明け方のひとつ
午前四時の窯は、まだ夜の匂いがする。
その匂いを、わたしは三十年かけて覚えた。冷えきった鉄と、昨日の粉と、乾いた薪(まき)の、どこか土に似た匂い。そこへ火を入れると、匂いは少しずつ変わっていく。煙が立ち、鉄があたたまり、やがて窯の腹の底から、朝の匂いが生まれてくる。パンを焼く者だけが知っている、あの匂いだ。
わたしの店は、坂の途中にある。名は「もりた」という。看板には「パン もりた」とだけ書いて、あとは何も書いていない。屋号らしい屋号もない。ただの苗字だ。先代――わたしの父が、そう決めた。パン屋にたいそうな名前はいらん、と父は言った。うまいか、うまくないか。人が買うか、買わないか。それだけだ、と。
父はもう十二年前に死んだ。母はそのもっと前に。今はわたしひとりで、この小さな店を守っている。妻もいない。子もいない。いや、いたのだが――その話は、まだ早い。
坂の下には、昔ながらの商店街がある。魚屋、乾物屋、豆腐屋、床屋。どれもわたしと同じように歳をとって、シャッターを半分だけ上げて商いをしている。坂の上には、新しく建った団地がある。若い家族が住んでいて、朝はずいぶん賑やかだ。わたしの店は、その古いものと新しいものの、ちょうど境目に立っている。境目というのは、案外いい場所だ。どちらの人も、坂を上り下りするついでに、寄ってくれる。
この坂を、わたしは、生まれてから一度も、離れたことがない。生まれたのも、この店の二階だ。産声をあげたその朝も、階下では父が窯に火を入れていたと、母から聞いた。わたしという人間の、いちばん最初の記憶も、粉の匂いだ。目を覚ますと、いつも、階下から粉の匂いが上ってきた。父が、生地を捏ねていた。とん、とん、と、台を打つ音がした。それが、わたしの子守唄だった。母は、ほんとうの子守唄も、よく歌ってくれた。「眠れ、眠れ、星が海をわたるまで」――そういう、古い歌だった。けれど、わたしにとっての子守唄は、やはり、父の生地を打つ音のほうだった。とん、とん、と。夜明け前の、あの音。
だから、わたしは、ほかの仕事を考えたことがない。パン屋の子は、パン屋になる。それが、当たり前だと思っていた。若い時分に、一度だけ、都会の大きなパン屋で修業したことがある。三年ほど。けれど、結局、この坂へ帰ってきた。都会のパンは、きれいだった。形がそろって、色つやもよかった。けれど、あの店のパンには、夜明け前の匂いが、しなかった。窯に火を入れる、あの、夜の名残の匂いが。わたしは、それが恋しくて、帰ってきた。父は、何も言わずに、わたしを店に入れた。「帰ってきたか」と、それだけ言った。無口なのは、父ゆずりだ。
パン屋の一日は、夜のうちに始まる。
前の晩、店を閉めてから、わたしは翌朝の生地を仕込む。粉を計り、水を合わせ、酵母(こうぼ)を起こす。捏(こ)ねて、丸めて、冷たい場所に置いておく。生地は、夜のあいだにゆっくりと発酵する。人が眠っているあいだに、粉と水と酵母だけが、暗がりのなかで静かに息をしている。
朝、わたしが店に降りていくと、生地はふくらんでいる。前の晩の倍ほどにも。手のひらでそっと押すと、ぷつり、ぷつりと小さな泡が弾ける音がする。生きているのだ、と、そのたびに思う。誰が見ていなくても、褒めてやらなくても、生地はきちんと、ひと晩かけて自分の仕事をしている。
わたしは午前四時に起きる。目覚まし時計はもう何年も使っていない。躰(からだ)が覚えているのだ。四時になると、暗いなかで目が覚める。三十年もそうしていると、目覚まし時計のほうが、わたしの躰に合わせて鳴るようになる。だから鳴る前に、いつも止めてしまう。
四時に起きて、まず窯に火を入れる。それから生地を成形する。分割して、丸めて、また少し休ませて、形をととのえる。フランスパンの生地には切れ目を入れ、あんパンには餡(あん)を包み、クロワッサンの生地は幾重にも折る。手が勝手に動く。頭で考えることは、もう何もない。
窯が焼き頃の温度になるのは、だいたい五時すぎ。空が、ようやく白みはじめるころだ。
その、空が白みはじめるころに――あの客が来る。
いつからだったか、はっきりとは覚えていない。
二年ほど前の、秋のことだったと思う。まだ夜の明けきらない、五時前。わたしが窯の前でパンの焼きあがりを待っていると、店の表のガラス戸を、こつ、こつ、と叩く音がした。
こんな時刻に、と思った。店を開けるのは六時半だ。それより一時間半も早い。夜明け前に客が来ることなど、それまで一度もなかった。
戸を開けると、女がひとり、立っていた。
歳のころは四十の半ばか、もう少し上か。暗がりのなかで、顔ははっきりとは見えなかった。ただ、ひどく疲れているのだけは分かった。疲れているというより、何かを長いこと堪(こら)えて、それでもう堪えきれなくなった――そういう顔だった。薄手のコートを着て、その下は、白っぽい上着のように見えた。
