月光書房
子の刻 ・ 真夜中 ・ 第 八 話

ハルバ断片群註解 ――彗星の夜の復元

網野 史
アーカイブSF ・ 未来の研究者の註解 ・ 約25頁

滅びた都市は、たいてい、その最も静かな一夜によって記憶される。本稿は、第七惑星域文書研究所の所蔵する「ハルバ断片群」のうち、整理番号HB-401からHB-419までの十九点を対象とし、滅亡都市ハルバの最後期、とりわけ「彗星の夜」と通称される一夜を復元する試みである。断片はいずれも炭素層位法により概ね同一の年代に属すると判定されているが、相互に矛盾し、また欠落が著しい。読者は、以下に示す復元が暫定的なものにすぎず、いつなんどき新出資料によって覆されうることを、あらかじめ承知されたい。

ハルバについて、われわれが確実に知ることは少ない。それが内陸の交易都市であったこと。環状の鉄道を有し、灯前町と呼ばれる商家の密集する一画があったこと。そして、ある一夜を境に、わずか三年たらずで無人に帰したこと。その滅亡の原因をめぐっては、疫病説、水源枯渇説、交易路の移動による経済的衰退説など諸説が並立し、いずれも決定打を欠く。本稿はこの大きな問いに答えるものではない。本稿が試みるのは、もっと小さなこと――その最後の夜に、この都市で何が起こり、誰がどこにいて、何を思っていたかを、わずかに残された紙片から拾い上げることである。

歴史叙述には二つの態度がある。一つは、出来事の連なりを因果の鎖として再構成し、なぜそれが起こったかを説く態度。いま一つは、一個の人間が一夜のあいだに何を見、何を書き残したかを、その手の温もりごと写し取ろうとする態度。前者を構造の歴史、後者を断片の歴史と呼ぶならば、本稿はもっぱら後者に与する。理由は単純である。ハルバについて、われわれの手元には構造を語るに足る資料がなく、ただ断片だけが、それも当事者の手によるごく私的な断片だけが、奇跡的に残されたからである。

凡例

本文に掲げる原資料は、判読可能な箇所を地の文として示し、判読不能ないし欠損の箇所は〔 〕で示した。原綴りの誤りはそのままとし、註において補った。研究者の註は、各断片の後に番号を付して掲げる。年代・度量衡はすべて現行の標準に換算してある。なお、ハルバ語の音価については定説を見ないため、本稿では便宜的に再建音を用いる。

断片群の伝来について一言する。これらの紙片は、ハルバ址の北東区、いわゆる灯前町の一角から、層位を異にして発掘された。すなわち、もともと一所にまとめて保管されていたものではない。にもかかわらず、後述するとおり、それらは内容上たがいに緊密に連関する。なぜ別々の場所に埋もれていた紙片が、かくも一つの夜を共有するのか。これ自体が本研究の最大の謎の一つであり、私はこれに答える用意をもたない。ただ、紙片を並べる者として、その連関に幾度も息を呑んだことだけは、正直に告白しておく。

断片HB-401(紙片・片面・墨書)

〔 〕日のことを書いておく。明日には店じまいだというのに、客が一人も来ない。雨も降らないのに往来は静かで、まるで街全体が息をつめているようだ。父さんの帳面をめくっていたら、ずっと昔の頁に、祖父の字で「ミラ、北西の空、低し」と書いてあった。誰のことだろう。女の名のようでもあり、星の名のようでもある。〔 〕

註(一)――この断片は、ハルバ市街の北東区、いわゆる「灯前町」の家屋址から発見された。筆者は商家の人間、おそらく若年の男子と推定される。「店じまい」がこの一夜の常態であったのか、それともこの家のみの事情であったのかは判然としない。注目すべきは末尾の「ミラ」である。研究史において、この語はながらく女性名と解されてきた。ハルバの婚姻記録には類似の音をもつ女性名がいくつか見え、そのうちの一つに比定する説が有力であった。だが後述するように、私はこの解釈に疑問をもつ。「北西の空、低し」という記述が、人名としてはいかにも据わりが悪いからである。

断片HB-402(厚紙・印刷・一部手書き)

ハルバ環状鉄道 夜半線 北東環状駅より終端駅まで 一名 〔 〕の刻発 座席指定なし 払戻不可 /(裏面に鉛筆書きで)「行くだけは行く。帰りのことは考えない」

註(二)――乗車券である。「夜半線」は、ハルバ末期に運行されていた深夜専用の環状路線と考えられる。終端駅の所在は今日まで特定されていない。市域の発掘図と照合するかぎり、環状線はその名のとおり閉じた環をなしており、「終端駅」なるものは物理的に存在しえないはずである。にもかかわらず券面はこれを明記する。私はかつてこれを印刷の誤りと片づけた。だが断片群を通読するうち、ハルバの人々にとって「終端駅」が単なる地名以上の何かであった可能性に、しだいに思い至るようになった。裏書きの一句は、筆跡からHB-401と同一人物のものである公算が高い。すなわちこの若者は、店じまいの夜に、帰る当てもなく環状線に乗ろうとしていた。

