番号を返す
番号を返す
朝が来れば、私はもう番号ではなくなる。
十七年、私は四七二番だった。呼ばれれば四七二と答え、作業の帳面にも四七二と書き、房の壁に爪で刻んだ日付の下にも四七二と記した。名前は口のなかで錆びついて、ときどき自分でも思い出すのに間があいた。だが夜が明ければ、担当官が鉄の扉を開けて、私を番号ではなく姓で呼ぶ。呼ばれた姓のほうへ、私は歩いていかねばならない。
その最後の夜、私は眠れなかった。
寅の刻というものを、私は塀のなかで覚えた。若い衆のひとりが、坊主上がりの老人で、この刻がいちばん暗くていちばん冷えるのだと教えてくれた。丑三つを越えて、寅に入る。夜がその底に触れて、そこから先はもう昇るしかない、そういう刻だと。老人はもう死んだ。房で朝、冷たくなっていた。番号だけが台帳から線を引かれて消えた。人ひとり消えるのに、線一本で足りた。
私はその線を、自分の名前の上に引かれずに済むよう、生き延びてきた。
生き延びる、というのは、言葉ほど簡単なことではなかった。塀のなかで死ぬ者は、病で死ぬのではない。多くは、自分で死ぬ。あるいは、生きる理由を手放して、少しずつ、心のほうから死んでいく。私も、幾度か、その縁に立った。入って五年目、母の訃報を、担当官が事務的に読み上げたとき。入って八年目、判決のときに私を睨んだ男の顔が、夢のなかで、母親の顔に変わったとき。入って十一年目、なんの前触れもなく、ただ朝の点呼のあとに、生きていることの意味が、ふいに、指のあいだから砂のように零れ落ちたとき。
そのたびに、私を縁から引き戻したのは、希望ではなかった。希望など、私には過ぎたものだった。私を引き戻したのは、悔いだった。私が死ねば、私が奪ったものは、償われぬまま宙に浮く。私が楽になることは、私が壊した家族を、二度、見捨てることだった。だから私は、悔いを、命綱のように握りしめて、生きてきた。おかしな話だ。人を生かすものが、希望ではなく、悔いだとは。だが、そういう者も、この世にはいる。
房の高いところに、窓がある。
腕を伸ばしても届かない高さに、鉄格子を嵌めた小さな窓が一つ。手のひらほどの空しか見えない。だが十七年、私はその手のひらほどの空を見て暮らしてきた。夏の白い雲も、冬の鉛の色も、雨の斜めの筋も、みなその窓のなかを通り過ぎていった。外の景色を知らないから、私にとって世界とは、あの窓の大きさだった。
その夜、窓は黒かった。
いちばん暗い刻だった。月もなく、雲もなく、ただ底のない黒が嵌まっていた。私は寝台に横たわったまま、その黒を見ていた。眠ろうとして、眠れなかった。目を閉じると、これまでの顔が浮かんだ。私が奪ったもの、私が壊したもの、私が二度と戻せないものの顔が。だから目を開けていた。開けて、黒い窓を見ていた。
塀のなかで迎える最後の夜は、初めての夜より、恐ろしかった。初めての夜は、絶望だけで、済んだ。もう終わりだ、と思えば、それでよかった。だが、最後の夜には、明日がある。明日、扉が開く。開いた先に、何があるのか、私には、わからない。わからないことが、これほど、人を怯えさせるとは。塀のなかの十七年は、たしかに、罰だった。だが、罰には、輪郭があった。決められた年月、決められた作業、決められた食事。私は、その輪郭のなかで、息をひそめて、生きてきた。明日から、その輪郭が、消える。私は、輪郭のない世界に、放り出される。自由という名の、茫漠とした、冷たい原野に。
自由を、私は、望んでいたはずだった。この十七年、幾度、塀の外を夢に見たか知れない。だが、いざ、それが明日に迫ると、自由は、恵みではなく、荷のように、私の肩に、のしかかった。生きよ、と、自由は言う。だが、どう生きるのか。何のために。誰のために。その問いに、私は、答えを持たなかった。持たぬまま、夜明けは、来る。容赦なく、来る。私は、答えを探して、黒い窓を、見つめ続けた。だが、黒は、黒のままだった。答えは、そこには、なかった。まだ。
明日出る、と昼に担当官が言った。荷物をまとめておけ、と。
まとめる荷物などなかった。十七年で私に増えたものは、爪で刻んだ日付と、消えかけた名前と、悔いの重さだけだった。それらは鞄には入らない。私が塀の外へ持って出るのは、支給の下着と、擦り切れた上衣と、それから――差し入れの箱ひとつ。
差し入れは、めったに来なかった。私に来る者はいなかったからだ。母は私が入って三年目に死んだ。父はその前に。兄弟はいない。妻はいなかった。友と呼べる者は、私が起こしたことのあとで、みな私から遠ざかった。当然だった。私は当然のことを、当然のこととして受け入れてきた。誰も来ないことを、罰の一部として。
