月光書房
丑の刻 ・ 丑三つ時 ・ 第 六 話

送り提灯

野辺 静馬
民俗怪談 ・ 約25頁

一

盆を過ぎて幾日か経ったのに、その年の暑さはなかなか去らなかった。日中はまだ蝉が鳴き、田の水はぬるく濁って、稲の匂いが村じゅうにこもっていた。それでも夜になれば、山からおりてくる冷えたものが、じわりと畦を這った。八月の終わりの、その冷えの底に、もう秋の気配がまじりはじめていた。

わたしが村へ帰ったのは、伯母の四十九日のためだった。東京の勤めに出てから、もう十年になる。生まれた家はとうに人手に渡り、村に残る血縁といえば、亡くなった伯母のほかにはもう遠い従兄弟がいるきりだった。その従兄弟の家に一晩泊めてもらい、翌朝の法要にあずかるつもりで、わたしは終いの汽車で郷里の駅におりた。

駅から村までは、歩いて小一時間かかる。かつては迎えの荷車が来たものだが、いまはそんなものもない。従兄弟に電話をすれば車を出してくれたろうが、わたしはなぜか、そうする気になれなかった。久しぶりに、あの畦道を、自分の足で歩いてみたかったのだ。子供のころ、幾度となく行き来した道を。

駅前の小さな雑貨屋で、わたしは提灯を借りようとした。だが店はもう閉まっていて、軒先に古い提灯がひとつ、埃をかぶって吊るされているきりだった。仕方なく、鞄のなかを探ると、いつ入れたものか、青いマッチ箱がひとつ出てきた。月光堂、と小さく刷られている。伯母の家の仏壇に、いつも置かれていたのと同じ品だった。誰かが香典返しにでもくれたのか、あるいは伯母の遺品のなかからまぎれこんだのか、覚えがなかった。

わたしはそのマッチ箱を握りしめ、駅の売店でこうもり傘ほどの、心もとない懐中電灯を一本だけ買った。乾電池はもう店の隅で幾年も眠っていたようで、押すと橙色に、蛍のようにしか点らなかった。

伯母のことを、わたしは、ろくに知らなかった。育ての親でありながら、その半生を、わたしはほとんど聞かされずに来た。伯母は、自分のことを、けっして語らない人だった。わたしが問うても、ただ、しずかに笑って、話をそらした。東京へ出てからは、盆と正月に、短い手紙が来るきりだった。その手紙も、いつからか、途絶えた。訃報が届いたのは、ひと月ばかりまえ、勤めの帰りの、地下鉄のなかでのことだった。看取ることも、できなかった。臨終の枕もとに、居合わせることも。わたしは、そのことを、いまさらのように、悔いていた。せめて、四十九日には、と思って、こうして帰ってきたのだった。

だから、この畦道を、歩いてみたかったのかもしれない。伯母が、生涯を過ごした、この村の道を。伯母が、幾千の夜を、見つめたであろう、この闇を。歩けば、なにか、伯母のことが、わかるような気が、していた。生きているうちに、聞けなかったことが、この闇のなかで、そっと、告げられるような気が。いま思えば、それは、虫の知らせ、というものだったのかもしれない。

それでもよかった。月が出るだろうと思ったからだ。

だが月は出なかった。歩きはじめてしばらくすると、空はいよいよ暗くなり、山の稜線さえ夜に溶けて見えなくなった。星ばかりが、痛いほどに冴えていた。

二

畦道は、記憶よりもずっと細く、ずっと長かった。

両側は一面の田で、稲はもう穂を垂れ、風のたびに、さわ、さわ、と鳴った。その音のなかを、無数の虫が鳴いていた。りりり、りりり、と、遠くで、近くで、まるで畦のそこかしこに小さな者たちが座して、めいめいに唄っているようだった。

わたしはその虫の音を聞きながら、ふと、幼いころ伯母が唄ってくれた子守唄を思い出した。

――眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。

そんな唄だった。伯母は嫁ぎもせず、生涯ひとりで暮らした人で、親を早くに亡くしたわたしを、しばらくのあいだ引き取って育ててくれた。夜になると、その節を、低い、かすれた声で唄ってくれた。星が海をわたるまで、と伯母は唄いながら、いつも遠くを見るような目をしていた。この村には海などないのに、なぜ星が海をわたるのだろうと、わたしは子供心に不思議に思ったものだった。

虫の音は、その唄の節に、どこか似ていた。

懐中電灯の橙の輪は、足もとの一尺ばかりを照らすきりだった。わたしはその小さな輪を頼りに、一歩、また一歩と進んだ。畦は乾いて、ところどころ草が伸び、露に濡れていた。ズボンの裾がじきに湿った。

どのくらい歩いたろう。時計を見ると、針は十二時をとうに回っていた。汽車が遅れたうえ、駅でぐずぐずしていたせいだ。丑の刻に、ひとり畦道を行く――子供のころなら、考えるだけで身がすくんだ。この村には、その刻に外を歩くものではない、という言い伝えがあった。伯母がよくそう言った。丑三つには、道を、あちらのものが通る。行き合うたら、目を伏せて、やりすごしなさい、と。