断片HB-403(硝子乾板・陽画・損傷甚大)

(画像。夜の街路。中央やや左に、瓦斯灯らしき光源。その奥に、低い軒の連なる一画。右上隅、空に細く長い光条が斜めに走る。画面下辺に手書きで「これが写るとは思わなかった」)

註(三)――写真である。保存状態は劣悪で、乳剤の大半が剥落している。だが右上隅の「光条」は鮮明に残る。当初これは乾板の傷、あるいは現像時の漏光と判断された。私自身、長らくそう信じていた。しかし複数の断片に共通して現れる「蒼白く長い尾を引く星」の記述を考え合わせるとき、この光条を傷と断ずるのはあまりに性急であろう。これは彗星である。ハルバの天文記録は失われて久しいが、近隣の三都市の年代記には、ほぼ同時期に「夜空を一度だけよぎった蒼い客星」の記載がある。学界はこれを仮に「ミラ彗星」と呼び慣わしてきた。回帰周期の長い、忘れられたころに戻ってくる星である。とすれば――HB-401の祖父が帳面に記した「ミラ」もまた、女ではなく、この星であったのではないか。一周期前にこの星を見た老人が、孫の代にまた巡りくるはずのその名を、書きつけておいたのではないか。確証はない。だが、そう考えたとき、私のなかで何かが静かに腑に落ちた。

補足しておく。「ミラ」という再建音をめぐっては、初期の研究者の多くが女性名説を採った。その背景には、滅亡都市の物語を悲恋の枠組みで読みたがる、研究者側のある種の願望があったように思う。失われた都市には失われた恋人がふさわしい、という無意識の構図である。私はこの構図を疑う。資料を、われわれの感傷の鋳型に流しこんではならない。だが――皮肉なことに、その同じ感傷から最も自由でありたいと願う私自身が、後段において、誰よりも深く感傷に足を取られることになる。学問の禁欲とは、かくも脆いものである。あらかじめ、この告白を記しておく。

断片HB-403補(紙片・墨書・HB-401と同筆・写真と同梱)

写真機は祖父の遺品だ。動くとは思っていなかった。窓のそばで、なんとなく外に向けて一枚撮った。あとで乾板を出してみたら、空に変なものが写っていた。傷だろうか。それとも、あれが写ったのだろうか。祖父が「ミラ」と書いたあれが。だとしたら、祖父は六十年前にこれを見て、また来ると知っていて、それを孫に伝えようとしたのだ。私はその孫だ。私は、それを見ている。

註(三の二)――前掲の写真と同じ場所から出土した紙片で、撮影者自身による覚書とみてよい。本断片は、HB-403の光条が彗星であることを、当事者の側からほぼ確証する。同時に、「ミラ」が祖父の代から伝えられた星の名であったことを明示し、註(三)で私が述べた推論を裏づける。六十年――この数字は、ミラ彗星の回帰周期に関する近隣年代記の記載とおおむね合致する。祖父は一周期前にこの星を見、孫はいままた同じ星を見ている。二つの観測のあいだに、一個の人間の生涯がまるまる横たわる。星は、人の一生を尺度にして巡るのではない。人の一生のほうが、星の周期の中に、つかのま点される小さな灯にすぎない。この遠近の感覚こそ、ハルバ断片群が読む者に贈る、最も静かな贈り物であろう。

断片HB-404(紙片・両面・走り書き、判読困難)

(表)買うもの/油、芯、塩、〔判読不能〕、子どもの薬。(裏)泣きやまない。ゆうべもひとばんじゅう。だっこして窓のそばを歩く。歌をうたうと少しだけ眠る。眠れ、眠れ、〔 〕

註(四)――家計の覚書と、その裏に記された育児の記録である。筆者はHB-401・402とは別人、おそらく成人女性と推定される。注目すべきは裏面末尾の「眠れ、眠れ」である。これは後述するハルバの子守唄の冒頭句にあたる。本断片では二語のみで途切れているが、他の断片との照合により、その先を復元しうる。この一点だけでも本断片の史料的価値は大きい。なお「子どもの薬」の記載は、この夜のハルバに病者がいたことを示す。後段で触れるとおり、末期のハルバには疫の影が差していたとする説があり、本断片はそれを補強する。

断片HB-405(書籍目録の断片・印刷)

〔 〕番 月光書房 所在地不定 /取扱 古書全般、稀覯本、暦書、星図/注記 「当店は彗星の見ゆる夜にのみ開き、夜明けとともに閉ず。常の日に訪ぬるなかれ」

註(五)――ある書籍商組合の目録の一葉と思われる。「月光書房」なる書店は、現存するハルバの商業記録のいずれにも見えない。所在地が「不定」と記され、開店が天文現象に左右されるという注記からして、実在の店舗とは考えにくい。私見では、これは末期ハルバに流布した一種の伝承、あるいは符牒の類であろう。すなわち「彗星の夜にだけ現れ、朝には消える書店」という観念が、目録という即物的な文書のなかにまで紛れこんでいる。この事実はむしろ、当時のハルバ人にとって、伝承と現実の境がいかに薄かったかを物語る。商人が目録に幻の店を載せ、しかも誰もそれを訂正しなかった――そういう街であった。