面会室というものに、私は一度しか入ったことがない。入って三年目、母が死ぬ少し前、まだ動けたうちに、一度だけ来た。母は、透明な仕切りの向こうに座って、私の顔を、長いこと、黙って見ていた。何を言うでもなかった。ただ、しわの寄った手を、仕切りに当てて、その冷たい板越しに、私の手のあるほうへ、伸ばしていた。私も手を当てた。板が冷たかった。母の手の温かさは、板に遮られて、届かなかった。
母は、帰りぎわに、一言だけ言った。「あんたのしたことは、許されん」と。それから、少し間をおいて、「けど、あんたが生きとることまで、憎うはならん」と。母は、それだけ言って、背を向けた。その背を、私は、二度と見なかった。母は、それから半年後に死んだ。私はその葬式に出られなかった。骨も、拾えなかった。母の言葉だけが、私のなかに、残った。憎うはならん、という、その一言だけが。今にして思えば、久江の手紙の「憎みきれなかった」と、母の「憎うはならん」は、同じ場所から出た言葉だった。人の、いちばん底の、あの場所から。
だがその箱は、出所の三日前に届いた。
差出人の欄に、覚えのない名があった。いや、覚えは――あった。ずっと奥のほうに、埋めて、掘り返さないようにしてきた奥のほうに。
箱を、私はまだ開けていなかった。
寝台の足もとに置いたまま、三日、見ていた。開けるのが怖かった。なかに何が入っているかではなく、開けてしまえば、それが本当のことになるのが怖かった。差出人の名が。その名の持ち主が、まだこの世にいて、私のことを覚えていて、私に何かを送ろうと思ったという、その事実が。
刻がいよいよ底に触れた頃、私はとうとう身を起こした。
冷えていた。息が白いほどではないが、指の先が悴んでいた。房の冷えは、外の冷えとは違う。外の冷えには風があり、匂いがあり、逃げ場がある。房の冷えは石の冷えだ。動かず、匂わず、ただ足の裏から背骨をのぼってくる。十七年、私はこの冷えと寝てきた。冷えは私の連れだった。
箱の紐を、私はほどいた。
指がうまく動かなかった。結び目は固く、私の爪はやすりで削られて短い。それでも、ゆっくり、一つずつ、私はほどいた。急ぐことはなかった。朝までにはまだ間があった。この最後の夜だけは、私は自分の時間の主だった。台帳ではなく、鐘でもなく、私自身の指の速さで、時間が過ぎていくことを許されていた。
蓋を開けると、乾いた紙の匂いがした。
その匂いを、私は、しばらく、嗅いでいた。外の匂いだった。塀のなかの、消毒液と、汗と、石の匂いではない。誰かの家の、押し入れの、あるいは、簞笥の奥の、乾いた、静かな匂い。この箱は、外の、誰かの家から、来た。その家の空気を、少しだけ、まとって、来た。私は、その匂いのなかに、遠い、失われた、家庭というものの気配を、嗅ぎ取ろうとした。私には、もう、ない気配を。私が、壊した気配を。
なかには、いくつかのものが入っていた。
肌着が二枚。真新しい、糊のきいた白い肌着。それから、手拭いが一枚。石鹸が一つ。飴の袋。ありふれた、しかし、選んで入れられたのだとわかる品々だった。塀の外へ出る者が、まず身を清め、腹の足しにし、寒さをしのぐための品。誰かが、私が外へ出る朝のことを、具体的に想像して、選んだのだ。私が誰かの想像のなかにいた。そのことが、飴の甘さより先に、喉の奥に来た。
そして、箱の底に、二つのものがあった。
一つは、小さなマッチ箱だった。
青いマッチ箱。深い、夜の底のような青。表には、細い金色で、月と、その下に小さな堂が描かれている。「月光堂」と、古い書体で記してある。私はこの箱を知っていた。ずっと昔、まだ私が番号でなかった頃、町の外れの小さな店で売っていた。母がこれで竈に火をつけた。青い箱を擦ると、硫黄の匂いのあとに、いつも味噌汁の匂いが立った。もう何十年も見ていなかった。まだ、あの店はあるのだろうか。それとも、これは古い在庫の、最後の一つなのだろうか。
私は箱を振った。かさ、と乾いた音がした。まだマッチが入っている。火を、私はまだ持てる。
箱の側面に、小さく、店の名が刷ってあった。「月光堂」。それから、その下に、もう一つ、細い字で、「月光書房 併設」とあった。書房。本屋か、と、私は思った。マッチを売る店が、本も売っていたのか。あるいは、本屋が、片隅で、マッチを扱っていたのか。私は、本を、あまり読まない男だった。若い頃も、そうだった。塀のなかでも、貸し出される本を、幾冊か手にしたが、字が、頭に入らなかった。悔いが、活字の隙間から、いつも顔を出したからだ。
だが、月光書房、という名の響きは、なぜか、私の胸に、灯った。月の光の下の、書房。夜の店。眠らぬ者のための、本の並ぶ場所。そんなものが、この世に、あるのだろうか。あるとしたら、私のような者にも、その扉は、開くのだろうか。前科者にも。人を殺めた者にも。夜のいちばん暗い刻に、行き場のない者にも。私は、その青いマッチ箱の、細い金の字を、指でなぞった。月光書房。いつか、その店を、探してみよう、と、ふと、思った。理由は、なかった。ただ、その名が、私を、呼んでいるような気が、した。
