空いた席
昼前の公園は、ひとを待つのがうまい。
九時をいくらか過ぎると、朝の慌ただしさはもうこの一角には残っていなかった。通勤の靴音は駅のほうへ吸い込まれて消え、保育士に連れられた子らの行列も、ひとしきり噴水のまわりを回ったあとで、どこかへ引きあげていった。あとに残るのは、光と、鳩と、ベンチと、それから、わたしたちのような年寄りだけだ。
わたしがこの公園へ来るようになって、もう、どれくらいになるだろう。
家を出るのは、たいてい、九時前だ。それより早く出ても、ここには誰もいない。それより遅く出ると、宮本さんに、いい顔をされない。ちょうどいい時刻というものが、齢を取ると、日々の隅々に、細かく、決まってくる。朝の味噌汁の熱さも、新聞をひろげる椅子の角度も、玄関で靴べらを使う手つきも、みな、もう、何十年で、決まってしまっている。その、決まりきったものを、ひとつずつ、丁寧になぞっていくことが、一日を、始めるということだった。
わたしの家から公園までは、歩いて、十五分ほどだ。若いころなら、七、八分だったろう。いまは、その倍かかる。途中に、坂がある。たいした坂ではない。けれど、その坂を、わたしは、近ごろ、一度、途中で立ち止まって、息をつくようになった。手すりの、ひんやりとした感触を、手のひらに確かめながら、川のほうを、しばらく眺める。それから、また、歩きだす。そういう、小さな段取りが、いつのまにか、道のなかにも、できていた。
商店街の角の、豆腐屋の前を通ると、ラッパの音がした。ぷう、と、間の抜けた、あの音だ。若い主人が、自転車に、木の箱を積んで、出かけるところだった。「おはようさん」と、わたしが言うと、「あ、どうも」と、主人は、慌てたように、頭をさげた。豆腐屋の店先には、水を張った桶に、白い塊がいくつも沈んでいて、その水面に、朝の光が、揺れていた。一丁、九十円。近ごろ、また、少し、値上がりした。
わたしは砂利を踏んで、いつもの道を歩いた。桜の並木は、もう花の季節をとうに過ぎて、若い葉を茂らせている。その葉の重なりのあいだから、陽が斑になって落ちてきて、砂利の上に、ちらちらと、金色の小さな水たまりのようなものをいくつも作っていた。歩くたびに、その水たまりが肩の上を滑っていく。ぬるくて、やわらかい。木漏れ日というのは、六月のこの時刻がいちばんいい。夏になれば濃すぎるし、秋になれば寂しすぎる。いまが、ちょうどいい。
公園には、朝の名残が、まだ、いくらか、漂っていた。ラジオ体操の会が、七時に、噴水の広場で開かれる。そのころには、三十人ほどの年寄りが集まって、あの、決まった音楽に合わせて、腕を回したり、屈伸をしたりしている。わたしも、若いころは、出ていたことがある。けれど、いまは、出ていない。あの、ぴんと揃った体操が、どうにも、性に合わなくなった。将棋のほうが、いい。揃わなくて、いい。一人ひとりが、勝手に、盤を睨んで、勝手に、負けたり勝ったりしている。あの、ばらばらな感じが、いまのわたしには、ちょうど、よかった。
藤棚の下に、四阿がある。屋根のかかった、木のベンチが二脚、向かいあわせに置かれた小さな場所だ。そのあいだに、脚の低い、古いコンクリートの台がある。誰が置いたのかも知れない、ずいぶん昔からそこにある台で、ちょうど将棋盤をのせるのにいい高さだった。
その台の上に、もう盤が出ていた。
宮本さんだ。いつも、いちばん早い。
「よう」と、わたしは言った。
「よう」と、宮本さんが返した。それだけだ。四十年、ほとんど毎朝、この同じ二音を交わしてきた。もっと言葉の要る朝もあったし、この二音で足りる朝もあった。今朝は、たぶん、足りる朝だった。