「あの……」と、女は言った。声が掠(かす)れていた。「まだ、開いていませんよね」
「六時半からです」と、わたしは答えた。
女はうなずいて、それでも動かなかった。ガラス戸の向こうに立ったまま、店のなかを――というより、窯のほうを、じっと見ていた。窯からは、焼けたばかりのパンの匂いが、戸の隙間から漏れていたのだろう。
「いい匂い」と、女は言った。ひとりごとのような、小さな声だった。「……あたたかそう」
わたしは、なぜだか、その女を追い返す気になれなかった。
「ひとつ、焼きあがってます」と、わたしは言った。まだ看板も出していない、その日いちばん最初の、丸パンだった。まだ売り物にする前の、試し焼きのようなものだった。「よかったら」
女は、はっとしたようにわたしを見た。それから、ゆっくりと首を横に振った。
「お金を……あんまり、持っていなくて」
「いいんです」と、わたしは言った。自分でも、なぜそんなことを言ったのか分からなかった。「一個くらい。試しに焼いたやつだから」
わたしは紙袋に丸パンをひとつ入れて、戸の隙間から差し出した。焼きたてで、まだ熱かった。女は両手でそれを受け取った。両手で、包むように。まるで、あたたかいものを、ずっと待っていた人のように。
「……ありがとうございます」
女はそう言って、深く頭を下げた。そして、白みはじめた坂道を、下りていった。
その後ろ姿を、わたしは戸口から見送った。坂の下のほうは、まだ夜の色が残っていた。女の姿は、その夜の色のなかへ、溶けるように消えていった。
翌朝も、女は来た。
同じ時刻、同じように、ガラス戸を、こつ、こつ、と叩いた。わたしはもう、驚かなかった。戸を開けて、その日いちばん最初の丸パンを、紙袋に入れて渡した。
「今日は、お金を持ってきました」と、女は言った。小さな財布から、硬貨を出そうとした。
「いいんです」と、わたしは言った。「まだ、店を開ける前だから。これは、勘定に入らないパンなんです」
勘定に入らないパン。口にしてから、いい言い方だと思った。店を開ける前の、いちばん最初のパン。それは商いのパンではない。焼いた者と、それを受け取る者のあいだにだけある、名前のないパンだ。
女は、しばらくわたしの顔を見ていた。それから、財布をしまった。
「じゃあ……明日も、来ていいですか」
「どうぞ」と、わたしは言った。「明け方は、いつも一個、余ってますから」
余ってなどいなかった。試し焼きの一個は、いつもわたし自身の朝飯だった。三十年、それを食べてきた。けれど、それきり、わたしは朝飯を抜くようになった。かわりに、その一個を、あの女に渡した。
こうして、明け方の客が始まった。
女は、毎朝来た。
雨の日も、風の日も。ひどく寒い冬の朝も、蒸し暑い夏の朝も。空が白みはじめるあの時刻に、坂を上ってきて、ガラス戸を叩いた。わたしは丸パンをひとつ渡す。女はそれを両手で受け取り、頭を下げて、坂を下りていく。それだけのことが、二年も続いた。
わたしたちは、ほとんど口をきかなかった。
わたしがもともと無口なのだ。子どものころから、言葉の少ない子だった。父にもよく叱られた。挨拶ができん、返事が遅い、と。けれど、パンを焼くのに、言葉はいらなかった。粉は口をきかない。窯も口をきかない。生地は、ただ黙って発酵する。わたしはそういうものたちと、三十年、暮らしてきた。だから、口の利き方を、だんだん忘れてしまった。
妻が生きていたころは、まだ、少しは喋った。妻は、よく喋る人だった。わたしのぶんまで喋って、笑って、店を明るくしてくれた。灯の明るさは、母親ゆずりだ。妻が死んで、その明るさを、灯が引き継いだ。そして、灯まで逝ってしまうと、わたしの店から、声というものが、消えた。客が来ても、「いらっしゃいませ」の一言が、うまく出てこない。うなずくだけになった。それでも、客は、来てくれた。無口なパン屋のパンでも、うまければ、人は買ってくれる。父の言ったとおりだった。うまいか、うまくないか。それだけだ。
だから、あの女――佐倉さんが、毎朝、無言でパンを受け取って帰っていくのは、わたしには、かえって、心地よかった。言葉のいらない相手だった。ガラス戸ひとつ隔てて、ただ、パンを渡し、受け取る。それだけの間柄。けれど、その、言葉のなさのなかに、何か、通じあうものが、あった。無口な者どうしにしか分からぬ、静かなやりとりが。わたしは、毎朝、その時刻が来るのを、いつのまにか、待つようになっていた。
女も、無口だった。というより、何かを話したがっているのに、それを言えずにいる――そんなふうに見えた。ガラス戸の向こうで、時おり、口を開きかけて、それでも何も言わずに、パンを受け取って帰っていく。わたしたちのあいだには、いつも、言葉にならない何かが、湯気のように立ちのぼっていた。