もう一つは、手袋だった。
片方だけの手袋だった。左の。毛糸で編んだ、灰色の、指のところが少し綻びた、古い手袋。もう片方は入っていなかった。片方だけ。なぜ片方だけなのか、私にはすぐにわからなかった。手に取って、私はそれを見た。編み目のところどころに、繕った跡があった。誰かが、長く使い、大事に繕い、それでも綻びるまで使った手袋。その片割れ。
私はそれを、左手に嵌めてみた。
大きさが、合った。
差出人の名は、久江といった。
私が壊した家の、娘の名だった。
十七年前、私は酔って、車を運転した。若かった。愚かで、傲慢で、自分は大丈夫だと思っていた。夜の道で、私は一つの家族を撥ねた。父と、母と、子ども。父は死んだ。母は歩けなくなった。子どもは――子どもだけが、傷を負いながらも、生き延びた。その子どもが、久江だった。当時、六つだった。
あの夜のことを、私は、細部まで覚えている。忘れたくても、忘れられない。むしろ、年を経るごとに、細部は鮮明になっていく。雨あがりの、濡れた路面が、街灯を映していたこと。私が、後輩に奢られた酒に、いい気になっていたこと。ハンドルが、思ったより軽く感じられたこと。曲がり角の手前で、白いものが、視界の隅に入ったこと。それが、家族連れの、傘だったこと。父親が、とっさに、子どもを庇って、身を投げ出したこと。鈍い音が、一つ、二つ、したこと。それから、雨の匂いのなかに、別の匂いが、混じったこと。
私は、車を止めなかった。すぐには。数十メートル走って、それからようやく、震える足でブレーキを踏んだ。その数十メートルを、私は、十七年、悔いてきた。あの数十メートルのあいだ、私は、逃げようとしたのだ。ほんの一瞬、確かに、逃げようとした。その一瞬の卑劣さを、私は、生涯、忘れない。人を撥ねたことよりも、その一瞬、逃げようとした自分を、私は、いちばん、許せなかった。
私は法廷で、久江を一度だけ見た。母親に抱かれて、包帯を巻いた小さな手を、じっと私のほうへ向けていた。泣いてはいなかった。ただ、見ていた。その目を、私は十七年、忘れられなかった。夜ごと、その目が窓の黒のなかから私を見た。私が眠れないのは、冷えのせいではなかった。あの目のせいだった。
法廷で、母親は――久江の母親は、車椅子に座っていた。まだ、その車椅子に慣れていない、痛々しい座り方だった。彼女は、意見陳述のとき、震える声で、しかし、一言も乱さずに、こう言った。「この人を、憎むのは簡単です。憎めば、私の心は、少し軽くなるでしょう。けれど、私が憎めば、この人は、憎まれることで、自分を許してしまうかもしれない。だから、私は、憎むより、この人に、生きて、償ってほしい。死ぬより、生きて、苦しんでほしい。それが、亡くなった夫の、望みだと思うから。」
その言葉が、判決よりも重く、私の背に、のしかかった。憎まれるほうが、どれほど楽か。憎まれれば、私は、憎まれる者として、自分の位置を定められる。だが、彼女は、私に、憎しみさえ、与えなかった。彼女は、私に、償えと言った。生きて、苦しんで、償えと。私は、その言葉を、十七年、背負ってきた。そして今、その彼女の手袋が、片方だけ、私の左手に、嵌まっている。彼女は、去年、死んだ。もう、私の償いを、見届けることはない。それでも、私は、償わねばならない。見届ける者が、いなくなっても。
その久江が、成人し、私に箱を送ってきた。
なぜ。私にはわからなかった。恨みなら、わかる。私を出させたくない、外の光を吸わせたくない、そういう手紙なら、まだ受け止めようがある。私はそれに値する。だが、肌着と、飴と、青いマッチと、片方だけの手袋。これは、なんなのだ。私を赦すという意味なのか。まさか。赦されてよいはずがない。私は、赦されることを、自分に許していなかった。
箱の底に、一枚の紙が敷いてあった。
紙には、短い文字が並んでいた。
不器用な、けれど丁寧に書かれた字だった。私はそれを、窓のわずかな明かりへ向けて読もうとした。だが刻はまだ底にあり、窓は黒く、字は闇に沈んでいた。私は青いマッチ箱を手に取った。一本、擦った。
硫黄が匂い、火がついた。
十七年ぶりの、自分で灯した火だった。房のなかで火を持つことは、許されない。私はこの小さな炎を、両手で囲った。片方だけの手袋を嵌めた左手と、素手の右手とで。炎は震えながら、紙を照らした。私は読んだ。
「あなたを憎んだ日のことは、数えきれません」と、それは始まっていた。
「父が死んだこと、母が歩けなくなったこと、そのすべてがあなたのせいだと、私はずっと思ってきました。今も、忘れたわけではありません。忘れられるものではありません。」
炎が指の近くまで来た。私はマッチを振って消し、もう一本擦った。