なお、月光書房の名は、ハルバ域外の資料にも一度だけ現れる。近隣の港湾都市の船員日誌に、「ハルバにて、彗星の夜にのみ開く書肆ありと聞く。買い求めし暦書、まことに不思議の品なり」との記載がある。これがハルバの伝承の伝播にすぎないのか、それとも何らかの実体を指すのか、判断はつかない。ただ、滅びた都市の幻の書店の名が、海辺の街の、塩に汚れた水夫の手帳にまで漂着していたという事実は、私の胸を妙にざわつかせる。物語は、都市が滅びても、なお人づてに旅をする。あたかも、店じまいした書肆の灯が、どこか別の夜の空に移って瞬きつづけるかのように。

断片HB-406(紙片・墨書・HB-401と同筆)

月光書房に行ってきた。あると思っていなかったのに、灯前町の角を曲がったところに、ほんとうにあった。昼間は古着屋だったはずの場所だ。老人が一人いて、星図ばかり並べていた。「探しものは」と訊かれたので、「帰る場所」と答えてしまった。自分でも驚いた。老人は笑って、いちばん奥の棚から一冊抜いて寄越した。代金はいらないという。表紙には何も書いていなかった。

註(六)――HB-401の筆者による続きの記録である。前掲の「月光書房」を伝承と断じた私の註(五)は、この断片によって揺らぐ。筆者は明確に、その店を訪れ、店主と言葉を交わし、書物を受け取ったと記す。むろん、これを文字どおり受け取る必要はない。動揺した若者の幻想、あるいは比喩的な記述とみなすこともできよう。だが私は、ここで判断を急ぐまい。史料は、それが事実か否かを問う前に、まずその語り口を尊重すべきものだからである。「探しものは」「帰る場所」――この短い応答に、私はこの一夜のハルバの体温のようなものを感じる。学術がしばしば取りこぼすのは、まさにこの種の温度である。

断片HB-407(写真・名刺判・人物像)

(画像。室内。若い男が椅子に腰かけ、膝に表紙のない書物を載せている。表情は硬い。背後の窓の外、わずかに空がのぞき、そこに細い光が一条。画面裏に「これでいい。これでおしまいにする」)

註(七)――人物写真である。被写体の男は、断片群の筆跡分析および状況から、HB-401・402・406の筆者と同一人物である蓋然性が高い。膝上の「表紙のない書物」は、HB-406で店主から受け取ったという一冊に対応するものと見てよかろう。窓外の光条は、ここでもまた彗星と解しうる。問題は裏書きの「これでおしまいにする」である。何を「おしまい」にするのか。文脈は与えられていない。家業の店じまいを指すとも、より深刻な決意を指すとも読める。私は永らく前者を採ってきた。だが――この若者が「帰りのことは考えない」と書き(HB-402)、「帰る場所」を探し(HB-406)、そして「これでおしまいにする」と記した、その連なりを追うとき、私はもはや前者の解釈に安んじていられない。

断片HB-408(紙片・印刷・広告)

ハルバ製薬商会謹告/このたびの流行り病につき、当会の煎じ薬を半値にて頒布いたし候。乳幼児・老人を優先す。受付は北東環状駅前仮設所にて。在庫かぎり。

註(八)――製薬商会の広告である。「流行り病」の語は、末期ハルバに疫病が蔓延していたとする説を裏づける。受付場所が「北東環状駅前」とされる点は、HB-402の乗車券(北東環状駅発)と符合し、この夜、北東環状駅が一種の結節点となっていたことを示唆する。病者と薬を求める人々がそこに集まり、同じ場所から夜半線が発っていた。HB-404の女性が求めた「子どもの薬」も、あるいはここで頒けられたものか。断片どうしは、こうしてゆるやかに、しかし確かに、互いを照らし合う。一つひとつは沈黙していても、並べれば声を発しはじめる。それが断片群を扱う者の、ささやかな喜びである。

断片HB-408補(紙片・墨書・帰属未詳)

駅前の薬の列に並んだ。前にも後ろにも、おなじ顔の人たちがいる。みんな黙って、ときどき空を見上げる。北西の空に、あの星が出ている。誰も口に出さないけれど、みんな知っている。父祖の代から言い伝えられてきたあの星。あれが出たら、街が一つ消えるのだと。それでも、私たちは薬の列に並んでいる。明日があると信じている者のように。あるいは、明日がないと知っているからこそ、せめて今夜だけは、子の熱を下げてやりたいのかもしれない。