わたしは、女のことを何も知らなかった。名前も、どこに住んでいるのかも、なぜ夜明け前に坂を上ってくるのかも。ただ、少しずつ、分かってきたことはあった。
女の着ているものが、いつも白っぽい上着だということ。よく見ると、それは看護の仕事をする人の着るもののように思えた。夜明け前に現れるのは、夜勤の帰りだからかもしれない。ひと晩じゅう働いて、疲れきって、坂を上ってくる。パンひとつを、両手で受け取って。
女の左手には、いつも手袋が嵌(は)まっていた。
片方だけ、だった。右手は素手で、左手にだけ、薄い、白い手袋。冬でも、夏でも。看護の仕事なら、両手に手袋をするだろうに。左手だけ、というのが、わたしにはずっと、腑に落ちなかった。けれど、訊(き)くようなことでもない。人には、人の事情がある。パン屋が、客の手袋の詮索をしてどうなる。
季節が、めぐった。
秋に始まった、明け方のやりとりは、冬を越し、春を越し、また夏になった。冬の朝は、女の吐く息が白かった。マフラーに顔を半分埋めて、坂を上ってきた。パンを渡すと、両手で受け取って、その熱を、たしかめるように、しばらく持っていた。春には、坂の下の桜が咲いた。花びらが、女の肩に、ひとひら、載っていることがあった。梅雨のころは、傘をさして。夏の朝は、白い上着の袖を、まくって。汗を、拭いながら。
そのあいだじゅう、わたしたちは、ほとんど、口をきかなかった。「おはようございます」も、言わなかった。ただ、戸を叩く音がして、戸を開けて、パンを渡す。女は受け取って、頭を下げて、坂を下りていく。それだけ。けれど、その「それだけ」のなかに、季節が、めぐっていた。冬の白い息も、春の花びらも、夏の汗も、みな、あの丸パンひとつを、両手で受け取る、その所作のなかに、あった。
時おり、わたしは思った。この人は、いったい、どんな夜を過ごして、この坂を上ってくるのだろう、と。病院の夜勤というものが、どういうものか、わたしは知らない。けれど、灯が、たまに、疲れた顔で帰ってきたのを、覚えている。人の生き死にに、ひと晩じゅう、立ち会う仕事だ。楽なはずが、ない。この女も、そういう夜を、いくつも、越えてきたのだろう。そして、その果てに、この坂を上ってくる。あたたかいパンひとつを、両手で受け取るために。わたしは、そう思うと、この見知らぬ女に、なぜだか、身内のような親しみを、覚えるのだった。
わたしにも、事情はある。
さっき、子はいたのだが、と書いた。その話を、少しだけしよう。
わたしには、娘がひとりいた。名を、灯(あかり)といった。明かりの灯だ。生まれた朝が、ちょうど夜明けで、窓の外がぱっと明るくなったから、妻がそう名づけた。パン屋の娘に、灯というのは、いい名だと思った。
灯は、明るい子だった。名のとおりだった。よく笑い、よく喋(しゃべ)り、店に立つと、客がみな、あの子の顔を見に来た。無口なわたしのぶんまで、あの子が喋った。「いらっしゃいませ」も、「ありがとうございました」も、あの子の声はよく通った。坂を上り下りする人が、みな、あの子の声で、朝を始めた。
妻は、灯が十のときに、病で死んだ。それからは、わたしと灯の、ふたり暮らしだった。わたしが夜のうちに生地を仕込み、朝、窯に火を入れる。灯は学校に行き、帰ってくると、店を手伝った。無口な父親と、明るい娘。傍(はた)から見れば、寂しい家だったかもしれない。けれど、わたしたちは、それで、よかった。
灯は、大きくなると、看護の仕事に就いた。人の役に立つ仕事がしたい、と言った。パン屋を継がないのか、と一度だけ訊いたことがある。灯は笑って、「お父さんのパンは、お父さんが焼くから、おいしいんだよ」と言った。それきり、わたしは何も言わなかった。あの子の好きにすればいい、と思った。
灯は、遠くの町の病院に勤めた。夜勤の多い、忙しい仕事だった。それでも、月に一度は帰ってきて、店を手伝ってくれた。帰ってくる朝は、いつも、いちばん最初に焼けた丸パンを、あの子に食べさせた。「お父さんのパン、やっぱりおいしい」と、あの子はそれを、両手で持って、頬張(ほおば)った。
灯は、丸パンが、いちばん好きだった。あんパンでも、クロワッサンでもなく、何も入っていない、ただの丸パン。「これがいちばん、お父さんの味がする」と、あの子は言った。「余計なものが入ってないから。粉と、水と、酵母と、それから、お父さんの手だけ」と。子どものころから、そうだった。学校から帰ってくると、まず、その日の丸パンを、ひとつ、頬張った。両手で持って。あたたかいうちに。わたしは、その姿を見るのが、好きだった。無口なわたしにとって、あの子が丸パンを頬張る、その顔を見ることが、いちばんの、言葉だった。