「けれど、私は母の看病をするうちに、母がある夜、こう言ったのを聞きました。あの人も、きっと、あの夜からずっと、あの道を運転しているのだろうと。抜け出せずに、あの夜の道を、何度も、何度も。それを聞いて、私は初めて、あなたのことを、憎しみとは違うもので思いました。」
二本目が消えた。私は三本目を擦った。青いマッチは、まだ十分に残っていた。
「同封したのは、母の手袋です。母は右手が利かなくなってから、左手だけで暮らしました。だから、右の手袋はいらなくなって、左のだけを、繕って、繕って、使い続けました。母は去年、亡くなりました。手袋を捨てられずにいたのを、私が見つけました。」
「なぜあなたに送るのか、自分でもわかりません。ただ、この手袋は、片方だけで、長く、寒さに耐えてきました。あなたも、片方だけで、外へ出るのでしょう。だから。」
そこで、文字は終わっていた。署名の下に、小さく、「憎みきれなかった者より」とあった。
火が消えた。
私は暗闇のなかで、片方だけの手袋を嵌めた左手を、じっと見ていた。見えはしなかった。だが、そこに手袋があることは、わかった。指の綻びの、糸のほつれの、繕いの結び目の、一つ一つが、私の手の甲に触れていた。それは、私が撥ねた母親の手だった。歩けなくなり、右手も利かなくなり、それでも左手一つで、娘を育て、生き抜いた、あの女の手だった。
私は、泣かなかった。
泣く資格が、私にはなかった。涙は、流せば楽になる。楽になってはいけなかった。私は暗闇のなかで、目を開けたまま、その手袋の重さを、手の甲で受け止めていた。それは、赦しではなかった。久江もそう書いていた。忘れられるものではない、と。それは、赦しではなく――もっと厳しく、もっと優しいものだった。憎みきれなかった、という、その一言のなかにある、人間の、どうしようもない、底の温かさだった。
私は、その温かさに、値しない。
だが、その温かさが、確かに私のところへ届いた。
私は、手袋を嵌めた手を、頬に当ててみた。
冷えた頬に、毛糸の、ざらりとした感触が触れた。灰色の毛糸は、幾度も洗われ、幾度も繕われて、もう本来の柔らかさを失っていた。だが、その硬さのなかに、確かに、長い年月の、手の温もりが、織り込まれているような気がした。この手袋を嵌めた手が、どれほどのことをしてきたか。歩けなくなった体で、それでも、娘のために、飯を炊いた手。夫を失った悲しみのなかで、それでも、朝、起き上がった手。私を憎むまいと、心を、幾度も、繕った手。
繕う、という言葉が、私の胸に、留まった。
手袋の綻びは、繕われていた。破れたところを、捨てるのではなく、糸で、閉じていた。人の心も、そうやって、繕えるのだろうか。私が壊したものは、元には戻らない。割れた茶碗が、割れる前には戻らないように。だが、繕うことは、できるのかもしれない。傷を、傷のまま、糸で閉じて、それでも使い続ける。美しくはない。継ぎ目は、残る。だが、使える。生きて、いける。
久江の母は、この手袋を、そうやって、繕い続けた。捨てなかった。片方だけになっても、綻びても、繕って、使った。それは、あの女の、生き方そのものだった。壊れたものを、捨てずに、繕って、生きる。私を、憎み捨てずに、繕って、生かす。私は、その糸の一針一針を、手の甲に感じながら、暗闇のなかで、長いこと、動かずにいた。
寅の刻は、まだ深かった。
私は寝台に座り、青いマッチ箱を、掌のなかで転がしていた。かさ、かさ、と、なかのマッチが鳴った。この音を、私は覚えていた。子どもの頃、母が竈の前でこの音をさせた。私は母の背に負われて、その音を聞いた。母は、火をつけながら、いつも低く、歌をうたっていた。
私の子ども時代は、貧しかった。父は、私が小さいうちに死んだ。母は、女手ひとつで、私を育てた。町の外れの、小さな家だった。冬は、隙間風が、容赦なく吹き込んだ。母は、毎朝、まだ暗いうちに起きて、竈に火をつけた。その火のそばに、私は、座らせてもらった。青いマッチを擦る音。硫黄の匂い。細い薪が、ぱちぱちと爆ぜる音。そして、味噌汁の、湯気の匂い。それが、私にとっての、いちばん古い、いちばん温かい記憶だった。
あの頃の私は、まだ、何も壊していなかった。誰も、傷つけていなかった。ただ、母の背中の温もりと、竈の火の温もりのなかに、いた。あの子どもが、どうして、あんな夜の道を、酔って走る男になったのか。どこで、道を、間違えたのか。私には、わからない。人は、一夜で悪人になるのではない。少しずつ、ほんの少しずつ、火のそばを離れ、母の背を離れ、温もりを忘れて、冷たいほうへ、冷たいほうへと、歩いていく。気づいたときには、もう、雨の夜の、濡れた路面の、あの曲がり角に、立っている。
だが、今、私は、青いマッチ箱を、握っている。あの、いちばん古い、いちばん温かい記憶の、音を。この音は、私を、あの竈の火のそばへ、連れ戻してくれる。私が、まだ、何も壊していなかった、あの朝へ。戻ることは、できない。だが、あの朝が、確かにあったことを、この音は、思い出させてくれる。