註(八の二)――薬を求める列に並んだ者の覚書である。筆者の帰属は定めがたいが、「子の熱」への言及から、HB-404・410の母親である可能性も捨てきれない。本断片の価値は、滅亡を予感しながらなお日常の所作を続ける、末期ハルバの人々の心性を、一筆で写し取っている点にある。「明日がないと知っているからこそ、せめて今夜だけは」――この逆説に、私は滅びゆく都市の尊厳のようなものを見る。彼らは取り乱さなかった。星を見上げ、それでも列に並び、子の薬を求めた。歴史は滅亡を結果から語る。だが滅亡を生きる者にとって、それは結果ではなく、ただ次々と訪れる「今夜」の連なりであった。この当たり前の事実を、われわれはしばしば忘れる。

断片HB-409(楽譜の断片・手書き五線・歌詞付)

(旋律。短調。緩やかな三拍子。歌詞)眠れ、眠れ、星が海をわたるまで/眠れ、眠れ、〔 〕がもどるまで/〔以下欠〕

註(九)――ハルバの子守唄の楽譜断片である。HB-404の裏書きと同一の歌であることは、冒頭句の一致から疑いない。本断片によって、われわれはこの唄の旋律と、第二句までの歌詞を回復しえた。「星が海をわたるまで」という詩句は、ハルバが内陸の都市であったことを思えば、いささか奇異である。ハルバから海は見えない。にもかかわらず、その子守唄は星が海を渡るさまを歌う。私はここに、失われた何かの記憶――あるいは憧れ――の痕跡を見たい気がする。なお第二句の欠損部「〔 〕がもどるまで」については、復元の試みを後段に譲る。

断片HB-410(紙片・墨書・別筆、女性筆と推定)

子どもの熱がやっと下がった。窓を開けたら、夜気がつめたくて、空に見たこともない星が出ていた。長い尾を引いて、青白くて、ゆっくり動いていく。子どもを抱きあげて見せてやった。覚えていないだろうけれど、いつか「あの夜、母さんが星を見せてくれた」と、思い出してくれたらいい。それだけでいい。歌ってやった。眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。眠れ、眠れ、彗星がもどるまで。

註(十)――HB-404と同筆、すなわち同一女性の手になる記録である。本断片は、本研究にとって決定的な意味をもつ。第一に、これはHB-403・407に現れた「光条」が、傷でも漏光でもなく、まぎれもなく彗星であったことを、当事者の言葉で確証する。「長い尾を引いて、青白くて、ゆっくり動いていく」――これ以上明瞭な彗星の描写はない。第二に、本断片はHB-409の子守唄第二句の欠損を埋める。「〔 〕がもどるまで」は、「彗星がもどるまで」であった。母は病み上がりの子を抱き、回帰する星を見上げ、その星がふたたび戻る遥かな未来までの眠りを、わが子に歌って聞かせたのである。星の回帰周期を思えば、それは母も子もこの世にない時の彼方を指す。子守唄が、これほど遠い時間を抱きうるとは。私は註釈者の本分を忘れ、しばし手をとめた。

断片HB-411(乗車券・改札の刻印あり・HB-402と連番)

ハルバ環状鉄道 夜半線 北東環状駅 〔 〕の刻 改札済/(裏面、別筆・走り書き)「席はがらがらだった。窓のそとを星が流れていた。終端駅まで、と言ったら、車掌が黙ってうなずいた」

註(十一)――HB-402と連番の乗車券であり、改札の刻印があることから、実際に使用されたものと判明する。すなわちあの若者は、夜半線に乗車した。裏書きはHB-401の筆者の手による。「終端駅まで、と言ったら、車掌が黙ってうなずいた」――環状線に終端はないはずである。にもかかわらず車掌はうなずいた。これをどう解すべきか。私はかつて、これを若者の錯乱の証左と読んだ。今は読まない。ハルバの末期、人々は「終端駅」という言葉に、おのおのの行き場を託していたのではないか。車掌がうなずいたのは、その託しを受けとめる仕草だったのではないか。むろん、これは推論の域を出ない。出ないが、私はこの推論を捨てがたい。

断片HB-412(紙片・墨書・HB-401と同筆・乱れた字)

車内で、表紙のない本を開いた。なかは白紙だった。一字も書いていない。だまされたと思ったが、最後の頁にだけ、小さな文字で一行あった。「探しものは、探すのをやめたときに見つかる」。窓の外を彗星が流れていく。子守唄が聞こえる気がする。となりの車両で、母親が子をあやしているのか。眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。〔 〕

註(十二)――車中の記録である。「表紙のない本」の中身が白紙であった、という叙述は、HB-406で店主が寄越した一冊についての続報である。白紙の書物――これを字義どおりに受け取れば、月光書房の店主は若者を欺いたことになる。だが最後の頁の一行が、その解釈を覆す。「探しものは、探すのをやめたときに見つかる」。この句が後世の付加か、原本の一部かは判定しがたい。本断片で重要なのは、若者が車内で子守唄を「聞いた」と記す点である。前掲のとおり、子守唄を歌っていた母(HB-404・410)は、北東環状駅周辺にいたと推定される。若者もまた同駅から乗車した。両者が同じ夜、同じ列車の隣り合う車両に居合わせた可能性は、決して低くない。資料の断片どうしが、この一夜のなかで、たがいに知らぬまま、たしかに触れ合っていた――そう考えることを、史料は禁じない。むしろ、ひそかに許しているように、私には思われる。