いちど、灯が高校生のころ、こんなことを言った。夜勤明けの看護師さんを、テレビで見たのだと。ひと晩じゅう働いて、朝、疲れきって帰る人たち。「ああいう人たちにこそ、あったかいパンを、食べさせてあげたいね」と。「朝、いちばんに焼けた、あったかいパンを。両手で、こう、持って食べる、まあるいパンを」と。わたしは、そのとき、ただうなずいた。まさか、あの子自身が、その夜勤明けの看護師になるとは、思ってもみなかった。そして、そのあの子が、最後に、そのパンを食べたがることになるとは。
その灯が、死んだ。
三年前の、冬の夜だった。夜勤明けの帰り道、疲れていたのだろう、あの子の運転する車が、坂道で滑った。凍った路面だった。ひとりきりの事故だった。相手はいなかった。あの子だけが、逝った。
二十九だった。
灯が死んでから、わたしは、パンを焼くのをやめようと思った。
何のために焼くのか、分からなくなった。あの子に食べさせるために焼いていたのだと、あの子が逝ってから、気がついた。客のためでも、商いのためでもなかった。月に一度、帰ってくるあの子の、両手のなかにあたたかいものを載せてやる――それだけのために、わたしは三十年、窯に火を入れてきたのだ。
けれど、やめなかった。
やめられなかった、というほうが正しい。四時になると、躰が目を覚ます。目覚まし時計もないのに。躰が、窯に火を入れろと言う。手が、粉を計れと言う。三十年の癖は、悲しみよりも根が深い。わたしは、灯のいない朝も、パンを焼き続けた。誰も食べない、いちばん最初の丸パンを焼いて、それを、ひとりで、味もわからずに、飲みくだした。
そういう朝が、一年ほど続いた。
そして、あの女が、坂を上ってきた。
だから、わたしがあの女に丸パンを渡したのは、憐(あわ)れみからではなかった。
あの女が両手でパンを受け取ったとき――両手で、包むように、あたたかいものを待っていた人のように受け取ったとき、わたしは、灯を見たのだ。月に一度帰ってきて、丸パンを両手で頬張ったあの子を。
だから、渡した。渡さずには、いられなかった。
あの女は、わたしにとって、灯のかわりだったのかもしれない。夜勤明けの、白い上着。疲れた顔。坂を上ってくる、明け方の足取り。何もかもが、灯と重なった。わたしは、あの女にパンを渡すことで、逝ったあの子に、もう一度、パンを渡していたのだと思う。
けれど、そんなことは、あの女には言えない。言えるものか。あなたはわたしの死んだ娘に似ている、だからパンをやるのだ、などと。そんなことを言えば、あの女は二度と来なくなるだろう。だから、わたしは黙っていた。ただ、黙って、毎朝、パンを渡した。二年のあいだ。
その朝は、ずいぶん冷えた。
十一月の終わりだった。窯に火を入れると、鉄の冷たさが、いつもより指に沁みた。生地を成形しながら、わたしは、今日は特別に冷えるな、と思った。こういう朝は、あの女も、寒かろう。夜勤の帰りは、なおのこと。
窯が焼き頃になって、わたしはいちばん最初の丸パンを取り出した。まだ薄暗い店のなかで、そのパンだけが、ほんのりと明るく見えた。焼きたてのパンは、いつも、ほんの少し、光っているように見える。
戸の外を見た。まだ、女は来ていなかった。
わたしは、なぜだかその朝、店を出て、坂の上を見あげた。空が、白みはじめていた。東の空だ。坂の上のほう、団地の屋根の向こうが、薄い藍(あい)から、しだいに白へと変わっていく。その白のなかに、一等星が、ひとつ、まだ残っていた。
いや、星ではなかった。
尾を引いていた。細く、長く、蒼白い尾を。それが、白みゆく空のなかで、少しずつ、薄れていくのだった。
彗星(すいせい)だ、と気がついた。
そういえば、何日か前の新聞に、出ていた。ミラ彗星、とかいう名だった。何十年かに一度、地球に近づくのだと。夜のあいだ、南の空によく見えるのだと。けれど、わたしは夜には眠っている。パン屋は、夜を知らない。夜のいちばん深いところは、生地に任せて、わたしは眠ってしまう。だから、彗星のことなど、忘れていた。
その彗星が、今、明け方の空の端で、消えようとしていた。夜のあいだ、あれほど長い尾を引いて空をわたっていたのだろうに、朝が来ると、光に呑まれて、薄れていく。最後の夜の光が、白い空に溶けていく。まるで、夜そのものが、そこから静かに退(ひ)いていくようだった。
わたしは、しばらく、それを見ていた。
灯が逝ったのも、ちょうどこんな、明け方だったのだろうか。夜勤の帰り、坂道で。あの子は、こんな空を見ただろうか。彗星の尾が、白い空に溶けていくのを、見ただろうか。見たのなら、いい。あの子は、きれいなものが好きだった。最後に、きれいなものを見たのなら、それでいい。