眠れ、眠れ、と。
その歌が、ふいに、私の喉から出た。
「眠れ、眠れ、星が海をわたるまで」
そういう歌だった。母が、私を寝かしつけるときに、うたった。星が海をわたる。子どもの私は、その言葉が不思議で、星がどうやって海をわたるのだろうと思った。母は言った。夜のいちばん暗いときに、いちばん明るい星が出て、その星が空をわたって、朝を連れてくるのだと。だから、眠っていていい。星が朝を連れてくるから。
私は、その歌を、忘れていた。
十七年、忘れていた。番号のなかに、忘れていた。だが今、青いマッチの音とともに、それが戻ってきた。私は低く、掠れた声で、うたった。誰も聞いていない。房のなかで、私一人が、自分に、あるいは、もう死んだ母に、あるいは、私が壊した家の、死んだ父に、歩けなくなった母に、うたった。
うたいながら、私は、あの子どものことを、思った。六つだった久江。あの子も、きっと、母親に、この子守唄を、あるいは、これに似た歌を、うたってもらっていただろう。夜、眠るまえに。母親の膝の上で。父親の、大きな手が、頭を撫でるなかで。私は、その、当たり前の夜を、あの子から、奪った。父親を奪い、母親の脚を奪い、あの子の、当たり前の夜を、奪った。あの子は、包帯を巻いた手で、もう二度と、父親に頭を撫でてもらえない夜を、幾つ、過ごしたのだろう。
私は、うたうのを、やめようとした。私に、この歌をうたう資格は、ない。人の子から、夜を奪った者が、子守唄など。だが、喉は、止まらなかった。歌は、私の意志を越えて、掠れながら、続いた。それは、詫びだった。届かぬ、詫びだった。あの子の、奪われた夜への。死んだ父親への。歩けなくなった母親への。そして、もう、この世にいない、私自身の母への。うたうことしか、私には、できなかった。うたうことでしか、私は、その夜たちに、触れられなかった。
眠れ、眠れ。
星が、海をわたるまで。
うたい終えて、私はふと、窓を見た。
窓が、黒くなかった。
いつのまにか、そこに、一つ、光が入っていた。
小さな、けれど、冴え冴えとした、蒼い光だった。星だった。手のひらほどの空の、その隅に、一つの星が、いちばん暗い刻のなかで、いちばん強く光っていた。私は息を止めて、それを見た。ほかの星は見えなかった。月もなかった。ただ、その一つだけが、闇の底で、青く、鋭く、燃えていた。
彗星だ、と、私は思った。
いつだったか、作業場のラジオで、誰かが言っていた。ミラという名の彗星が、この季節、夜明け前の空に近づいて、いちばん暗い刻に、いちばん明るく見えるのだと。私はそれを、聞き流していた。空など、私には関係がなかった。手のひらほどの空しか、私には許されていなかった。
だが今、その手のひらほどの空に、ミラが、来ていた。
私が撥ねた家族の、生き残った娘が、私に片方の手袋を送ってきた、その夜に。私が十七年ぶりに火を灯し、忘れていた子守唄を思い出した、その夜に。いちばん暗い刻の、いちばん暗い窓に、蒼い星が、一つ、来ていた。
偶然だ、と私は思った。星は、私のために出たのではない。星は、ただ、そこにある。私が見ようと見まいと、星は、その軌道を、何百年もかけて、めぐってくる。私の罪も、私の悔いも、星には関わりがない。星はただ、暗い刻に、光っている。
だが、と、私はもう一度思った。
だが、その、私に関わりのない光を、私は今、見ている。
私は、片方の手袋を嵌めた左手を、ゆっくりと、窓のほうへ挙げた。
届きはしない。窓は高い。だが私は、手を挙げた。手袋の綻びた指先を、蒼い星のほうへ向けた。あの母親が、右手が利かなくなってから、左手一つで、飯を炊き、洗濯をし、娘の髪を梳いた、その手袋を。私は、その手を、星のほうへ挙げた。
見てくれ、と、私は言わなかった。
赦してくれ、とも、言わなかった。
私はただ、手を挙げていた。何も言わずに。ただ、その光の下に、私という者が、まだ、生きて、悔いて、ここにいることを、星に――いや、星ではなく、あの死んだ母親に、死んだ父に、そして、憎みきれなかったと書いた娘に、示すように。示す資格もないのに、それでも、手を挙げていた。
星は、答えなかった。星は、ただ、光っていた。
冷えが、私の背骨をのぼった。私は手を下ろした。だが、下ろした手の甲には、まだ、手袋があった。
私は、その蒼い星を見ながら、外の世界のことを、思った。
十七年。その歳月のあいだに、世界は、どれほど変わったのだろう。私が入ったとき、まだ、町には木造の家が多かった。人は、公衆電話に並んだ。私の知っている店は、もう、ないだろう。私の知っている顔は、もう、老いたか、死んだか、遠くへ行ったか。私は、変わってしまった世界に、たった一人、投げ出される。誰も、私を知らない。私も、誰も、知らない。