馬鹿らしい、と大人になったわたしは思った。だが、こうしてひとり闇のなかにあると、その言い伝えが、妙に体の奥のほうで、冷たく蘇ってくるのだった。

ふいに、虫の音がやんだ。

いっせいに、というのではない。まず遠くのほうから、す、と音が引いた。次に、そのあたりが、次に、その隣が。まるで水が引いていくように、静けさが、わたしのほうへ寄せてきた。

やがて、あたりは、まったくの無音になった。

わたしは立ちどまった。懐中電灯の橙の輪のなかで、自分の足だけが、ぼんやりと浮いていた。息を殺すと、自分の鼓動が、耳のなかで、どく、どく、と鳴るのが聞こえた。

これほどの静けさを、わたしは、東京の暮らしのなかで、いちどでも、味わったことがあったろうか。都会には、闇はあっても、静寂はない。深夜でも、どこかで車が走り、どこかで機械が唸り、遠く電車の軋む音がする。だが、ここには、なにもなかった。音というものが、この世から、根こそぎ、引きあげられてしまったようだった。その無音は、耳を、圧した。あまりの静けさに、耳のおくが、じん、と痛んだ。

冷えが、足もとから、這いのぼってきた。畦の草の露が、というのではない。もっと、べつの冷えだった。地の底から、あるいは、闇の奥から、しずかに、しみ出してくるような冷え。それは、真夏の夜の冷えとは、あきらかに、質が違っていた。わたしは、思わず、身を、すくめた。

その静寂の底から、遠くに、ひとつ、灯りが見えた。

三

はじめは、蛍かと思った。

畦のずっと先、田と田のあいだのどこかに、ぽつり、と青白い光が点った。それは蛍のように明滅するのでなく、じっと、そこにあった。息をのむ間もなく、その隣に、もうひとつ。そのまた向こうに、もうひとつ。ぽつり、ぽつり、と、光は数を増していった。

提灯だ、とわたしは思った。

誰かが、この刻に、提灯を提げて畦を来る。だがそれにしては、灯の色がおかしかった。提灯の火なら、あかね色か、せいぜい橙のはずだ。それが、青いのだ。青いというより、蒼い、と言ったほうがよかった。冷えた、底のほうに緑をふくんだ、ふしぎな青。見つめていると、目の奥が、しんと冷たくなるような色だった。

狐火、という言葉が、ふいに胸にうかんだ。

子供のころ、伯母から、聞いたことがあった。畦に、青い火が、ともることがある、と。それは、狐が、化かすのだとも、また、死んだ者の、魂がともす火だとも、言った。見ても、追ってはならぬ、と伯母は、きつく言った。追えば、いつのまにか、この世でない、どこかへ、連れていかれる、と。あのころは、ただの、こわい話として、聞いていた。その火が、いま、目のまえに、幾つも、ともっている。

わたしはその言葉を、なぜだか声に出さずにはいられなかった。だが唇を動かしても、声は出なかった。喉が、乾いた紙のように、貼りついていた。

灯りの列は、ゆっくりと、こちらへ近づいてきた。

いや――近づいてくる、というのとは、少し違った。その列は、畦のずっと向こうから、こちらの畦へと、まっすぐに連なっていた。そして、その連なりの全体が、しずかに、ひとつの方向へ流れていた。ちょうど、川の水が流れるように。列は畦を越え、田を越え、あるはずのない一本の道の上を、音もなく進んでいくのだった。

わたしは、伯母の言葉を思い出した。

――丑三つには、道を、あちらのものが通る。

葬列だ、と、わたしは悟った。

なぜそう思ったのか、自分でもわからない。だがそれは、まぎれもなく葬列だった。青い灯を提げた者たちが、列をなして、しずかに、しずかに、どこかへ向かって歩いていく。その足どりに、いささかの乱れもない。話し声も、足音も、衣ずれの音さえ、いっさいしなかった。ただ、蒼い灯だけが、闇のなかを、ひたひたと流れていった。

わたしは、道の端に寄った。

どうしてそうしたのか。とっさに、体がそう動いたのだ。伯母の言葉が、わたしの体を動かしたのかもしれなかった。目を伏せて、やりすごしなさい。わたしは畦の草のなかに片膝をつき、頭を垂れた。懐中電灯を消した。そのほうがいい、と、なぜか思った。

闇のなかに、蒼い灯だけが、近づいてきた。

四

列は、わたしのすぐ脇を、通りはじめた。

目を伏せていても、蒼い光が、まぶたのふちを、ひたひたと過ぎていくのがわかった。冷えた気が、頬を撫でた。真夏だというのに、その気は、氷室のなかのように冷たかった。冷たいというより、それは、生きたものの温みが、いっさい欠けているという冷たさだった。

わたしは、目を伏せていることができなかった。

人というものは、見てはならぬと言われれば、いよいよ見たくなる。あるいは、それは畏れが、かえって目を吸い寄せたのかもしれなかった。わたしは、ほんのわずか、顔をあげた。