妻が生まれたときも、彗星が出ていた、と、母が言ったことがある。いや、あれは灯が生まれたときだったか。もう、記憶が、あやふやだ。とにかく、この家の者が生まれるときには、きまって、明け方の空に、何か光るものが出るのだ、と。そんな言い伝えのようなものを、母は、話してくれた。作り話だったのかもしれない。けれど、こうして、明け方の空に、消えかけの彗星を見ていると、その話が、ほんとうのことのように、思えてくる。生まれるときも、逝くときも、この家の者は、明け方の光に、見守られているのだ、と。
そんなことを、わたしは、彗星の消えていく空の下で、考えていた。夜が、そこから、退いていくのを、見ていた。長い尾を引いた最後の夜の光が、白い朝に呑まれて、静かに、消えていくのを。
戸を叩く音がした。
こつ、こつ、と。いつもの音だった。
われに返って、わたしは店のなかへ戻った。戸を開けると、あの女が立っていた。白い上着に、薄手のコート。左手には、片方だけの手袋。いつもと同じ。けれど、その朝の女は、いつもと少し、違っていた。
泣いていた。
声もなく、ただ、頬に涙を伝わせて、立っていた。夜明け前の薄あかりのなかで、その涙が、光っていた。
わたしは、何も言わなかった。丸パンを、紙袋に入れて、差し出した。女は、それを両手で受け取った。いつものように。けれど、その日は、受け取ったきり、動かなかった。パンを両手で包んだまま、うつむいて、肩をふるわせていた。
「……あの」と、女は言った。声が、ひどく掠れていた。「今日で、最後にしようと、思っていたんです」
わたしは、女を見た。
「最後?」
「ええ」と、女はうなずいた。「あたし、明日から、この町を、離れるんです。仕事を……看護の仕事を、辞めることにして。もう、続けられなくて。だから……このパンをいただくのも、今日で、最後だと」
わたしは、黙っていた。何を言えばいいのか、分からなかった。
「二年、いただきました」と、女は言った。「毎朝。あの……お代も、ろくに払わずに。あたし、ずっと、お礼を言いたかった。ちゃんと。でも、言えなくて。あたし、この二年、ほんとうに、このパンだけで、生きてきたんです」
女は、パンを両手で持ったまま、顔を上げた。涙で濡れた顔で、わたしを見た。
「聞いて、いただけますか」と、女は言った。「あたしの、話を」
わたしは、うなずいた。
「あたし、看護師なんです」と、女は言った。「もう、二十年以上。夜勤の多い病棟に、ずっといました」
女の声は、掠れながら、それでも、静かだった。ひと晩じゅう堪えてきたものを、少しずつ、こぼしていくような話し方だった。
「二年前に、あたし、ひとり、看取(みと)れなかった患者さんがいて」
女は、そこで、いちど言葉を切った。
「若い、女の人でした。事故で運ばれてきて。夜勤の、あたしの受け持ちで。助けられなかった。あたしの手のなかで、逝きました。まだ、二十九だと言っていました。看護師さんなんですね、って、あたし、言ったんです。搬送されてきたとき、白い上着を着ていたから。そうしたら、その人、笑って、うなずいて。それが……最後でした」
わたしの躰の芯が、すっと、冷たくなった。
「その人が、逝くまえに、うわごとみたいに、言ったんです」と、女は続けた。「お父さんのパンが、食べたい、って。丸い、あったかいパンが。両手で、こう、持って食べるパンが。それが、あたしの耳に、ずっと、残って。あたし、その人を、助けられなかったから。だから、その人の、食べたがっていたものを――」
女は、両手のなかのパンを、見つめた。
「町じゅうの、パン屋を、歩いたんです。夜勤の帰りに。丸い、あったかいパンを焼く店を、探して。何軒も、何軒も。でも、朝早くは、どこも開いていなくて。開くころには、パンは、冷めていて。あたしの探していたのは、そういうパンじゃ、なかった。両手で持つと、あったかい。焼きたての。その人が、最後に食べたがった、そういうパン」
「それで、この坂を」と、女は言った。「あの朝、この坂を上ってきて。まだ暗くて。そうしたら、この店だけ、窯に火が入っていて。いい匂いがして。あたたかそうで。あたし、思わず、戸を叩いて。そうしたら、あなたが、焼きたてのパンを、くださった。両手で、受け取れる、あったかいパンを」
女は、泣きながら、笑った。
「あたし、あのパンを、あの人に、食べさせられなかった。でも、あなたのパンを両手で受け取るたびに、あの人に、渡してるみたいな気が、して。二年間。毎朝。それで、あたし、続けてこられたんです。看護の仕事を。あの人のことを、忘れないで。でも……もう、疲れて。もう、続けられなくて。だから、今日で、最後に」
わたしは、長いこと、口がきけなかった。
湯気が、立っていた。窯からも、女の両手のパンからも、女の吐く息からも。夜明け前の、冷えた空気のなかで、いくつもの湯気が、白く、立ちのぼっていた。その湯気の向こうで、わたしは、ようやく、分かった。