わたしは向かいのベンチに腰をおろした。木は、朝のうちに含んだ湿り気を、まだうっすらと残していて、尻の下がひやりとした。この冷たさも、もう体になじんでいる。これがなければ、朝が来た気がしない。
宮本さんは、駒を並べていた。指先が、少し震える。震えながら、それでも、一枚一枚を、決まった場所に置いていく。飛車。角。金。銀。並べる順序まで、四十年で決まっている。並べ終えると、宮本さんはふっと息をついて、盤の右上のあたりを、指の背でそっと撫でた。木目のいい、榧の盤だ。もとは宮本さんの父親のものだったと聞いている。使い込まれて、駒を打つあたりの塗りが、少し剝げかけていた。
「今日は、暑くなるらしいな」と、宮本さんが言った。
「らしいね」と、わたしは言った。
五人と、ひとつの盤
このベンチに集まるのは、だいたい五人だ。
宮本さんと、わたし。それから、河合さんと、松江さんと、それに――土屋さん。
将棋を指すのは、ほんとうのところ、二人だ。盤はひとつしかないのだから、当たり前だ。差し向かいで一局指して、負けたほうが立ち、次の者が座る。勝ち抜き、というほど熱心なものでもない。負けたほうが、そのまま横で茶を飲んでいることもあるし、勝ったほうが「もういい」と言って立つこともある。誰が強いとか弱いとか、そういうことは、もう、あまり関係がない。
いちばん強いのは、土屋さんだった。
これは、五人のあいだで、口に出さずとも決まっていることだった。土屋さんの将棋には、なんというか、粘りがあった。こちらがもう勝ったと思っても、土屋さんの玉は、するりするりと逃げていく。追いつめたはずの盤面が、いつのまにか、ひっくり返っている。「土屋さんの将棋は、鰻みたいだ」と、松江さんがよく言った。「つかまえたと思うと、手のなかからにゅるっと逃げる」。土屋さんは、それを言われると、いつも、皺だらけの顔をくしゃっとさせて笑った。「逃げるのだけが、取り柄でな」と。
土屋さんは、笑うとき、必ず、そう言った。逃げるのだけが取り柄で、と。
わたしたちは、その言葉の裏にあるものを、なんとなく察していた。けれど、誰も、それを問いただすようなことはしなかった。ここは、そういう場所だった。過去を持ち寄る場所ではない。いまの、この盤の上の、この一手だけを分かち合う場所だった。それぞれが、どんな人生を送ってきたのか、どんな別れを抱えているのか、そういうことは、聞かない。聞かないでいることが、この四阿の、暗黙の作法だった。
だから、わたしたちは、土屋さんが戦争で何をしたのかも、戦後に何を失ったのかも、詳しくは知らない。ただ、「逃げるのだけが取り柄で」という、その一言だけを、いつも聞いていた。
一度だけ、土屋さんが、その一言の、少し先を、こぼしたことがある。
いつだったか、秋の、風の冷たい日だった。その日は、めずらしく、四阿に、土屋さんとわたしの、二人きりだった。宮本さんは、法事で来ず、河合さんと松江さんも、風邪で寝込んでいた。わたしと土屋さんは、一局、指した。土屋さんは、いつものように、するりと逃げて、勝った。指し終えたあと、土屋さんは、しばらく、盤の上を、見ていた。それから、ぽつりと、言った。
「逃げるというのはな」と、土屋さんは言った。「思うほど、楽なもんじゃない」
わたしは、黙って、聞いていた。
「追う者は、まっすぐでいい。追えばいい。けど、逃げる者は、いつも、後ろを、気にしとらんといかん。どこまで逃げても、追われとる、という気配が、離れん。……わしは、若いころ、ずいぶん、逃げた。いろんなものから、逃げた。逃げて、逃げて、生き延びた。生き延びたことを、恥じとるわけじゃない。恥じとるわけじゃないが」
そこで、土屋さんは、言葉を切った。
「ときどき、追いつかれたほうが、楽だったかもしれん、と、思うことがある」
