためであり、あの子のためであり、そして、菊江のいなくなった、この、一人きりの、自分のためでも、あるのだった。眠れ、眠れ。うたう相手が、この世にいようと、いまいと、子守唄は、うたわれる。うたわれた歌は、どこかへ、届く。星が、海をわたるように、どこか、遠いところへ。
湯豆腐を食べおわって、三郎は茶を淹れた。
一人ぶんの茶を、急須で淹れる。これも、覚えた作法のひとつだった。急須は小さいのに換えた。大きな急須では、一人ぶんを淹れると、茶葉が、ひらききらないうちに、湯がなくなってしまう。小さな急須で、ちょうどよく。湯呑みに、ゆっくりと注ぐ。飴色の茶が、灯りに透けて、きれいだった。
茶を飲みながら、三郎は、窓の外を見た。
台所の、小さな窓。すりガラスではなく、透明なガラスの窓。夜は、外の闇と、部屋の灯りとが、そのガラスのうえで交わる。三郎の座っているところからは、卓の灯りが、うっすらとガラスに映りこんでいるのが見える。橙色の、まるい灯り。それが、窓のなかに、もうひとつ、灯っているように見える。
ガラスの向こう、闇のなかに、遠くの家々の灯りが、ぽつり、ぽつりと見えた。
三郎の家は、村のはずれの、田んぼに囲まれたところにある。まわりには、家がまばらにしかない。それでも、田んぼの向こう、川のこちら側に、いくつかの家の窓に、灯りがともっているのが見えた。あの灯りのひとつひとつの下に、誰かがいる。夕餉の卓を囲んでいる。子どもがいて、親がいて、笑い声があって、湯気があって。あの灯りは、きっと、あたたかい。三郎の家の灯りよりも、ずっと。
三郎は、その家々の灯りを、しばらく眺めた。羨ましい、というのとは、すこし違った。あの灯りを、三郎はもう、遠いものとして眺めていた。あそこには、あそこの団欒がある。ここには、ここの、一人の夜がある。それは、それぞれに、ある。三郎は、自分の卓の、橙色の灯りひとつを、あの家々の灯りに向かって、そっとかざすような気持ちで、眺めた。
こちらにも、灯りは、ある。ひとつだけれど、ある。
そのときだった。
窓の外の、家々の灯りの、そのずっと上のほう、宵闇の空の高いところに、蒼い光が、ひとすじ、かかっているのに、三郎は気づいた。
星、にしては、大きすぎた。しかも、ただの点ではなく、うっすらと、尾を引いている。蒼白い、冷たい光。家々の橙色の灯りとは、まるで違う色だった。地上の灯りが、あたたかく、黄ばんだ橙なら、その空の光は、澄んで、冴えて、蒼かった。
彗星だ、と三郎は思った。
ミラ彗星、というのだったか。ずっと昔、菊江が、それを教えてくれたことがあった。何十年に一度、宵の空を横切る、蒼い星。菊江は星のことにくわしかったわけではないが、そういう、めずらしいものを見つけるのが好きだった。「あなた、あれ、彗星ですって」と、庭先で、菊江が空を指さした夜のことを、三郎は、ふいに思いだした。あのときも、こうやって、宵の空に、蒼い光が、ひとすじ、かかっていた。
その彗星が、いま、また、昇っていた。家々の灯りと、競うように。地上には、無数の橙色の団欒の灯りが、まばらに散らばって、それぞれにあたたかくともっている。その灯りたちと、張りあうように、天のいちばん高いところに、たったひとつ、蒼い星が、冴え冴えと昇っている。あたたかい橙と、冷たい蒼と。地の灯りと、天の灯りと。
三郎は、その蒼い光を、じっと見た。