列の者たちが、見えた。

それは――人の形をしていた。白い、経かたびらのようなものを着て、うつむき加減に、しずかに歩いていた。だが、その顔は、見えなかった。灯りは、めいめいの手もとを、青く照らしているのに、なぜか、その顔だけが、影に沈んでいた。まるで、顔のあるべきところに、闇がひとつ、貼りついているようだった。

みな、提灯を提げていた。長い柄の先に、蒼い灯をともした、ふるい形の提灯だ。その灯は、風もないのに、かすかに揺れていた。列は、二列でも三列でもなく、ただ一列に、ひとりずつ、間をおいて、連なっていた。

その足どりは、みな、そろっていた。号令があるわけでもないのに、ひとりが右足を出せば、みな右足を、ひとりが左足を運べば、みな左足を。まるで、一本の糸に、貫かれた、数珠のように。それでいて、その足は、地を、ふんでいないようにも見えた。畦の草が、そよぎもしない。露が、乱れもしない。足の裏と、地とのあいだに、髪の毛ひとすじほどの、すきまが、あるようだった。彼らは、歩いているのでなく、流れていた。ゆるやかな、闇の川に、乗って。

わたしは、そのとき、はじめて、気づいた。その列からは、匂いというものが、いっさい、しなかった。あれほど濃かった、稲の匂いが、そのあたりだけ、ふつりと、消えていた。生きたものには、かならず、匂いがある。汗の、息の、肌の。だが、この列には、それが、なかった。無臭であるということが、これほど、恐ろしいものだとは、わたしは、知らなかった。それは、この世に、属さぬものの、しるしだった。

わたしは、数えようとした。だが、数えられなかった。列は、畦の向こうから来て、畦の向こうへ去っていく。その始まりも、終わりも、闇に溶けて見えなかった。

そのとき、ふと、頭上が明るんだ。

わたしは顔をあげた。

空の、いちばん深いところに、ひとつの星が、懸かっていた。

いや、星ではなかった。それは尾を引いていた。蒼く、冴えざえと、まるでこの世のものならぬ光をたたえて、その星は、天のいちばん奥に、じっと動かずにあった。ミラ彗星だ、と、わたしは思った。子供のころ、伯母と縁側で、その名を教わったことがあった。あれが、ミラ彗星。何百年に一度、めぐってくる星。海をわたる星だよ、と伯母は言った。

その蒼い彗星の光は、葬列の頭上に、まっすぐに降りていた。まるで、その光の一筋が、この世とあの世の境を、そっと照らしだしているようだった。列の者たちは、その光を浴びて、いよいよ、あわく、透きとおって見えた。

その光のなかで、わたしは、列の一人の手もとに、あるものを見た。

五

片方だけの、手袋だった。

列のなかの、ひとりが、提灯の柄を握るその手に、片方だけ、白い手袋をはめていた。もう片方の手は、素手のままだった。なぜ片方だけなのか。その白い手袋には、なぜか、見覚えがあるような気がした。だがそれが何であったか、思い出せなかった。

わたしは、その手袋をはめた者を、見つめた。

うつむいた顔は、やはり、影に沈んで見えなかった。だが、その背格好に、そのうなだれた首の傾きに、わたしは、なぜか、胸をつかれた。知っている、と思った。この人を、わたしは知っている。

その者が、わたしの脇を、通り過ぎようとした。

そのとき、ほんのいっとき、頭上の彗星の光が、ひときわ冴えた。その蒼い光が、うつむいた顔を、下から、そっとすくいあげるように照らした。

伯母だった。

わたしは、声をあげそうになった。だが、喉が貼りついて、声は出なかった。それでよかったのかもしれない。声をあげていたら、わたしは、あの列に、引き込まれていたかもしれなかった。

伯母だった。四十九日を、まだ迎えていない、あの伯母だった。白い経かたびらを着て、片方だけの手袋をはめ、蒼い提灯を提げて、伯母は、列の一人として、しずかに歩いていた。

その顔には、苦しみも、悲しみも、なかった。ただ、しずかだった。深い、静かな、水のような表情だった。生きていたころ、伯母は、いつも何かに耐えているような、こわばった顔をしていた。ひとりで生きるということは、たぶん、そういうことなのだろう。だが、いま、列のなかの伯母の顔からは、そのこわばりが、すっかり、ぬぐわれていた。

伯母は、わたしのほうを、見なかった。

わたしは、片膝をついたまま、身動きひとつできなかった。呼びたかった。伯母さん、と。だが呼べば、この静かな列を、乱してしまう気がした。この、伯母のしずかな顔を、また、生きていたころのこわばりに、引き戻してしまう気がした。

わたしは、ただ、伯母の背を、見送った。

伯母の提灯の蒼い灯が、ゆっくりと、遠ざかっていった。その片方だけの手袋の白さが、闇のなかに、いつまでも、ぼんやりと浮いていた。

六

やがて、列は、途切れた。

最後の一人の蒼い灯が、畦の向こうの闇に溶けて、消えた。とたんに、あたりに、また、虫の音が戻ってきた。りりり、りりり、と、まるで何ごともなかったように。稲の匂いが、ふたたび、鼻をついた。頬を撫でていた冷たい気が、す、と引いて、真夏の、ぬるい夜気が、戻ってきた。