その不安は、冷えよりも、深く、私を震わせた。塀のなかは、たしかに牢獄だった。だが、そこには、決まりがあり、時間があり、私の居場所が――番号という、卑小な、だが確かな居場所が――あった。塀の外には、それがない。私は、何者でもない。前科者という、消えない印だけを背負った、老いかけた男。仕事は、あるのか。住む場所は。私を、雇う者はいるのか。私に、部屋を貸す者は。
やり直せるのか、と、私は、また、思った。この夜、幾度、思ったか知れない。答えは、出なかった。世界は、私を待ってはいない。世界は、私を、赦してはいない。世界は、ただ、変わってしまい、そして、冷たく、そこにある。
だが、と、私は、蒼い星を見た。
だが、星も、変わらずに、そこにあった。十七年、私が塀のなかにいるあいだも、星は、その軌道を、めぐっていた。そして今、夜明け前の、いちばん暗い刻に、また、戻ってきた。世界は変わった。だが、変わらぬものも、ある。星は、変わらぬ。子守唄も、変わらぬ。母の火の音も、繕いの糸も、憎みきれなかったという、あの一言も。変わってしまった世界の底に、変わらぬものが、幾つか、沈んでいる。私は、その、変わらぬもののほうを、頼りに、生きていくほかない。
朝は、少しずつ来た。
窓のなかの黒が、だんだんと、藍に変わった。藍が、群青に変わった。星は、その明るさのなかに、ゆっくりと溶けていった。いちばん暗い刻が終わり、いちばん明るい星が、朝に呑まれていった。だが、私は、それを悲しいとは思わなかった。星は、朝を連れてきて、そして、朝に道を譲った。子守唄のとおりに。星が、海をわたった。
私は、箱のなかのものを、一つずつ、整えた。
肌着を畳んだ。手拭いを畳んだ。石鹸を、包み直した。飴の袋を、上衣の懐に入れた。青いマッチ箱を、その隣に入れた。そして、片方だけの手袋を――私は、それを、左手に嵌めたまま、外そうとしなかった。外せなかった。この手袋を嵌めて、私は外へ出よう。片方だけで、寒さに耐えてきたこの手袋を嵌めて、私も、片方だけで、外へ出よう。
そう決めると、私は、少しだけ、息が楽になった。
鐘が鳴った。
起床の鐘だった。だが、その鐘は、もう私を数えなかった。廊下に、足音がした。近づいてきた。鉄の扉の向こうで、鍵が回った。重い音を立てて、扉が開いた。
担当官が、立っていた。若い担当官だった。彼は、帳面を見なかった。私を、番号で呼ばなかった。彼は、私の姓を呼んだ。
私の、名を。
十七年ぶりに、私は、番号ではなく、名で呼ばれた。喉の奥で錆びついていた名が、他人の口から、はっきりと、私のほうへ差し出された。私は、立ち上がった。膝が、少し鳴った。私は、その名のほうへ、歩いた。
「出られるな」と、担当官は言った。
「はい」と、私は答えた。声が、掠れた。
担当官は、私の左手の、片方だけの手袋を、一瞬、見た。何か言うかと思った。だが、彼は、何も言わなかった。ただ、小さく、うなずいた。それから、廊下のほうへ、身を引いて、私に道を空けた。
この若い担当官のことを、私は、少し、知っていた。名を、覚えているわけではない。だが、この男が、夜勤の巡回のとき、他の担当官のように、ただ機械的に房を覗くのではなく、時折、立ち止まって、眠れずにいる受刑者に、小声で、「どうした」と、声をかけるのを、私は、知っていた。一度、私が、母の命日の夜、眠れずにいたとき、この男が、通りがかりに、立ち止まった。何も言わなかった。ただ、しばらく、格子の外に、立っていた。それから、「冷えるな」と、一言だけ言って、行った。その「冷えるな」の一言を、私は、覚えている。房の冷えのなかで、その言葉だけが、温かかった。
人は、番号を、人間に戻す力を、持っている。ほんの、一言で。「冷えるな」で。「どうした」で。「達者でな」で。この十七年、私を人間のほうへ、幾度も、引き戻してくれたのは、そういう、名もない一言たちだった。私が、あの雨の夜、人を、番号以下のものに――ただの、通り過ぎる障害物に――してしまったことの、対極に、その一言たちは、あった。私も、いつか、誰かに、そういう一言を、言える者に、なれるだろうか。冷えるな、と。どうした、と。人を、人間のほうへ、引き戻す一言を。
私は、房を出た。
出しなに、一度だけ、振り返った。房の、爪で刻んだ十七年分の日付を。石の冷えを。手のひらほどの窓を。窓は、もう明るかった。星は、なかった。だが、そこに星があったことを、私は知っていた。それで、足りた。
廊下は、長かった。
いくつもの扉を、いくつもの鍵を、私は通った。そのたびに、鉄の音がした。その音が、少しずつ、私の後ろへ、遠ざかっていった。最後の扉が、開いた。
外の空気が、来た。
風が、あった。匂いが、あった。房の石の冷えとは違う、生きた冷えだった。土の匂い、草の匂い、遠くの町の、朝の匂い。私は、その空気を、胸いっぱいに吸った。吸ったとたん、目の奥が、熱くなった。だが、私は、まだ、泣かなかった。泣く資格は、まだ、ない。