あの光は、いま、どれほど遠いところから、来ているのだろう。何十年、何百年もかけて、暗い宇宙を、たった一人で――いや、星に一人も何もないのだけれど――旅をして、いま、この宵の空に、姿を見せている。そうして、また、遠くへ去っていく。次にこの空に戻ってくるのは、何十年も、何百年も、先のことだ。そのときには、三郎は、もういない。この家も、この灯りも、あの家々の灯りも、みんな、なくなっているかもしれない。それでも、あの蒼い星だけは、また、この空を、横切るのだろう。
菊江も、あの星を、どこかで、見ているだろうか。
そんなことを、三郎は、ふと思った。ばかばかしい、と思いながら、それでも、思わずにはいられなかった。菊江の逝ったところが、どこなのか、三郎には分からない。天国だか、極楽だか、あるいはどこにもないのか。それでも、あの蒼い星が、もし、この地上のどの灯りにも届いているのなら、菊江のいるところにも、きっと、届いているのではないか。同じ星を、いま、菊江も、どこかで見あげているのではないか。
そう思うと、三郎は、ひとりではないような気がした。
灯りというのは、と、三郎は、蒼い彗星を見あげながら、思った。灯りというのは、たがいに、見えあうものなのかもしれない。三郎の卓の、橙色の灯りは、遠くの家々からも、見えているだろう。田んぼの向こうの、あの家の窓からも、三郎の家の窓明かりは、ぽつりと、見えているにちがいない。灯りは、こちらから、あちらを照らすのではなく、ただ、たがいに、ここにいる、と、告げあう。生きている、と。まだ、消えていない、と。
彗星の蒼い光も、そうだった。あの光は、はるか遠くから、この地上に向かって、ここにいる、と、告げていた。そして、地上の、無数の橙色の灯りも、あの蒼い星に向かって、ここにいる、と、告げかえしていた。天と地とが、灯りで、うなずきあっている。三郎の、たったひとつの、ちいさな灯りも、その、うなずきあいの、なかに、あった。ひとつでも、灯りは、灯りだった。ともしているかぎり、三郎も、この、大きな、灯りのうなずきあいの、なかに、いた。ひとりきりの卓に見えて、その灯りは、遠い家々と、そして、天の星と、たしかに、つながっていた。
茶を、もう一杯、淹れた。
三郎は、湯呑みを両手で包んで、そのあたたかさを、手のひらに感じた。老いた手だった。畑仕事で、節くれだった、しみだらけの手。この手で、菊江の手を、幾度、握っただろう。若いころは、照れくさくて、めったに握らなかった。年をとってから、菊江が病んでから、三郎はよく、菊江の手を握った。病室で、菊江の、細くなった手を、この、節くれだった手で、包んだ。あたためるように。
菊江の手は、いつも、冷たかった。末期には、ことに冷たかった。三郎は、その冷たい手を、自分の手で、あたためた。あたためても、あたためても、菊江の手は、冷たかった。それでも、三郎は、あたためつづけた。それしか、してやれることが、なかったから。
いま、三郎の手のなかにあるのは、湯呑みのあたたかさだ。菊江の手ではない。それでも、三郎は、この、湯呑みのあたたかさを、握りしめる。あたたかいものを、手のなかに、握りしめていたかった。
ふと、三郎は、思う。
灯りをともす、ということは、つまり、こういうことなのかもしれない、と。
一人になって、明るさを諦めることは、たやすかった。灯りなど、みんな消して、暗いなかで、じっとしていることも、できた。飯も、食わずにすませることが、できた。ラジオも、消して、しんとした部屋で、ただ、時が過ぎるのを、待っていることも、できた。そうやって、だんだんと、なにもかもを、消していくことも、できたはずだった。
けれど、三郎は、そうしなかった。