頭上を仰ぐと、彗星は、もう見えなかった。ただ、いつもの星が、痛いほどに、冴えていた。

わたしは、しばらく、動けなかった。片膝をついたまま、露に濡れた草のなかで、ただ、荒い息をしていた。じきに、体の芯から、震えがきた。恐ろしさが、遅れて、津波のように押し寄せてきたのだ。

だが、その恐ろしさの底に、なぜか、もうひとつ、べつのものが、あった。

それが何であるか、わたしには、すぐにはわからなかった。

わたしは、ようやく立ちあがり、懐中電灯をつけた。橙の輪が、また、足もとの一尺を照らした。わたしは、その輪を頼りに、ふたたび畦を歩きはじめた。だが、足が、思うように前へ出なかった。畦の草を踏むたび、あの蒼い灯が、まぶたの裏に、ちらついた。

従兄弟の家に着いたのは、丑の刻も、深く更けたころだった。

家は、もう寝静まっていた。わたしは、しばらく戸口に立ったまま、たたく手を、あげられずにいた。この家に、あの話を、持ちこんでよいものかどうか。あの列に、伯母を見たと、この家の者に、言ってよいものかどうか。

わたしは、たたいた。

戸を開けたのは、従兄弟だった。寝間着の上に半纏をひっかけ、寝ぼけまなこで、わたしを見た。それから、わたしの顔色を見て、はっと、目を覚ましたようだった。

「どうした。……えらい、顔色だぞ」

わたしは、ことばに、詰まった。

七

その夜、わたしは、従兄弟に、すべてを話した。

話すべきかどうか、迷った。だが、話さずにはいられなかった。あの蒼い灯を、あの静かな列を、そして伯母を、わたしひとりの胸に、しまっておくことは、できなかった。

従兄弟は、はじめ、笑おうとした。畦道の闇に、疲れた者が見た、まぼろしだと。だが、わたしが、片方だけの手袋のことを話すと、その顔から、笑いが、消えた。

「片方だけの、手袋……」

従兄弟は、低い声で、繰り返した。それから、しばらく、黙りこんだ。囲炉裏の消えた灰を、火箸で、意味もなくつついていた。

「……お前は、知らんかったな」

やがて、従兄弟は、そう言った。

「伯母さんはな。若いころ、いちど、嫁にいく話があったんだ。相手は、隣村の男でな。だが、その話が、まとまりかけたときに、男のほうが、病で、あっけなく死んじまった。伯母さんは、それきり、嫁にいかんかった」

わたしは、はじめて聞く話だった。

従兄弟は、しばらく、闇の一点を、見つめていた。それから、ぽつり、ぽつりと、言葉を、継いだ。

「その男が、死んだのはな、ちょうど、田の水が、いちばん、いる時分だったそうだ。男は、隣村でも、評判の、働き者でな。まだ、祝言も、あげぬうちに、無理を、して、田に、出て、それで、体を、こわしたんだと。伯母さんは、それを、自分のせいだと、思いこんだ。自分と、いっしょになろうと、焦って、あの人は、無理をした、と。……ばかな話だ。伯母さんの、せいなんぞ、あるものか。だが、伯母さんは、そう、思いつめた。だから、嫁にも、いかんかった。ほかの男の、ところへも。あの人ひとりを、心に、決めたまま、この村で、田を、守って、ひとりで、老いた」

わたしは、はじめて、伯母の、こわばった顔の、わけを、知った気がした。伯母は、耐えていたのだ。生涯を、かけて。ひとつの、悔いに。ひとつの、亡き人への、思いに。あの、遠くを見るような目は、この村にはない海の、その向こうの、彼岸を、見ていたのかもしれなかった。愛した人が、先に、わたっていった、その、彼岸の海を。

「その男がな、伯母さんに、手袋を、贈ったそうだ。当時としちゃ、ハイカラなもんだ。白い、革の手袋。両手の、ひとそろい。……ところがな、その片方を、伯母さんは、なくしちまったんだと。男が死んで、しばらくして。悲しさのあまり、気もそぞろで、どこかへ落としちまった。伯母さんは、それを、ずっと、悔やんでいたそうだ。あの人に、もらったものを、片方、なくしちまった、と」

従兄弟は、火箸を置いた。

「残った片方を、伯母さんは、死ぬまで、大事に、しまっていたよ。俺が、遺品を整理したときにな、桐の箱に入れて、いちばん奥に、しまってあった。片方だけの、白い手袋がな」

わたしは、あの列のなかの、片方だけの手袋を、思った。

伯母は、あの世で、あの手袋を、はめていた。片方だけの、白い手袋を。それはきっと、あの世で、なくした片方と、めぐり会うためではなかったか。あるいは、あの世で、あの男と、再び行き会うために。片方だけの手袋を、目印のように、はめて。