断片HB-413(硝子片・刻印・三日月文様)

(深い藍色の小箱の蓋とおぼしき硝子質の破片。表面に三日月の文様が陰刻されている。側面にかすかな摩擦痕。内部に微量の燐化合物が検出された)

註(十三)――マッチ箱の遺物である。深い藍色の地に三日月を刻したこの意匠は、ハルバ域内の複数の遺址から出土しており、ある程度普及した商品であったと知れる。燐化合物の検出から、内容物はマッチであったとみてよい。三日月の意匠は「月光堂」なる製造元のものと推定されるが、確証はない。一見、本研究の主題とは無縁の生活遺物にすぎない。だが私は、この小さな藍色の箱に、奇妙な愛着を覚える。彗星の夜、暗がりのどこかで、誰かがこの箱を擦り、つかのま灯をともした。煙草に火を点けたのか、子の薬を煎じる竈に火を移したのか、あるいは表紙のない書物を読むための、わずかな明かりであったのか。それは分からない。分からないが、その小さな火が、たしかにこの夜のハルバのどこかで灯った。それだけで充分のような気がする。

付言すれば、「月光堂」と「月光書房」――この二つの名の類似は、偶然であろうか。一方はマッチの製造元、他方は幻の書店。だが、いずれも「月光」を冠する。私はここに、ハルバ末期の人々がひとしく抱いた、ある心象の核を見たい。彗星の夜、彼らは月の光のもとで、小さな火を擦り、星図の書物を繰った。月光は、滅びゆく都市の、最後のよすがであったのかもしれない。むろん、これは詩であって考証ではない。線を引きすぎたなら、読者は笑って捨て置かれよ。

断片HB-413補(紙片・墨書・HB-410と同筆・女性筆)

竈の火が消えていたので、藍色の箱を擦って、また点けた。三日月の箱だ。母の代からあるものだ。薬を煎じながら、子の寝顔を見ていた。熱はもう下がっている。それなのに、私は家を出ようとしている。なぜだろう。父さんがもう長くないと聞いてから、家のなかの空気が、息を吸うたびに痛い。今夜だけ、この子と、夜の街を見てこよう。星が出ているうちに。火を消した。箱を懐に入れた。手袋を探したけれど、片方しか見つからなかった。片方だけ嵌めて、出た。

註(十三の二)――HB-410・404の母親による、出立直前の記録である。本断片は、母親が夜半線に乗るに至った動機を、いくらか明らかにする。父の死期、家の中の重い空気、そこから逃れるための一夜の外出。これがHB-415の「ただ家にいられなかった」と完全に呼応する。注目すべきは末尾の「手袋を探したけれど、片方しか見つからなかった。片方だけ嵌めて、出た」である。対になるはずのものが、片方だけ残されている――この小さな失せ物が、本断片に得もいわれぬ翳りを添える。失われた片方の手袋は、やがて失われる父であり、やがて滅びる都市であり、ついに言葉を交わさぬまま隣り合った若者であったかもしれぬ。むろん、ただの手袋である。だが、ただの手袋が、これほど多くを語ることがある。これも、断片を扱う者の役得であろう。

断片HB-414(紙片・墨書・別筆・男性筆と推定、別人)

終端駅などない。あるわけがない。私は鉄道の保線に三十年勤めた。夜半線は環だ。ぐるぐる回るだけだ。なのに今夜にかぎって、乗客どもが「終端駅」「終端駅」と言う。気がふれたか。それとも私のほうが何か見落としているのか。北西の空に、いやな星が出ている。父がよく言っていた。あの星が出ると、街が一つ消えるのだと。

註(十四)――鉄道保線員と推定される、初出の人物の記録である。本断片は、本研究にいくつかの重い問いを突きつける。第一に、ここでもまた「終端駅」が語られる。それも、終端の不在を最もよく知るはずの保線員によって。にもかかわらず、乗客たちは口々に終端駅を求める。この対比は、終端駅が地理的実在ではなく、ハルバ末期の集合的な心象であったとする見方を、いっそう強める。第二に、「あの星が出ると、街が一つ消える」という伝承の存在である。ミラ彗星の回帰が、滅亡の予兆として語り継がれていた可能性がここに示される。彗星と都市の滅亡を結びつける心性は、他の三都市年代記にも見える。ハルバもまた、その伝承を共有していた。そしてこの夜、星は実際に出た。街は実際に消えた。伝承が的中したのか、それとも――いや、因果を論ずるのは私の役目ではない。