毎晩、灯りを、ひとつ、ともす。鍋を、火にかける。豆腐を、切る。茶を、淹れる。いただきます、と、言う。子守唄を、口ずさむ。向かいの座布団を、敷いておく。ラジオを、つけておく。片方だけの手袋を、しまっておく。青いマッチ箱を、卓の隅に、置いておく。
そのひとつひとつが、灯りをともす、ということなのだった。
菊江のいない部屋に、それでも、灯りをともす。一人ぶんの、湯気を立てる。それは、菊江を忘れないためでもあり、菊江を、まだ、この家に、いさせるためでもあった。灯りをともしているかぎり、この家は、まだ、暗くない。まだ、生きている。まだ、菊江と過ごした日々の、あたたかさの、名残がある。
柱時計が、八時を打った。
ぼーん、ぼーん、と、鈍い音が、八つ、部屋に響いた。この時計も、菊江の嫁入り道具だった。もう、ずいぶん古い。ときどき、遅れる。三郎は、月に一度、時計のねじを巻く。ねじを巻くとき、三郎は、この時計が、菊江の実家から、この家に来た日のことを思う。何十年も前のことだ。若かった。菊江も、若かった。時計だけは、あのころと、同じ顔をして、いまも、時を刻んでいる。
八時。まだ、宵だ。
宵は、長い。夜が、これから、ふけていく。この、灯りひとつの部屋で、三郎は、これから、寝るまでの時間を、過ごす。することは、たいしてない。茶を飲んで、ラジオを聞いて、それから、湯たんぽに湯を入れて、床につく。それだけの、宵。
それでも、三郎は、この宵の時間が、きらいではなかった。
いちばんつらいのは、夜明けだった。目が覚めて、まだ、菊江がいないことを、思いだす、あの一瞬。眠りのなかでは、ときどき、菊江がいた。夢のなかで、菊江は、まだ、元気で、台所に立って、湯豆腐を、こしらえていた。目が覚めて、それが夢だったと分かる、あの、明け方の一瞬が、いちばん、つらかった。
それにくらべれば、宵は、まだ、しのぎやすかった。宵には、一日の疲れがある。あたたかい飯がある。灯りがある。ラジオの、人の声がある。菊江のいないことは、もう、身についてしまっている。だから、宵は、この、灯りひとつの部屋で、しずかに、過ごせる。
三郎は、湯呑みを、置いた。
そして、立ちあがって、仏壇の前に、座った。
仏壇の、菊江の写真は、まだ、若い。
七回忌には、まだ、遠い。四回忌が、済んだところだ。写真は、菊江が、五十を過ぎたころのものだった。菊江が、いちばん、菊江らしかったころ。ふっくらとして、笑って、目じりに、しわを寄せて。三郎は、この写真を選ぶとき、ずいぶん迷った。もっと若いころの写真もあった。病む前の、元気なころの写真も。それでも、三郎は、この、五十過ぎの、笑った写真を選んだ。いちばん、いっしょに笑った時分の、顔だったから。
三郎は、卓の隅の、青いマッチ箱を取ってきた。
からから、と振って、一本、取りだす。しゅっと、擦る。ちいさな火が、生まれる。橙色の、揺れる、ちいさな炎。三郎は、その火を、仏壇の蝋燭に、移した。蝋燭に、火が、ともる。ゆらり、と、炎が、揺れる。
それから、線香に、火をつけた。細い煙が、まっすぐに、立ちのぼる。線香の匂いが、部屋に、ひろがる。この匂いを嗅ぐと、三郎は、いつも、すこし、落ちつく。菊江の匂い、ではないけれど、菊江のいる場所の、匂いだった。
「菊江」
三郎は、写真に、呼びかけた。
「今日も、湯豆腐だ。おまえの好きな、湯豆腐だ」
写真の菊江は、笑っている。返事は、ない。それでも、三郎は、話す。ラジオの人の声に、話すのとは、違う。これは、菊江に、話している。返事のないことを、承知で、話している。