それだけ言って、土屋さんは、また、笑った。いつもの、皺だらけの笑いだった。「まあ、こんな話は、いい。もう一局、やるか」。わたしたちは、もう一局、指した。土屋さんは、また、逃げて、勝った。
その話を、わたしは、誰にも、言っていない。宮本さんにも、言っていない。あれは、わたしと土屋さんの、二人きりの秋の、あの一日だけの、話だった。土屋さんが、逃げることの、その裏側を、ほんの少しだけ、見せてくれた、たった一度の、朝だった。
河合さんが、砂利を踏んでやってきた。
「おはようさん」
「よう」
「よう」
河合さんは、いちばん若い。若いといっても、もう七十を過ぎているのだが、このなかでは、いちばんあとから来た人だ。まだ、十年ほどにしかならない。定年で退職して、家にいても妻に邪魔にされるばかりだ、というのが、河合さんがここへ来るようになったきっかけだった。将棋は、正直、あまり強くない。けれど、河合さんがいると、四阿が明るくなる。この人は、どんな話でも、ひとつは笑い話にして返す才があった。
「いやあ、うちのがね」と、河合さんは腰をおろしながら言った。「今朝、味噌汁に、砂糖を入れやがった。ぼけたんじゃないかと思って、よく見たら、あたしの湯呑みに、砂糖壺の匙が入っとった。あべこべに置いたのを、あたしが気づかんかっただけでな」
宮本さんが、ふっと笑った。わたしも笑った。
こういう、なんでもない朝だった。
宮本さんが、盤の向こうから、河合さんを見た。「一局、やるか」
「勘弁してくださいよ、宮本さん相手じゃ」河合さんは手を振った。「あたしはね、土屋さんが来てからにします。土屋さんとなら、いい勝負なんだ」
それは、嘘だった。土屋さん相手でも、河合さんは、まず勝てない。けれど、土屋さんは、河合さんと指すとき、いつも、どこかで、わざと隙を作った。河合さんに、いいところで一手、二手、指させてやるように、盤を運んだ。そうして、最後の最後で、するりと逃げて、勝った。河合さんは、それでも、満足そうだった。「今日は惜しかった」と、いつも言った。土屋さんは、「うん、惜しかった」と、うなずいてやった。
その、うなずき方が、わたしは好きだった。
土屋さんの、うなずき方には、なんというか、相手を、立てるところがあった。将棋の強い人には、たいてい、勝ちを誇るところがある。勝って、当たり前だ、という顔をする。土屋さんには、それが、なかった。あれほど強いのに、勝ったあと、土屋さんは、いつも、少しだけ、申し訳なさそうな顔をした。「いや、たまたまだ」とか、「あんたの、あそこの一手が、良かった」とか、負けた相手の、いいところを、必ず、ひとつは、拾ってやった。
だから、みな、土屋さんに負けても、いやな気がしなかった。むしろ、土屋さんに負けたくて、盤の前に座る、というところが、わたしたちには、あった。土屋さんに、いいところを拾ってもらいたくて、負けに、いく。おかしな話だが、そういうものだった。強いだけの人なら、公園に、いくらでもいる。土屋さんは、強くて、そのうえ、負けた相手を、あたたかくしてくれる人だった。そういう人は、めったに、いない。
松江さんが来たのは、それから少ししてだった。
松江さんは、もと国語の教師で、このなかで、いちばん理屈っぽい。将棋も、理屈で指す。定跡を、たくさん覚えている。けれど、その定跡どおりに指しすぎて、かえって融通が利かないところがあった。宮本さんの、ときどき見せる無茶な指し回しに、松江さんはよく引っかかった。「そんな手は、本に載っておらん」と、松江さんはよく憤慨した。宮本さんは、「本に載っとる手ばかり指しとったら、つまらんだろう」と、涼しい顔をした。
「本日は」と、松江さんは、ベンチに座る前に、必ず、天気の講釈から入る。「梅雨の晴れ間、というやつですな。気圧の谷が、ちょうど抜けたところで。しかし、午後にはまた、湿った空気が入ってくる。夕立の一つも、あるかもしれん」