ただ一点、付け加えたい。私はかつて、この保線員の手記を、迷信深い老人の繰り言として読んだ。終端駅などないと繰り返すその頑なさを、滅びゆく都市にしがみつく者の哀れと見た。だが今は違う読みをする。彼は、終端駅の不在を知る、ただ一人の人間であった。乗客たちが幻の終端へ向かおうとするなか、彼だけが「環は閉じている」「どこへも行き着かない」と知っていた。それでも彼は持ち場を離れなかった。回りつづける環状線の、その保線を続けた。行き着く先のない線路を、それでも整えつづける者――私は、この無名の保線員に、自分自身を重ねずにいられない。私もまた、行き着く先のない問いの線路を、生涯かけて整えてきたのだから。

断片HB-415(紙片・墨書・HB-410と同筆・女性筆)

夜半線に乗っている。子どもは私の腕の中で眠った。さっきまで泣いていたのに、星を見せたら泣きやんで、それきり眠ってしまった。どこへ行くというあてもない。ただ家にいられなかった。父さんが熱を出して、もう長くないと医者が言った。私はそれを子どもに気づかせたくなくて、夜の街に出た。窓の外を彗星が流れていく。となりの車両に、若い男の人がいる。ずっと白紙の本を見つめている。さびしそうな背中だ。声をかけようかと思ったけれど、やめた。みんな、それぞれの夜を抱えている。

註(十五)――HB-410・404と同筆、すなわちあの母親の記録である。本断片はHB-412と決定的に呼応する。若者が「となりの車両」で子守唄を聞いたと記し(HB-412)、母親が「となりの車両」に「白紙の本を見つめる若い男」を見たと記す(本断片)。両者は、同じ夜半線の、隣り合う車両に、まぎれもなく居合わせていた。たがいの存在に気づきながら、ついに言葉を交わさなかった。「声をかけようかと思ったけれど、やめた」――この一行を読むたび、私は声をかけてほしかったと願わずにいられない。これは註釈者にあるまじき感傷であろう。承知している。だが、数百年の隔たりを越えて断片を並べる者にだけ見える邂逅というものがある。当人たちには永遠に交わらなかった二本の線が、私の机の上でだけ、そっと触れ合う。私はその一点に、職業的禁欲をもってしても、なお胸を衝かれる。

断片HB-416(書物の遊紙・印刷・蔵書印)

(表紙のない書物の見返しと思われる紙葉。中央に「月光書房蔵」の朱印。その下に手書きで一行)「この本を読み終えた者へ。あなたが探していたものは、ずっとあなたの隣にいた」

註(十六)――月光書房の蔵書印を捺した紙葉である。HB-406・412に現れた「表紙のない書物」の一部とみてよかろう。問題は手書きの一行である。「あなたが探していたものは、ずっとあなたの隣にいた」。HB-412で報告された「最後の頁の一行」とは別の文言であり、本書には複数の書きこみがあったか、あるいは読み進むにつれ文字が現れる仕掛けであったか。後者は荒唐無稽に響くが、月光書房をめぐる伝承の文脈では、必ずしも排除できない。いずれにせよ、この一行を、隣の車両に母子がいたという事実(HB-412・415)の傍らに置くとき、それは恐ろしいほどの符合をなす。若者の探していた「帰る場所」は、隣の車両にいた。むろん、これは偶然の符合にすぎぬのかもしれない。学問は偶然を偶然として記すべきである。だが、私はここで筆が重くなる。

断片HB-416補(紙片・墨書・別筆・店主のものか)

(紙片。古い書肆の便箋とおぼしき罫の上に、震える老人の筆跡で)この街は今夜かぎりだ。私の店も、今夜かぎりで畳む。長いあいだ、彗星の夜ごとに店を開けてきた。客は来ることもあり、来ないこともあった。だが今夜は、若いのが一人来た。「帰る場所を探している」と言った。私は何も書いていない本を渡した。白紙の本だ。なぜなら、帰る場所は、本のなかにはないからだ。その者の隣にあるからだ。私はそれを伝えたかった。伝わったかどうかは、知らない。星が高くなってきた。そろそろ店を閉める刻だ。朝には、この店は、もうどこにもない。

註(十六の二)――月光書房の店主のものと推定される、現存唯一の自筆記録である。本断片の発見は、月光書房をめぐる長年の論争に、新たな一石を投じた。すなわち、店主は実在の人物として、自らの言葉でこの一夜を語っている。これをもって月光書房の実在を証する、と急ぐ向きもあろう。だが私は慎重でありたい。本断片もまた、伝承の枠組みのなかで誰かが「店主になりかわって」書いた一種の創作である可能性を、排除しきれないからである。とはいえ――いずれにせよ、ここには一つの完結した心情がある。「帰る場所は、本のなかにはない。その者の隣にある」。白紙の書物の謎は、ここでようやく解ける。店主は若者を欺いたのではない。最も大切なことは書物に記しえぬと知っていたから、あえて白紙を渡したのである。そして若者の隣には、確かに、母と子がいた。店主はそれを見ていたのだろうか。私は、見ていたと信じたい。これもまた、註釈者の越権である。承知のうえで、私は信じる。