「彗星が、出とるぞ。ほら、あの、蒼い星だ。おまえが、昔、教えてくれた。ミラ彗星、というたか。また、出とる。おまえ、見とるか」
蝋燭の炎が、ゆらり、と揺れた。まるで、返事をするように。三郎は、その揺れを、返事だと、思うことにした。ばかばかしい、と思いながら、それでも、そう思うことにした。そう思わなければ、やっていけない夜も、ある。
三郎は、蝋燭の、橙色の炎を、しばらく、見つめた。
小さな炎だった。台所の電球でもなく、卓の電気スタンドでもなく、ただ、蝋燭の、揺れる、ひとつの炎。この炎は、電気の灯りとは、また、違う。電気の灯りは、動かない。じっと、同じ明るさで、そこにある。けれど、蝋燭の炎は、生きている。ゆらゆらと、揺れて、息をして、いまにも消えそうになって、また、持ちなおして。まるで、いのちのように。
菊江のいのちも、こんなふうだったな、と、三郎は思った。末期には、ゆらゆらと、揺れて、いまにも消えそうになって、また、持ちなおして。そうやって、何度も、揺れて、そうして、とうとう、消えた。ふっと、消えた。この、蝋燭の炎が、いつか、ふっと消えるように。
菊江の、最期の夜のことを、三郎は、憶えている。病室の、あの、青白い蛍光灯を、三郎は、消してもらった。看護婦さんに、頼んで。かわりに、枕もとの、小さな灯りだけを、ともした。橙色の、やわらかな灯りを。菊江は、もう、ほとんど、口をきけなかった。それでも、その、橙色の灯りのなかで、菊江は、いちど、目をあけて、三郎を、見た。そして、かすかに、笑ったように、見えた。三郎は、菊江の、冷たい手を、握っていた。眠るように、と、菊江が、逝ったのは、その夜の、明け方のことだった。あの、枕もとの、橙色の灯りが、菊江の、この世で見た、最後の灯りだった。
だから、三郎は、青白い蛍光灯を、いまも、点けないのだ。菊江の、最期を看取った、あの、橙色の、やわらかな灯り。あの色を、三郎は、この家に、ともしつづけている。菊江が、最後に見た、あたたかい色を。この家を、あの夜の、病室の、橙色の灯りと、同じ色で、満たしておきたかった。そうすれば、菊江が、もし、どこかから、この家を、のぞくことが、あるのなら、あの夜の灯りと、同じ色を、見つけて、ああ、ここが、うちだ、と、迷わずに、帰ってこられるような気がして。
三郎は、仏壇に、手を合わせた。
なにを祈る、というのでもない。菊江の、成仏を祈る、というほど、殊勝な気持ちでもない。ただ、手を合わせる。合わせて、目を閉じる。目を閉じると、まぶたの裏に、菊江のいたころの、この家の、夜が、うかんでくる。
天井の蛍光灯が、こうこうとついていた。ラジオなど、ついていなかった。卓には、大きな土鍋が、湯気を、もうもうと立てていた。菊江が、向かいに座っていた。眼鏡を、くもらせて。「熱いうちにねえ」と、言っていた。二人で、あってもなくてもいいような話を、していた。柱時計が、八時を、打った。菊江が、あくびを、した。「もう寝ましょうか」と、言った。
あの夜が、いくつも、いくつも、あった。数えきれないほど、あった。あたりまえの、なんということもない、夜が。あのころは、それが、あたりまえだと、思っていた。ずっと、つづくものだと、思っていた。あたりまえの夜が、あたりまえに、明日も、あさっても、来年も、来るものだと。
来なかった。
あたりまえの夜は、ある日、ぷつりと、来なくなった。あたりまえは、あたりまえでは、なかった。あたたかい、湯気の向こうに、菊江の顔がある、あの夜は、二度と、来ない。
それでも――と、三郎は、目を閉じたまま、思う。