わたしの胸のなかで、あの恐ろしさの底にあった、べつのものの正体が、ようやく、わかった。

それは、安堵だった。

伯母は、しずかな顔をしていた。生きていたころの、あのこわばりの、いっさいない顔で。伯母は、送られていくのだ。ひとりで生きた伯母が、いま、あの列に迎えられ、蒼い灯に照らされて、どこかへ、送られていく。それは、こわいことではなかった。むしろ、それは、救いだった。

八

「だが」と、従兄弟が、ふいに、声を落とした。

「お前が、見たのが、ほんとうなら……村に、近く、なにか、あるかもしれん」

わたしは、顔をあげた。

「昔から、言うんだ」と、従兄弟は言った。「あの列に、行き合った者は、列のなかに、知った顔を、見つける。そしてな、その顔を見つけた者は――村に、近く起きることの、徴を、知る、と」

わたしは、ぞくりとした。

「徴、とは」

「わからん。だが、あの列は、あの世へ、人を送る列だ。列に、村の者がいれば、それは……その者が、近く、あちらへ、行くという、しるしだと。昔の人は、そう言った。行き合った者は、それを、知る役目を、負わされる、と」

伯母は、もう死んでいる。伯母が、列にいるのは、当たりまえのことだ。だが、と、わたしは思った。あの列は、まだ、続いていた。始まりも、終わりも、見えなかった。あの列のなかに、ほかにも、村の者が、いたのではないか。まだ、生きている者が。

わたしは、あの列を、思い返した。だが、伯母のほかに、顔を見た者は、いなかった。みな、影に沈んで、見えなかった。ただひとり、伯母だけが、彗星の光に、顔を、照らされた。

なぜ、伯母だけが。

わたしは、ながいこと、考えた。そして、ふと、思った。

――伯母は、わたしに、見せたのではないか。

あの片方だけの手袋を。あの、しずかな顔を。伯母は、わたしに、知らせたかったのではないか。案じなくてよい、と。わたしは、もう、こわばりを解いて、しずかに、送られていくのだ、と。四十九日を前に、東京から帰ってきた、育ての子に、伯母は、最後に、その姿を、見せたかったのではないか。

だとすれば、あの列は、徴などではなく――

伯母からの、別れの、挨拶だったのかもしれない。

九

その夜、わたしは、まんじりともせず、朝を待った。

翌朝、四十九日の法要が、しめやかに、営まれた。村の寺の、小さな本堂で、数えるほどの縁者が、伯母を、送った。読経のあいだ、わたしは、ずっと、あの蒼い灯を、思っていた。伯母は、もう、あの列に、迎えられている。この読経は、いわば、あとから、ついていく、送り火のようなものだ。そんな気が、していた。

法要のあと、わたしは、従兄弟に頼んで、あの桐の箱を、見せてもらった。

箱のなかには、たしかに、片方だけの、白い手袋が、しまわれていた。革は、ながい年月に、あめ色に、変わっていた。指の形が、かすかに、くぼんでいた。伯母が、幾度となく、手にとっては、なでていたのだろう。

わたしは、その手袋を、そっと、手にとった。

冷たかった。だが、その冷たさは、あの列の、生きたものの温みを欠いた冷たさとは、違っていた。それは、ただ、ながく箱のなかにあった、革の冷たさだった。かなしい冷たさ、とでも、言えばよいのか。片方をなくし、片方だけを、生涯、抱いて生きた、ひとりの女の、かなしさが、その冷たさには、こもっているようだった。

わたしは、その手袋を、伯母の位牌のまえに、供えた。

あの世で、伯母は、もう片方を、はめている。ならば、この片方は、もう、いらないのかもしれない。だが、わたしは、供えずには、いられなかった。片方は、あの世へ。片方は、この世へ。そうして、この世とあの世で、伯母の手袋は、ひとそろいに、なるのだ。そんな気が、したのだった。

十

わたしは、その日、村を、発つはずだった。

だが、発てなかった。あの徴のことが、胸に、つかえていたのだ。あの列は、まだ続いていた。あの列のなかに、村の、生きた者が、いたのではないか。もしそうなら、その者に、近く、なにかが、起きる。

わたしは、もう一晩、従兄弟の家に、泊めてもらうことにした。

その日の夕方、村を、歩いた。十年ぶりに歩く村は、家の数が、ずいぶん、減っていた。空き家が、目立った。老いた者ばかりが残り、若い者は、みな、町へ、出ていた。村は、しずかに、老いて、消えていこうとしていた。

畦のほとりで、わたしは、ひとりの老婆に、行き会った。

腰の曲がった、小さな老婆だった。田の水を、見にきたらしかった。わたしが会釈すると、老婆は、目を細めて、わたしを見た。

「……あんた、〇〇さんとこの、子だね。都に、出た」

わたしは、驚いた。伯母の家の名を、言い当てたのだ。老婆は、わたしが子供のころ、隣に住んでいた人だと、名を聞いて、ようやく、わかった。もう、九十に、なるという。

わたしは、しばらく、老婆と、話した。話すうち、わたしは、つい、あの列のことを、口にしてしまった。言うべきでなかったのかもしれない。だが、この老婆になら、と、なぜか、思ったのだ。