断片HB-417(紙片・墨書・HB-401と同筆・最終とおぼしき)

本を閉じた。最後の頁に、また字が増えていた。「隣を見よ」。顔を上げたら、車両の連結部のむこう、ガラス越しに、母親が子をあやしているのが見えた。歌が、こんどははっきり聞こえた。眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。眠れ、眠れ、彗星がもどるまで。私は立ち上がった。連結部の戸に手をかけた。彗星が、いちばん高いところに来ていた。〔以下、紙の破断により欠〕

註(十七)――HB-401の筆者による、現存最後の記録である。ここで叙述は途絶える。「私は立ち上がった。連結部の戸に手をかけた」――そして紙は破れ、その先は永遠に失われた。若者が戸を開けたのか、母子のいる車両へ渡ったのか、二人は言葉を交わしたのか。われわれは知りえない。資料は、最も知りたい一点を、いつもこうして奪っていく。私は長年この稼業に身を置きながら、この種の欠落に慣れることがついにできなかった。慣れてはならぬとも思う。

ただ、一つだけ確かなことがある。この若者が立ち上がった瞬間、彗星は天頂にあった。物語の山場に、星は一度だけ、街の真上を静かに横切ったのである。

断片HB-417補(紙片・墨書・HB-410と同筆・女性筆・断片群中もっとも保存良好)

連結部の戸が開いた。風が入ってきて、子の前髪が揺れた。隣の車両にいた若い人が、こちらへ渡ってこようとして、戸口で立ちどまっている。何か言いたそうにして、言えずにいる。私も同じだった。私たちは、ただ見つめあった。彗星が、窓いっぱいに尾を引いていた。子が、私の腕のなかで身じろぎして、小さな手を、その人のほうへ伸ばした。眠ったまま。誰に教わるでもなく。その人が、はっとした顔をした。私は歌っていた。眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。眠れ、眠れ、彗星がもどるまで。その人の目に、光るものがあった。それから──〔紙の焼損により、以下を欠く〕

註(十七の二)――母親の側から記された、あの瞬間の記録である。HB-417が若者の側から「私は立ち上がった。連結部の戸に手をかけた」で途絶えるのに対し、本断片は、その戸が開いた後を、母親の目を通して語る。すなわち若者は戸を開け、母子のいる車両の戸口に立った。二人は見つめあった。だが、本断片もまた、最も知りたい一点の直前で焼け落ちている。「それから──」の先は、永遠に失われた。若者と母は言葉を交わしたのか。若者は隣に腰を下ろしたのか。それとも、ただ見つめあったまま、夜半線はめぐりつづけ、やがて朝が来て、街は消えたのか。

私はこの断片を、研究人生の最後に見出した。長く行方の知れなかった一葉が、ある古い私蔵庫の底から、奇跡のように現れたのである。発見の報を受けた夜のことを、私はよく覚えている。私は震える手でそれを開き、そして「子が、小さな手を、その人のほうへ伸ばした」の一行で、こらえきれなくなった。眠ったまま、誰に教わるでもなく、子は手を伸ばした。失われた片方の手袋の、その片方が、ようやく相手を見つけたかのように。学者として、私はこの読みを論証できない。論証する気もない。ただ、私はこの一行のために、半生の禁欲を、よろこんで投げ捨てる。

断片HB-418(公的記録の断片・印刷・別系統の文書)

ハルバ市第〔 〕回市政報告 末文/……かくして当市は、〔 〕の夜を境に急速に衰え、住民の離散あいつぎ、三年を経ずして無人に帰せり。後の世、この地を訪ふ者あらば、ただ礎石のみを見ん。記録者、これを記すに忍びず、筆を擱く。

註(十八)――ハルバの公的記録の、おそらく最末尾にあたる一葉である。本断片は、これまで掲げてきた私的な断片群とは異なり、都市の終焉を俯瞰的に告げる。「〔 〕の夜を境に」の欠損部が、すなわち彗星の夜を指すか否かは断定しがたい。だが断片群全体の年代的整合性からみて、その蓋然性は高い。注目すべきは末文「記録者、これを記すに忍びず、筆を擱く」である。公文書としては異例の、感情のにじむ結びである。滅亡を記録する者もまた、一人の人間であった。冷徹を旨とすべき市政報告の最後の一行が、こうして破れている。私はこの無名の記録者に、数百年の時を隔てて、深い親しみを覚える。彼もまた、私と同じ場所に立っていた。記すに忍びぬものを、それでも記そうとする場所に。

断片HB-419(紙片・墨書・帰属不明・断片群最末)

〔 〕あの夜、私たちは確かにすれ違った。でも、すれ違ったということは、一瞬だけ、同じ場所にいたということだ。それで充分だったのかもしれない。星はもう見えない。海をわたってしまったのだろう。子守唄だけが、まだ耳の奥に残っている。眠れ、眠れ──〔以下欠〕