それでも、あの夜が、あったことは、たしかだ。あったことは、消えない。あの、湯気の向こうの、菊江の顔は、いまも、三郎の、まぶたの裏に、ある。手を合わせて、目を閉じれば、いつでも、そこに、ある。あの夜は、過ぎ去ったけれど、なくなったわけでは、ない。三郎のなかに、まだ、ともっている。ちいさな、灯りのように。
三郎は、目を、あけた。
蝋燭の炎は、まだ、揺れていた。三郎は、その炎を、しばらく、そのままにしておいた。すぐには、消さなかった。もう、しばらく、菊江のそばに、灯りを、ともしておきたかった。
台所に戻って、三郎は、洗いものを、した。
茶碗ひとつ、皿ひとつ、湯呑みひとつ、箸ひとそろい、土鍋ひとつ。一人ぶんの、洗いもの。すぐに、済む。菊江がいたころは、洗いものも、二人ぶんあった。三郎が、洗って、菊江が、拭いた。あるいは、菊江が、洗って、三郎が、拭いた。どちらでも、よかった。二人でやれば、洗いものも、はやく済んだ。喋りながら、やれば、ちっとも、苦にならなかった。
いまは、一人で、洗って、一人で、拭く。ラジオの、人の声だけが、そばに、ある。
窓の外を、また、見た。
蒼い彗星は、まだ、宵闇の空に、かかっていた。さっきよりも、すこし、位置が、変わっていた。ゆっくりと、天を、渡っていくのだった。家々の灯りは、いくつか、消えていた。あの家では、もう、寝る支度を、はじめたのだろう。団欒が、終わって、それぞれの、眠りに、つくのだろう。
三郎は、洗った茶碗を、水切りかごに、伏せた。
一人分の湯気は、もう、消えていた。土鍋の底に、昆布が、一枚、残っていた。三郎は、その昆布を、捨てずに、小鉢に、とっておいた。明日、佃煮に、する。菊江が、そうしていた。湯豆腐の昆布は、捨てるものではない、佃煮にすれば、もう一品になる、と。もったいない、が、菊江の口癖だった。その、もったいない、を、三郎は、いまも、守っている。菊江の教えた、暮らしのやりかたを、ひとつずつ、守って、暮らしている。それが、菊江と、まだ、いっしょに、暮らしていることに、なるような気がして。
洗いものを済ませて、三郎は、湯たんぽに、湯を入れた。
やかんの湯を、湯たんぽに、そそぐ。ぼこぼこと、湯が、入っていく。金属の湯たんぽが、みるみる、あたたかくなる。三郎は、その、あたたかい湯たんぽを、両手で、包んだ。あたたかかった。このあたたかさを、布団のなかに、持っていく。冷たい布団を、このあたたかさで、あたためる。一人の布団は、冷たい。だから、湯たんぽが、要る。
菊江がいたころは、湯たんぽなど、要らなかった。二人でいれば、布団は、あたたかかった。人の体が、いちばんの、湯たんぽだった。菊江の背中に、三郎は、よく、足を、くっつけた。冷たい、と、菊江は、いやがった。それでも、三郎は、くっつけた。菊江の体は、あたたかかった。
いまは、湯たんぽが、菊江の、かわりだった。金属の、冷たい、かたい湯たんぽが。それでも、湯を入れれば、あたたかくなる。あたたかいものは、なんであれ、ありがたかった。三郎は、そのあたたかさに、額を、寄せてみた。ひやりとした金属の外側が、じきに、じんわりと、あたたかくなった。菊江の背中ほどでは、ないけれど。それでも、あたたかい、と、三郎は思った。あたたかいものが、この家に、まだ、ある。それだけで、じゅうぶんだ、と、思うことにした。
三郎は、その、あたたかい湯たんぽを、抱えて、茶の間に、戻った。そして、もう一度、仏壇の前に、座った。蝋燭の炎は、まだ、揺れていた。ずいぶん、短くなっていた。もう、じきに、消えるだろう。
三郎は、その炎を、見つめた。