この女は、灯を看取った人なのだ。
わたしの娘の、いちばん最後の言葉を聞いた人なのだ。「お父さんのパンが、食べたい」――あの子は、最後に、そう言ったのか。わたしのパンを。丸い、あったかい、両手で持つパンを。わたしは、それを、知らなかった。三年間、知らずにいた。あの子が、最後に何を思ったのか。何を、食べたがったのか。
そして、この女は、それを叶えられなかったことを、二年間、悔いていた。悔いて、町じゅうのパン屋を歩いて、この坂を上ってきた。わたしの店に。よりによって、パンを食べたがった、その子の、父親の店に。
そんなことが、あるだろうか。
けれど、あるのだ。明け方には、そういうことが、起こる。夜のいちばん暗いところで、生地が静かに発酵するように。人の知らないところで、何かが、静かに、繋がっていく。
わたしは、口を開いた。三十年、忘れかけていた口の利き方で、ゆっくりと。
「その子は」と、わたしは言った。声が、ふるえた。「灯、といいます」
女が、はっと、顔を上げた。
「明かりの、灯。生まれた朝が、夜明けだったから」
女の目が、大きく見開かれた。
「わたしの、娘です」と、わたしは言った。「三年前に、逝きました。夜勤明けの、坂道で。あなたの――あなたの手のなかで、逝ったのが、灯です」
女は、声も出せずに、わたしを見ていた。両手のパンが、ふるえていた。
「わたしは」と、わたしは言った。「知らなかった。あの子が、最後に、わたしのパンを、食べたがっていたことを。あなたが、今、教えてくれるまで。三年間、知らずに、いました」
わたしの頬を、何かが伝った。三年間、流れなかったものだった。
「あなたは」と、わたしは言った。「あの子の、最後の言葉を、聞いてくれた。あの子の食べたがったものを、探して、二年も、歩いてくれた。あなたが、あの子を、覚えていてくれた。わたしの知らない、あの子の最後を、あなたが、抱えていてくれた」
わたしは、深く、頭を下げた。パン屋の主人が、客に頭を下げるように、ではなかった。父親が、娘の最期を看取ってくれた人に、頭を下げるように。
「ありがとう」と、わたしは言った。「あの子を、看取ってくれて。あの子の言葉を、覚えていてくれて。ありがとう」
夜が、明けていった。
東の空は、もう、すっかり白かった。彗星の尾は、とうに、消えていた。坂の上に、朝の光が射しはじめ、露に濡れた石畳が、きらきらと光った。どこかで、鳥が鳴きはじめた。世界が、もう一度、始まろうとしていた。
わたしたちは、店の前に、しばらく、立っていた。ふたりとも、涙を拭いもせずに。夜明けの光のなかで。
「……あたし」と、女が言った。「あなたが、あの人の、お父さんだって。ぜんぜん、知りませんでした。ただ、あなたのパンが、あの人の食べたがったパンに、いちばん近い気がして。それだけで」
「近いも、なにも」と、わたしは言った。少しだけ、笑った。三年ぶりに、笑った気がした。「同じパンです。あの子が食べていた、そのパンです」
女は、両手のパンを、見つめた。それから、そっと、口をつけた。ひとくち、頬張った。焼きたての、あたたかい、丸パンを。二年間、毎朝そうしてきたように。けれど、その朝は、違っていた。
女は、パンを噛みしめながら、また、泣いた。今度は、堪(こら)えずに。声をあげて。夜勤明けの、疲れきった顔を、くしゃくしゃにして。
「おいしい」と、女は言った。「……おいしい、です。ほんとうに」
「そうですか」と、わたしは言った。
「あの人も」と、女は言った。「きっと、これを、食べたかった。両手で、持って。あったかいうちに」
「食べさせて、やりたかった」と、わたしは言った。
湯気が、立っていた。女の口もとから、パンから、朝の冷えた空気のなかへ。その湯気の向こうで、わたしは、灯を見た気がした。月に一度、帰ってきて、丸パンを両手で頬張った、あの子を。「お父さんのパン、やっぱりおいしい」――そう言って、笑った、あの子を。
灯は、この人のなかで、生きていた。二年間、この人が、あの子を運んできてくれた。毎朝、この坂を、上って。わたしのところへ。
わたしは、ふと、思った。あの子は、最後に「お父さんのパンが食べたい」と言った。けれど、それは、ただパンが食べたかったのではないのだろう。あの子は、家に帰りたかったのだ。この坂の、粉の匂いのする家に。夜明け前、父が窯に火を入れる、あの家に。丸パンは、あの子にとって、家そのものだったのだ。あの、とん、とん、と生地を打つ音のする、朝の家。わたしが子どものころ、あの音を子守唄にして眠ったように、灯もまた、あの音のなかで育った。だから、最後に、あの子は、その音のするほうへ、帰りたかった。パンを食べたい、というのは、家に帰りたい、という、あの子の、いちばん最後の願いだったのだ。