註(十九)――断片群の最後に置く一葉である。筆跡は摩耗が著しく、HB-401の筆者のものとも、HB-410の母親のものとも判じがたい。あるいは両者のいずれでもない、第三の誰かの手かもしれぬ。帰属は不明とせざるをえない。だが、この帰属の不明こそが、奇妙な慰めを私にもたらす。「あの夜、私たちは確かにすれ違った」――この「私たち」が誰と誰を指すのか、われわれは知らない。知らないからこそ、それは若者と母子であってもよく、保線員と乗客であってもよく、あるいは、この断片を書いた誰かと、数百年後にそれを読む私であってもよい。

結語

以上、本来の整理番号に従えば十九点、後出の補遺をふくめれば二十数点におよぶ断片により、滅亡都市ハルバの「彗星の夜」を、可能なかぎり復元した。残された問いは多い。終端駅はついに特定されなかった。月光書房が実在したか伝承であったかも、結局は決しえなかった。若者が連結部の戸を開けたのか、母子と言葉を交わしたのか――最も知りたいその一点を、紙の破断は永久に閉ざしている。

復元の作業をふりかえれば、それは穴を埋める作業であるより、むしろ穴のかたちを正確に測る作業であった。われわれに分かるのは、ここに何かがあった、という事実だけである。何があったかは分からない。だが、何かがあった輪郭だけは、欠落そのものが教えてくれる。破れた紙の縁が、失われた一文の形を、辛うじて指し示すように。私はこの三十数年、その縁ばかりを撫でてきた。指先に残るのは、いつも、紙の冷たさだけであった。

学者として、私はここで筆を擱くべきである。確証なきことは語るべきでない。それが私の信条であり、半生をかけて守ってきた一線である。

だが、許されるならば、最後に一つだけ、私的なことを記したい。これは復元でも考証でもなく、ただの註釈者の独語である。読み飛ばしてくださってかまわない。

私がこの断片群に出会ったのは、若いころであった。ある夜、北西の空に、長い尾を引く蒼白い星が出た。何百年に一度の回帰だという。私はそれを見上げながら、なぜか、まだ手をつけてもいないこのハルバ断片群のことを思った。あの夜の人々も、同じ星を見上げたのだ、と。星は、滅びた都市と、それを研究する私とを、一本の細い光で結んでいた。

以来、私はこの仕事に生涯を費やした。資料は矛盾し、欠落し、私を幾度も裏切った。それでも私は、断片を並べつづけた。並べれば、沈黙していた紙が声を発する。たがいに知らぬまま隣り合っていた二本の線が、私の机の上でだけ、そっと触れ合う。その一瞬のために、私は生きてきたのだと思う。

私には家族がない。若いころ、ある人と添い遂げる機会があった。だが私はこの仕事を選び、その人を選ばなかった。滅びた都市の紙片を撫でることを、生きた人の手を握ることより、優先したのである。愚かであったと、今は思う。あのとき声をかけていれば、戸を開けていれば、と。だからだろうか。私はこの断片群の若者に、自分を重ねずにいられない。「帰る場所」を探しながら、隣にあるそれに気づけぬ者。気づいたときには、紙はもう破れている。

だが若者は、最後の最後に、立ち上がった。戸を開けた。隣の車両へ渡った。私には、ついにそれができなかった。せめて彼にだけは、できていてほしい。これは復元ではない。考証でもない。ただの、年老いた一人の研究者の、身勝手な祈りである。

私もまた、一度だけすれ違いたかったのかもしれない。あの夜の、あの若者と。あの母と子と。声をかけたかった。終端駅などないと、けれど隣を見よと、伝えたかった。むろん、それは叶わない。数百年の隔たりは、紙の破断よりも深い。

子守唄を、私は復元した。「眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。眠れ、眠れ、彗星がもどるまで」。星の回帰周期を思えば、それは気の遠くなるほど遠い未来を指す。母は、わが子のためにそれを歌った。そして今、私は気づく。あの母は、知らぬまに、私のためにも歌っていたのだ。彗星がもどるまで眠れ、と。私が生まれるよりも、遥か以前に。

星はまた巡ってくる。次にあの蒼い尾が空をよぎるとき、私はもうこの世にいない。だが、誰かがまた、この断片を手に取るだろう。そして、私が並べたこの十九の紙片の上で、若者と母子は、何度でも、たがいに知らぬまますれ違うだろう。

すれ違うということは、一瞬だけ、同じ場所にいたということだ。それで充分だったのかもしれない。

眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。私は、ここに筆を擱く。記すに忍びず、ではない。記しえて、よかったと思いながら。

この物語にひそむ符牒

ほかの物語と、ひそかに分かち合っているもの:

  • ミラ彗星
  • 月光堂のマッチ
  • 子守唄
  • 月光書房
  • 片方の手袋

十二をつなぐ符牒について →

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