そして、ふっと、息を、吹きかけて、消した。
炎は、あっけなく、消えた。細い煙が、ひとすじ、立ちのぼって、それから、暗がりに、溶けた。線香は、まだ、燃えていた。赤い、小さな火が、線香のさきに、ぽつりと、ともっていた。その火が、灰になって、落ちるまで、三郎は、じっと、見ていた。
「おやすみ、菊江」
三郎は、写真に、言った。
写真の菊江は、笑っている。三郎は、その笑顔に、おやすみ、と、もう一度、心のなかで、言った。おやすみ。また、明日。明日も、湯豆腐かもしれん。それとも、鍋にでも、するか。おまえの、好きだった、寄せ鍋にでも。
三郎は、立ちあがって、卓の、電気スタンドを、消した。
橙色の灯りが、ふっと、消えて、茶の間が、暗くなった。台所の、裸電球だけが、まだ、ついていた。三郎は、その、台所の灯りを、消しに、行った。
消す前に、もう一度、窓の外を、見た。
蒼い彗星は、まだ、そこに、あった。宵闇の、いちばん高いところに、たったひとつ、冷たく、冴えて、かかっていた。家々の灯りは、もう、ほとんど、消えていた。それぞれの家の、団欒が、終わって、それぞれの、灯りが、消えていた。地上は、暗く、沈んでいた。その、暗く沈んだ地上のうえに、蒼い星だけが、ひとつ、まだ、ともっていた。
三郎は、その蒼い光を、見あげて、それから、台所の、裸電球を、消した。
家じゅうの灯りが、消えた。
暗闇のなかを、三郎は、手さぐりで、寝間へ、向かった。この家のことなら、目をつぶっていても、歩ける。何十年も、住んだ家だ。柱の位置も、敷居の高さも、体が、憶えている。
ただ、ラジオだけは、消さなかった。
暗い台所で、ラジオだけが、まだ、ぼそぼそと、喋っていた。夜ふけの番組に、変わっていた。低い、男の声が、なにか、しずかな話を、していた。三郎は、その声を、消さずに、おいた。誰もいない、暗い部屋で、ラジオだけが、喋りつづける。それでいい、と三郎は思う。この家に、ひとつくらい、声が、あってもいい。しんと、静まりかえった家に、寝るのは、いやだった。
寝間に、入って、三郎は、布団に、もぐりこんだ。
湯たんぽが、足もとで、あたたかかった。そのあたたかさに、足を、寄せる。冷たかった布団が、だんだんと、あたたまってくる。三郎は、目を、閉じた。
遠くで、ラジオの声が、聞こえた。
その声に、まぎれて、三郎は、また、子守唄を、口ずさんだ。
「眠れ……眠れ……星が、海を、わたるまで……」
かすれた、老いた声だった。それでも、三郎は、うたった。誰を、眠らせるためでもない。自分を、眠らせるためだった。菊江が、うたってくれた、子守唄。いまは、自分で、自分に、うたう。眠れ、眠れ。星が、海を、わたるまで。
星が、海を、わたる。
あの、蒼い彗星も、いま、暗い、宇宙の海を、渡っているのだろうか。ひとりで。ながい、ながい、旅を。そうして、いつか、また、この空に、戻ってくる。三郎は、もう、いないかもしれないけれど。それでも、また、戻ってくる。
三郎は、まぶたの裏に、その蒼い光を、思いうかべた。
蒼い光は、やがて、橙色の、あたたかい灯りに、変わった。菊江のいた、あの夜の、灯り。湯気の向こうの、菊江の顔。「熱いうちにねえ」と、菊江が、言う。三郎は、その灯りのなかへ、ゆっくりと、沈んでいった。
眠りが、来た。
一人分の湯気は、その夜も、たしかに、立ったのだった。細く、金色に、宵の灯りのなかで、ゆらめいて、それから、天井の暗がりへと、のぼっていった――誰も見ていなくても、あたたかいものは、あたたかいのだと、そう言うように。