そして、その願いを、この佐倉さんという人が、聞き届けてくれた。あの子の代わりに、この坂を上って、パンを、家を、両手で受け取ってくれた。二年間。わたしの知らぬところで。
その朝、わたしは、女を店のなかに入れた。
まだ看板も出していない、薄暗い店のなかへ。ふたつある丸椅子(まるいす)のひとつに、女を掛けさせて、わたしは、あたたかいパンを、もうひとつ焼いた。ふたつめの丸パン。今度は、勘定に入らないパンではなかった。ふたりで食べる、朝のパンだった。
女は、椅子に掛けて、店のなかを見回した。古い、小さな店だ。粉の匂いが、壁にも棚にも、沁みついている。壁には、色あせた「パン もりた」の暖簾(のれん)。その隅に、小さな写真立てが、ひとつ。灯の写真だった。店に立って、笑っている、あの子。
女は、その写真を、じっと見た。
「この人です」と、女は言った。「間違い、ありません。この、笑った顔。あたしが、看護師さんですね、って言ったとき、こんなふうに、笑いました」
わたしは、うなずいた。
「灯は」と、わたしは言った。「よく、笑う子でした。無口なわたしの、ぶんまで」
女は、写真に向かって、頭を下げた。長いこと。それから、顔を上げて、わたしを見た。
「あたし」と、女は言った。「町を離れるの、やめようかな」
わたしは、女を見た。
「もう少し、この町に、いようかな。看護の仕事も……もう少しだけ、続けようかな。だって」と、女は、笑った。「あの人の、お父さんのパン。まだ、食べたいから」
わたしは、何も言わなかった。ただ、焼きあがったばかりの、ふたつめの丸パンを、女の両手に、載せた。あたたかい、丸いパンを。両手で、包める、そのパンを。
「どうぞ」と、わたしは言った。「あたたかいうちに」
それから、女は、店を続けて、訪ねてくるようになった。
もう、夜明け前ではなかった。店の開いている、ちゃんとした時刻に。ちゃんと、お代を払って。「あんパンひとつ」「フランスパン、半分に切ってください」――ふつうの客のように。けれど、時おり、朝早く、まだ夜の明けきらないころに、こつ、こつ、と戸を叩くこともあった。夜勤の帰りだ。そういう朝は、わたしは、いちばん最初の丸パンを、勘定に入れずに、渡した。
女の名は、佐倉(さくら)さんといった。二年も通ってきて、その朝、はじめて名を知った。
わたしは、佐倉さんに、一度だけ、訊いたことがある。左手の、片方だけの手袋のことを。
佐倉さんは、少し困ったように笑って、左手を見た。
「これは」と、佐倉さんは言った。「あの人の、手袋なんです」
わたしは、はっとした。
「搬送されてきたとき、あの人、右手に手袋を、していなくて。左手にだけ、していたんです。事故で、片方、どこかへ、いってしまったんでしょうね。あたし、その左手の手袋を、あの人が逝ったあと、外して……返すあてもなくて。ずっと、持っていました。捨てられなくて。だから、あたしが、代わりに、嵌めているんです。あの人の、残した、片方を」
わたしは、佐倉さんの左手を、見た。片方だけの、白い手袋。灯の、残したもの。三年間、この人が、嵌めていてくれたもの。
「返しましょうか」と、佐倉さんは言った。「これは、あの人のもの。お父さんの、もとに、あるべきものかも」
わたしは、首を横に振った。
「いえ」と、わたしは言った。「あなたが、嵌めていてください。あの子も、そのほうが、あたたかいでしょう」
佐倉さんは、うなずいた。目に、また、涙が滲(にじ)んでいた。
灯が逝ってから、店のレジの脇には、ずっと、ひとつの物が置いてある。
小さな、マッチ箱だ。藍色の、紙のマッチ箱。表には、三日月が、刻んである。「月光堂」と、店の名が、記してある。
これは、灯が、くれたものだ。
いつだったか、遠くの町の、古い店で見つけたのだと言って、持ってきた。「お父さん、窯に火を入れるとき、これ、使って」と。今どきマッチでもあるまいと、わたしは笑った。窯に火を入れるのは、ガスの火だ。マッチなど、使いはしない。けれど、灯は、「いいの。おまじない。火の、おまじない」と言った。
だから、わたしは、それを使わずに、レジの脇に、飾ってある。三日月の刻まれた、藍色のマッチ箱。火の、おまじない。灯の、くれた、最後の贈り物。
朝、窯に火を入れるまえ、わたしは、いつも、そのマッチ箱を、指先で、そっと触れる。今日も、いいパンが焼けますように、と。灯に、見ていてもらえますように、と。おまじない。灯の、くれた、おまじない。
佐倉さんが、あの朝、店に入ってきたとき、そのマッチ箱に、目をとめた。
「きれいな、マッチ箱ですね」と、佐倉さんは言った。「三日月の」
「娘が、くれたんです」と、わたしは言った。「火の、おまじないだと。使わずに、飾ってあります」