門のところに、小さな机があり、係の者が、私に、いくつかの書類を渡した。出所の証書。当座の路銀。それから、更生保護施設の、住所を書いた紙。「ここへ、行きなさい」と、係の者は言った。「行くあてがないなら、まず、ここへ。当分は、置いてくれる。仕事も、世話してくれる。」私は、その紙を、受け取った。行くあてが、ないわけではなかった。だが、あるわけでも、なかった。私は、その紙を、上衣の懐の、青いマッチ箱の隣に、しまった。
「達者でな」と、係の者は言った。事務的な口調だったが、その一言のなかに、わずかな、人間の温度があった。私は、頭を下げた。深く、長く、下げた。この十七年、私を、番号として扱ってきた場所への、別れではなかった。私を、それでも、人間として、門の外へ送り出してくれる、その一片の情への、礼だった。頭を上げると、係の者は、もう、次の書類に、目を落としていた。それでよかった。私のような者に、いつまでも、心を向ける必要はない。
塀の外に、道があった。
道の先に、朝の光が、差していた。まだ低い、斜めの、金色の光だった。その光のなかへ、私は、踏み出さねばならない。だが、私は、扉のところで、しばらく、動けなかった。光が、まぶしかった。十七年、手のひらほどの空しか見ていない目には、その光は、あまりに、広かった。
道の先に、人影が、一つ、あった。
私は、目を細めた。光のなかで、その影は、よく見えなかった。誰かが、道の脇に、立っていた。私を待っているのか、たまたまそこにいるのか、わからなかった。私に、迎える者はいない。そう思って、私は生きてきた。だから、それは、私を待っているのではない。ほかの誰かを、あるいは、誰も。
だが、その影が、こちらを向いた。
若い、女だった。
私は、その顔を、遠くから、見た。見覚えは、なかった。あの、六つの子どもの顔を、私は覚えている。だが、成人した顔は、知らない。知るはずがなかった。だが、その女は、右手を、少し、挙げた。挙げて、また、下ろした。手を振るでもなく、招くでもなく、ただ、そこに私がいることを、認めるように。
私は、左手を、見た。
片方だけの手袋を嵌めた、左手を。
その手袋を、私は、そっと、挙げた。あの母親の手を。娘のほうへ。女は、動かなかった。私も、動かなかった。私たちは、朝の光のなかで、道の両端に、離れて、立っていた。近づく資格が、私にはなかった。近づいてくれと言う資格も。
女が、私の左手の、手袋を、見ているのが、わかった。遠目にも、それが、母の手袋だと、彼女には、わかっただろう。繕った糸の一針一針を、彼女も、覚えているはずだった。母が左手だけで暮らした年月を、いちばん近くで見ていたのは、彼女なのだから。その手袋を、私が、嵌めている。捨てずに。嵌めて、塀の外へ出た。彼女は、それを、確かめるように、じっと、見ていた。
私は、彼女が、なぜ、ここに来たのか、まだ、わからなかった。私を、確かめに来たのか。私が、本当に、母の手袋を嵌めて出てくるのか。私が、本当に、悔いているのか。それとも、ただ、自分の手で、母の手袋の行き先を、見届けたかったのか。あるいは、私にも、彼女自身にも、説明のつかない、何か、もっと深いところからの、衝動だったのか。わからなかった。だが、わからなくて、よかった。すべてがわかってしまえば、それは、ただの取引になる。わからないまま、彼女は、そこにいた。それが、人と人の、いちばん、本当のところなのだと、私は、思った。
だが、女は、そこに、いた。
私は、扉を、離れた。
一歩、道へ、踏み出した。
冷えた朝の光が、私の顔に、まともに、当たった。まぶしかった。だが、私は、目を、閉じなかった。開けて、その光を、受けた。十七年、手のひらほどの空しか見なかった目で、私は、朝の、広い空を、受けた。空の隅には、もう、星はなかった。星は、朝を連れて、去った。だが、星がそこにいたことを、私は、この手のなかに、覚えている。
もう一歩、私は、歩いた。
道の先の女は、まだ、そこにいた。私を待っていたのかどうか、私には、わからない。近づいて、確かめる勇気は、まだ、ない。ただ、私は、歩いた。女のいる方へではなく、朝の光のなかへ。やり直せるのか、と、この夜、私は幾度も思った。答えは、まだ、ない。塀を出たからといって、私の罪が、消えるわけではない。歩けなくなった母親の脚が、戻るわけではない。死んだ父が、生き返るわけではない。
やり直しは、できない。過ぎたことは、過ぎたことのままだ。
だが、これから、なら――。
これから、なら、私は、片方だけの手袋を嵌めて、寒さに耐えながら、この道を、歩いていける。誰も、私を赦さなくていい。私自身も、私を赦さなくていい。ただ、私は、悔いを抱えたまま、その悔いを捨てずに、生きていける。捨てないことが、私にできる、たった一つの、償いだった。