老婆は、驚かなかった。

「……送り提灯を、見たかね」

老婆は、しずかに、言った。

「わたしも、若いころ、いちど、見たよ。あの、蒼い灯を。畦のうえを、ゆく列を。あれに、行き合うのは、なかなか、ない。行き合う者は、選ばれるんだよ。あの世が、この世に、なにかを、告げたいときにね」

老婆は、田の面に、目を、落とした。ぬるい水に、星が、うつっていた。

「わたしが、見たときはね」と、老婆は言った。「戦の、あった年でね。あの列に、この村の、若い衆が、幾人も、まじっていた。まだ、生きて、村に、いる者たちがね。わたしは、それを、見て、ふるえた。近く、この村から、幾人も、あちらへ、行くのだと、知れたからね。……はたして、その年の暮れには、召された者らの、白木の箱が、いくつも、村へ、帰ってきた。あの列に、見た顔の、順にね。わたしは、それきり、あの灯が、こわくて、こわくて。誰にも、言えずに、抱えて、生きてきたよ。行き合った者は、それを、告げてはならん、と、昔から、言うでね。告げれば、その徴が、早まる、と」

わたしは、背に、冷たいものが、走った。老婆は、七十年ちかく、そのおそろしさを、ひとりで、抱えて、生きてきたのだ。あの、片方だけの手袋を、生涯、抱いた伯母のように。この村の者は、みな、なにか、口に出せぬものを、胸の奥に、しまって、生きているのかもしれなかった。それが、村というものの、深さであり、また、かなしさなのだ、と、わたしは、思った。

「だがね」と、老婆は、顔を、あげた。皺の底の、小さな目が、しずかに、わたしを、見た。「あんたの見た列は、そういう、こわい列とは、ちがう。あんたは、伯母さんの顔を、見た。もう、死んだ人の、顔をね。それは、徴じゃない。あれは、迎えの、しるしだ。あんたに、伯母さんが、達者に――いや、達者とは、言えんが――ぶじに、あちらへ、送られていくと、知らせにきた。そういう、列だよ。だから、そんなに、こわがることは、ない」

わたしは、息を、のんだ。

「わたしは、あの列に」と、わたしは言った。「伯母を、見ました。片方だけの、手袋をはめた」

老婆は、うなずいた。

「そうかね。……あんたの伯母さんが、あんたに、会いにきたんだ。ようやっと、送られていくのを、育ての子に、見せにきた。かなしいことじゃ、ないよ。あれは、めでたい、ことなんだよ」

わたしは、あの安堵が、正しかったのだと、知った。だが、それでも、胸のつかえは、消えなかった。

「あの……ほかにも、村の者が、いたかも、しれません」と、わたしは言った。「あの列に。まだ、生きている者が。近く、なにかが、起きるのでは」

老婆は、しばらく、黙っていた。それから、しずかに、笑った。

十一

「あんたは、やさしい子だね」と、老婆は言った。

「そうやって、村の者を、案じる。だがね、あの列に、生きた者を、見なんだのなら、それでいいんだよ。あんたは、伯母さんの顔を、見た。ほかの顔は、影に沈んで、見えなんだ。そうだろう」

わたしは、うなずいた。

「なら、あんたが、知らされたのは、伯母さんのことだけだ。ほかの徴は、あんたには、渡されなんだ。それは、あんたが、負わんでいい、ということだよ。あの世は、むやみに、生きた者を、おびやかしはせん。あんたに、見せたのは、伯母さんの、しずかな顔だけ。それが、あの世から、あんたへの、贈りものだったんだよ」

わたしは、目のふちが、熱くなった。

「だがね」と、老婆は、遠くの田を、見やった。「近く、なにかが起きる、というのは、あんたの村への、思いすごしでは、ないかもしれん。この村は、もう、長くない。若い者はおらん。田は、荒れていく。あと、幾年か。この村は、消える。……あの送り提灯はね、ひとりの人を、送るだけじゃ、ない。ときに、村そのものを、送る列でも、あるんだよ」

わたしは、老婆の、しわの刻まれた横顔を、見た。

「あんたが、見た列はね」と、老婆は言った。「もしかしたら、この村を、あの世へ、送りはじめた、列なのかもしれん。伯母さんは、その、先頭に、近い。この村で、いちばん、村を、愛した人の、ひとりだったからね。ひとりで生きて、この村の、田を、守って。……そういう人から、順に、送られていくんだよ」

風が、稲を、鳴らした。さわ、さわ、と。

わたしは、その音を、聞きながら、消えていく村を、思った。伯母が守った田を。伯母が唄った子守唄を。星が海をわたるまで、と。この村には、海など、ないのに。

――ああ、と、わたしは、思った。

海とは、あの世のことだったのだ。星が、海をわたる。それは、彗星が、この世とあの世の境を、わたっていくこと。死んだ者が、あの蒼い灯に送られて、彼岸の海を、わたっていくこと。伯母は、子守唄に、そのことを、唄っていたのだ。眠れ、眠れ、と、わたしを、寝かしつけながら、じつは、いつか、自分が送られていくときのことを、唄っていたのかもしれなかった。