佐倉さんは、その藍色のマッチ箱を、しばらく見ていた。それから、小さく、微笑んだ。
「あの人らしい」と、佐倉さんは言った。「きっと、あの人、今も、火を見てますよ。お父さんの、窯の火を」
そういえば、と、佐倉さんは、思い出したように言った。
「あの人、逝くまえに、歌を、口ずさんでいたんです。うわごとみたいに、ちいさな声で。子守唄でした。眠れ、眠れ、星が海をわたるまで――そういう歌でした。あたし、その歌を、知らなくて。でも、あの人が、あんまり安らかな顔で歌うので、あたしも、いっしょに、口のなかで、なぞりました。名前も知らない歌を。あの人が、眠りにつくまで」
わたしの胸の奥が、ふるえた。
その子守唄は、母が、わたしに歌ってくれたものだった。そして、わたしが――いや、妻が、灯に歌ってやったものだった。「眠れ、眠れ、星が海をわたるまで」。この家の、代々の子守唄。灯は、それを、覚えていた。最後の最後に、その歌を、口ずさんだ。母から、わたしを通って、あの子へと渡った、あの、古い眠りの歌を。そして、それを、見知らぬ佐倉さんが、いっしょに、なぞってくれた。
あの子は、ひとりで逝ったのではなかった。子守唄を、いっしょに歌ってくれる人が、そばにいた。それだけで、わたしは、救われる気がした。眠るように、あの子は、逝ったのだ。星が海をわたるまで、と歌いながら。
「その歌はね」と、わたしは言った。「この家の、子守唄なんです。わたしの母が、わたしに。わたしの妻が、灯に。歌ってやった歌です」
佐倉さんは、目を、見開いた。それから、その目に、また、涙を溜めた。
「じゃあ、あたし」と、佐倉さんは言った。「あの人に、いちばん、ふさわしい歌を、いっしょに、歌えたんですね。知らずに」
「ええ」と、わたしは言った。「あの子は、しあわせでした。最後に。あなたが、いてくれて」
明け方の窯は、まだ、夜の匂いがする。
けれど、火を入れると、その匂いは、変わっていく。煙が立ち、鉄があたたまり、やがて、朝の匂いが、生まれてくる。夜が、そこから、静かに退いていく。彗星の尾が、白い空に溶けていくように。
わたしは、今も、午前四時に起きる。窯に火を入れ、生地を成形し、いちばん最初の丸パンを焼く。空が白みはじめるころ、それは、焼きあがる。焼きたてのパンは、ほんの少し、光っている。
その丸パンを、わたしは、もう、ひとりで食べはしない。
朝、佐倉さんが来る日は、佐倉さんに渡す。両手で、受け取ってもらう。来ない日は――そういう日も、あるのだが――わたしは、そのパンを、レジの脇の、灯の写真の前に、そっと置く。藍色のマッチ箱の、すぐ隣に。あたたかいうちに。湯気の立つうちに。
佐倉さんは、結局、町を離れなかった。看護の仕事も、続けている。時おり、夜勤の帰りに、まだ暗いうちに、坂を上ってくる。そういう朝は、店の裏の勝手口から、なかへ入れてやる。窯の火の前に、丸椅子をひとつ置いて、そこに掛けさせる。焼きあがるまでの、しばしのあいだ、わたしたちは、火を見ながら、ぽつり、ぽつりと、話をする。灯のことを。あの子が、どんな看護師だったか。どんなふうに笑ったか。佐倉さんは、わたしの知らない灯を、知っている。わたしは、佐倉さんの知らない灯を、知っている。ふたりで、それを、少しずつ、持ち寄る。すると、逝ったあの子の姿が、湯気の向こうに、だんだんと、はっきりと、立ちのぼってくるのだ。
無口なわたしが、こんなに人と話すのは、灯が逝って以来、はじめてのことだった。いや、灯が生きていたころ以来、かもしれない。佐倉さんの前でだけ、わたしは、少しだけ、口が利けるようになった。それも、灯が、遺してくれたもののひとつだ、と思う。あの子は、逝ってなお、無口な父親に、話し相手を、遺していってくれた。
「食べなさい」と、わたしは、小さな声で言う。「お父さんのパンだ。あたたかいうちに」
写真のなかの灯は、笑っている。返事はしない。けれど、わたしには、分かる。あの子は、食べている。両手で、丸パンを持って。「お父さんのパン、やっぱりおいしい」と、笑いながら。
夜が明ける。露が光る。鳥が鳴く。坂を、人が上り下りしはじめる。世界が、もう一度、始まる。パン屋の朝は、こうして、いつも、始まる。
失ったものは、帰ってこない。灯は、もう、帰ってこない。けれど、わたしは、知った。逝った者は、誰かの手のなかで、生きていることがある。両手で、あたたかいものを、受け取ってくれる、誰かの手のなかで。
明け方の、湯気の向こうで、わたしは、今日も、いちばん最初のパンを焼く。誰かの、両手のために。名前も知らぬまま繋がっていく、明け方の縁(えん)のために。焼きたてのパンは、いつも、ほんの少し、光っている。まるで、あの子の名前のように。灯(あかり)、という名前のように。