道の途中で、私は、一度、立ち止まった。
道の両脇に、まだ枯れた冬草が、朝露に濡れて、光っていた。露の一粒一粒が、低い朝日を受けて、小さな星のように、瞬いていた。地上に、星が、散っていた。空の星は、朝に呑まれて消えたが、地上には、露の星が、こんなにも、あった。私は、しゃがんで、その一粒に、指で触れた。冷たかった。だが、その冷たさは、房の石の冷たさとは違った。生きた、朝の、露の冷たさだった。指先が濡れた。私は、その濡れた指を、しばらく、見ていた。
十七年ぶりに、私は、露に触れた。こんな、ささやかなことに、これほど、心が動くとは。塀のなかにいた頃には、思いもしなかった。露に触れる自由。草の匂いを嗅ぐ自由。しゃがんで、朝日を見上げる自由。私が奪われていたのは、こういう、名もない、無数の、小さな自由だったのだと、今、初めて、わかった。そして、私が久江たちから奪ったのも、こういうものだったのだと。父親と手をつないで歩く朝の、無数の、小さな自由を。私は、それを、償えない。だが、せめて、この露の一粒を、彼らのぶんも、心に刻もうと、思った。
懐から、青いマッチ箱を、取り出した。かさ、と、なかのマッチが鳴った。母の火の音だった。私は、それを、掌のなかに、握った。マッチは、火をつけるためのものだ。だが、私は、火をつけなかった。ただ、握った。この火を、いつか、誰かのために、灯す日が来るかもしれない。竈の火を。誰かの、朝の、味噌汁のための火を。その日が、来るのかどうか、わからない。だが、火は、まだ、私の手のなかに、ある。
私は、また、歩き出した。
道の先の女は、いつのまにか、こちらへ、少しだけ、近づいていた。私も、少しだけ、近づいた。まだ、遠い。まだ、言葉は、届かない。だが、私たちのあいだの、道の長さが、ほんの少しだけ、縮まった。
朝の光が、道の上を、まっすぐに、伸びていた。
その光の上を、私は、歩いた。片方だけの手袋を嵌めた左手を、垂らしたまま。その手の甲には、まだ、あの母親の手袋の、繕いの結び目が、触れていた。冷えていた。だが、その冷えのなかに、確かに、一つ、温かいものが、あった。憎みきれなかった、という、その一言の温かさが。
私は、もう、番号では、なかった。
朝が来て、私は、名を、取り戻した。取り戻した名を、私は、これから、どう生きるのか。まだ、わからない。だが、いちばん暗い刻に、いちばん明るい星が出て、その星が、朝を連れてきた。子守唄のとおりに。星が、海をわたった。私は、それを、この目で、見た。手のひらほどの窓の、その隅に。
だから、と、私は思った。
だから、私も、わたろう。片方だけで。寒さに耐えて。この、明けたばかりの、広すぎる朝の、その光の海を。
道の先で、女が、待っていた。あるいは、待っていなかった。だが、そこに、いた。私は、その方へ、一歩ずつ、歩いた。近づく資格が、私にあるのかどうか。それは、これから、生きて、確かめるほかない。
近づくにつれて、女の顔が、少しずつ、見えてきた。若い、けれど、その目のなかに、年齢よりも深いものを湛えた、顔だった。あの、六つの子どもの目が、その顔のなかに、確かに、残っていた。法廷で、包帯を巻いた手で、私を、じっと見ていた、あの目が。だが、今、その目は、私を、憎んではいなかった。恨んでもいなかった。ただ、静かに、見ていた。見届けようとしていた。この男が、母の手袋を嵌めて、塀の外へ、どんな顔をして、出てくるのかを。
私は、あと十歩ほどのところで、また、立ち止まった。それ以上、近づいてはいけない気がした。彼女と私のあいだには、越えてはならない距離が、あった。十七年でも、埋まらぬ距離が。あるいは、生涯、埋まらぬ距離が。私は、その距離を、越えようとはしなかった。ただ、その距離を、隔てて、彼女に、深く、頭を下げた。言葉は、なかった。詫びの言葉は、軽すぎた。感謝の言葉は、厚かましすぎた。だから、私は、ただ、頭を下げた。この十七年で、いちばん、深く。
顔を上げると、彼女は、小さく、うなずいていた。それだけだった。それから、彼女は、身を翻し、朝の道を、町のほうへ、歩き去っていった。振り返らなかった。私も、追わなかった。だが、去りぎわに、彼女が、一度、右手を、そっと挙げたのを、私は、見た。手を振るのでも、招くのでもない。ただ、片方だけの手袋を嵌めた私の左手に、応えるように。母の右手が、母の左手に、届くように。二つの手袋は、遠く離れて、それでも、朝の光のなかで、確かに、一度、向き合った。
朝の光は、冷たくて、まぶしくて、そして、どこまでも、広かった。
私は、その光のなかへ、片方の手袋を嵌めた手を、垂らしたまま、歩いていった。振り返らなかった。塀は、もう、後ろにあった。前には、道だけが、あった。長い、明るい、まだ名前のない、一日の始まりの、道だけが。