十二

その夜も、わたしは、眠れなかった。

丑の刻が、近づくと、わたしは、そっと、床を抜けだした。従兄弟を、起こさぬように。わたしは、もういちど、あの畦道へ、行こうとしていた。

なぜ、そんなことを、と、自分でも、思った。あの、恐ろしい列に、また、行き合うかもしれないのに。だが、わたしは、行かずには、いられなかった。もういちど、伯母を、見たかった。あの、しずかな顔を。片方だけの手袋を。今度こそ、ちゃんと、見送りたかった。

わたしは、青いマッチ箱を、握って、家を、出た。

月光堂の、マッチ箱。伯母の、仏壇に、いつも、あった品。わたしは、なぜだか、それを、手に、していれば、こわくない、という気が、していた。

畦道は、また、闇に、沈んでいた。虫が、鳴いていた。りりり、りりり、と。子守唄の、節に、似た音で。

わたしは、昨夜、伯母を見た、あのあたりまで、歩いた。そして、待った。

だが、あの、蒼い灯は、現れなかった。

虫は、鳴きつづけた。静寂が、寄せてくることも、なかった。彗星も、懸からなかった。ただ、いつもの星が、冴えていた。畦は、ただの、畦だった。

わたしは、しばらく、待った。だが、なにも、起きなかった。

やがて、わたしは、悟った。あの列は、もう、来ないのだ。あれは、一度きりの、ものだったのだ。伯母が、わたしに、会いにきた、あの一夜、きり。二度と、行き合うことは、ない。あの世は、むやみに、この世に、姿を、見せはしない。

わたしは、少し、さびしかった。だが、それでよいのだ、と、思った。伯母は、送られていった。もう、こわばりを、解いて。片方だけの手袋の、もう片方を、探しに。あの、隣村の男に、また、行き会うために。それで、よいのだ。

わたしは、畦に、しゃがみこんだ。そして、青いマッチ箱を、あけて、一本、擦った。

小さな、あかね色の火が、闇に、点った。

それは、あの、蒼い灯とは、まるで、違う色だった。あたたかい、生きた者の、火の色だった。わたしは、その火を、しばらく、見つめた。それから、その火で、持ってきた線香に、火を、移した。従兄弟の家の、伯母の位牌のまえから、そっと、抜いてきた線香だった。

線香の煙が、まっすぐに、闇へ、のぼっていった。

わたしは、あらためて、その闇を、見わたした。ついさっき、あの蒼い灯が、流れていった、その同じ場所を。いまは、なにもない。ただの、畦。ただの、田。ただの、闇。だが、たしかに、ここを、伯母は、通った。この、乾いた草を、ふんで。片方だけの手袋を、はめて。蒼い提灯を、提げて。そして、二度と、こちらを、ふりむかずに。

ふりむかなかった、ということが、いま思えば、いちばんの、救いだった。もし、伯母が、いちどでも、こちらを、ふりむいていたら。もし、あの、影に沈んだ顔で、わたしを、じっと、見ていたら。わたしは、きっと、その場に、くずおれていた。だが、伯母は、ふりむかなかった。行くべきところへ、ただ、まっすぐに、歩いていった。それは、生者への、未練を、断ちきった者の、後ろ姿だった。もう、思い残すことは、ない、という。あの、隣村の男に、ようやく、行き会える、という。そういう、後ろ姿だった。

十三

わたしは、その煙を、見送りながら、小さな声で、唄った。

――眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。

伯母が、唄ってくれた、あの子守唄を。わたしは、生まれてはじめて、その唄を、自分の声で、唄った。かすれた、たよりない声だった。だが、唄っているうちに、なぜか、涙が、こぼれた。

眠れ、眠れ。星が、海をわたるまで。

それは、いまや、わたしから、伯母への、送りの唄だった。伯母が、わたしを、寝かしつけた、その同じ唄で、わたしは、いま、伯母を、送っていた。この世から、あの世へ。彼岸の海を、わたっていく、伯母を。

虫たちも、いっしょに、唄っているようだった。りりり、りりり、と。畦じゅうの、小さな者たちが、みな、伯母を、送る唄を、唄っていた。

線香が、燃えつきた。ほのかな、白い灰が、あとに、残った。

わたしは、立ちあがった。そして、村のほうを、ふりかえった。

消えていく村。だが、消えていくものにも、送りは、いる。ひとりの人が死ねば、蒼い灯の列が、迎えにくる。ひとつの村が、消えるときにも、きっと、あの列は、来るのだろう。畦のうえを、ひたひたと。村じゅうの、死んだ者たちを、乗せて。田を守った者たちを、乗せて。そうして、村ごと、彼岸の海へ、送っていくのだろう。

それは、こわいことでは、なかった。

送るということ。送られるということ。それは、この世と、あの世が、しずかに、触れあう、ひとつの、儀式なのだ。畏れは、いる。だが、その畏れの底には、かならず、情が、ある。かなしみが、ある。そして、救いが、ある。

わたしは、伯母を、送った。伯母は、わたしに、しずかな顔を、見せてくれた。それで、よかった。

十四

翌朝、わたしは、村を、発った。

従兄弟が、駅まで、送ってくれた。車のなかで、わたしは、ぼんやりと、窓の外の、田を、見ていた。稲は、朝の光に、金色に、光っていた。この田も、あと、幾年かで、荒れていくのだろう。だが、いまは、まだ、こんなにも、うつくしかった。

「なあ」と、従兄弟が、ハンドルを握りながら、言った。「お前、ゆうべ、どこか、行ってたろう」

わたしは、驚いて、従兄弟を、見た。

「気づいてたか」

「ああ。夜中に、戸の、あく音がした。……また、あの畦へ、行ったんだろう」

わたしは、うなずいた。

「伯母さんを、見送りにな」と、わたしは言った。「線香をあげて、子守唄を、唄って」

従兄弟は、しばらく、黙っていた。それから、ぽつりと、言った。

「……そうか。おふくろが、生きてたら、喜んだろうな。伯母さんは、お前のことを、ほんとうの、子のように、思ってたから」

わたしは、目のふちが、また、熱くなった。

「なあ」と、わたしは言った。「この村が、消えるって、ほんとうか」

従兄弟は、少し、笑った。さびしそうな、笑いだった。

「まあ、いつかはな。だが、まだ、しばらくは、大丈夫だ。俺も、この田を、守れるだけは、守るさ。おふくろが、守った田だ。伯母さんが、守った田だ。……それに」

従兄弟は、窓の外を、見やった。

「あの送り提灯の列に、俺たちの、番が、くるのは、まだ、先の話だ。それまでは、生きて、田を、守るさ。そうだろう」

わたしは、うなずいた。

車は、田のあいだの、道を、走っていった。稲の匂いが、窓から、入ってきた。あの夜と、同じ匂いだった。だが、いまは、もう、こわくなかった。

十五

東京に、戻ってからも、わたしは、ときおり、あの蒼い灯を、思い出した。

深夜、都会の、灯りに、囲まれて、眠れぬ夜。窓の外の、赤や、白や、黄の、無数の灯を、見ていると、ふと、あの、蒼い一列の灯が、恋しくなった。あれは、こわい、ものだったはずだ。それなのに、なぜ、恋しいのだろう。

たぶん、それは、あの灯が、わたしに、見せてくれたからだ。生きるということの、その先に、ある、しずけさを。ひとは、死んで、こわばりを、解く。片方だけの手袋の、もう片方を、探しに、いく。蒼い灯に、送られて。彼岸の海を、わたって。それは、こわいことばかりでは、ないのだと。

わたしは、あの桐の箱の、片方だけの手袋を、思った。あれは、いまも、伯母の位牌のまえに、供えられているだろうか。片方は、あの世に。片方は、この世に。いつか、この世の片方も、彼岸へ、渡るときが、くるのだろうか。そのとき、伯母の手袋は、あの世で、ようやく、ひとそろいに、なるのだろうか。

ときおり、わたしは、あの村に、電話を、かける。従兄弟の声は、年々、老いていく。田は、まだ、守れている、と言う。だが、その声の、どこかに、あの、消えていく村の、しずかな諦めが、にじんでいる。いつか、この電話も、通じなくなる日が、くるのだろう。いつか、あの畦道も、草に、埋もれる日が。そのとき、あの蒼い灯の列は、村じゅうの、死んだ者たちを、乗せて、ひたひたと、畦を、ゆくのだろう。伯母を、先頭ちかくに。田を守った、名もない者たちを、次々に。頭上に、あの彗星を、懸けて。誰にも、見送られることなく。あるいは、たったひとり、遠く東京の、眠れぬ夜の窓辺で、その唄を、口ずさむ、わたしだけに、見送られて。

それでも、送りは、いる、と、わたしは、思う。見送る者が、たとえ、ひとりでも。あるいは、ひとりも、いなくとも。送るという、その、しずかな祈りだけは、この世から、消えはしないのだ、と。

わたしは、そう、願った。

いつか、わたしにも、あの列が、迎えにくる日が、くるだろう。畦のうえを、ひたひたと。蒼い灯を、提げて。頭上に、あの彗星を、懸けて。そのとき、わたしは、こわがらずに、その列に、加わろう。伯母のように、しずかな顔で。そして、育ててくれた伯母に、また、行き会えたら。片方だけの手袋を、目印にして。

――眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。

いまも、眠れぬ夜には、わたしは、あの唄を、口ずさむ。すると、遠い、あの畦の、虫の音が、聞こえてくる気が、する。りりり、りりり、と。伯母を送った、あの唄が。いつか、わたしを、送るであろう、あの唄が。

闇のいちばん奥に、蒼く冴えた、ひとすじの光が、この世とあの世の境を、しずかに、照らしている。そして、その光を、わたる者たちの、片手には、いつも、片方だけの、手袋が、白く、灯っているのだ。

この物語にひそむ符牒

ほかの物語と、ひそかに分かち合っているもの:

  • ミラ彗星
  • 月光堂のマッチ
  • 子守唄
  • 片方の手袋

十二をつなぐ符牒について →

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