「へえ」と、河合さんが、いつものように、感心したふりをした。
わたしは、藤棚の向こうの空を、見あげた。
淡い、六月の空だった。青い、というより、白っぽい。薄い刷毛でひとはけ塗ったような、頼りない青だ。その空の、東の隅のあたりに――目を凝らせば、ほんとうに、目を凝らさなければ見えないほどの、細い蒼白いものが、まだ、うっすらと残っていた。
「ミラ彗星だ」と、わたしは、誰にともなく言った。
「ん?」宮本さんが、顔をあげた。
「ほら、あそこ。まだ、残っとる」
みなが、空を見た。松江さんが、目を細めた。「ああ、ほんとうだ。昨夜は、はっきり見えとったが」
「明け方、うちの窓から見たよ」と、河合さんが言った。「便所に起きてな、ふと外を見たら、東の空を、蒼いのが、すうっと。ああ、きれいだな、と思ってな。かみさんを起こそうかとも思ったが、やめといた。あれは、ひとりで見るもんだ」
「そういうもんかね」と、宮本さん。
「そういうもんだよ」と、河合さんが、めずらしく、しんみりと言った。「ああいうものは、ひとりで見るのが、いちばんいい」
彗星は、昇ってくる陽に、もう半分ほど溶けかけていた。あと小一時間もすれば、すっかり見えなくなるだろう。夜のあいだ、あんなにはっきりと尾を引いていたものが、昼の光の前では、こんなにも、頼りない。けれど、消える前の、この、消えかけの一点が、わたしは、嫌いではなかった。夜の、冴えたやつよりも、この、昼前の、いまにも消えそうなやつのほうが、なにか、心にしみた。
わたしたちくらいの齢になると、そういうものに、心が向く。
来ない
さて、と、宮本さんが言った。
「土屋さんは、まだか」
わたしは、砂利道のほうを見た。
いつもなら、土屋さんは、九時半までには来る。誰よりゆっくり、杖をつきながら、桜の並木の向こうから、少しずつ、少しずつ、近づいてくる。その歩みは、ずいぶん、遅い。けれど、遅いなりに、確かで、毎朝、同じくらいの時刻に、四阿の入口に、あの、少し曲がった背中が、ぬっと現れるのだった。
その日、その背中は、なかなか、現れなかった。
「寝坊でもしたかね」と、河合さんが言った。
「土屋さんが、寝坊なんかするもんか」と、松江さんが言った。「あの人は、正確な人だ。時計みたいな人だ」
それは、そのとおりだった。土屋さんは、この五人のなかで、いちばん、時刻に正確だった。雨の日も、風の日も、体の調子の悪い日でも、土屋さんは、来た。来られない日は、前もって、必ず、誰かに言づてをした。「明日は、病院だから、休む」とか、「法事があるから、二、三日、来られん」とか。黙って来ない、ということが、土屋さんには、なかった。
その日、言づては、なかった。
わたしたちは、なんとなく、盤を、始めかねていた。
宮本さんは、駒を並べたまま、盤の前で、腕を組んでいた。誰かと指す気に、ならないようだった。宮本さんと土屋さんは、このなかで、いちばん長いつきあいだった。この公園に、まだこの四阿ができるより前から、二人は、どこかの縁台で、将棋を指していたのだという。四十年、いや、もっとになる。宮本さんにとって、土屋さんは、たんなる将棋仲間ではなかった。二人は、盤を挟んで、半生を過ごしてきた。言葉の要らない、あの「よう」の一音が、いちばん深いのは、宮本さんと土屋さんのあいだだった。
「電話でも、してみるか」と、松江さんが言った。
「番号を、知っとるのか」と、宮本さん。
松江さんは、口ごもった。知らなかった。
わたしたちは、四十年も、あるいは十年も、この四阿で、毎朝、顔を合わせてきた。土屋さんの将棋の癖も、笑い方も、口ぐせも、みな知っていた。けれど、土屋さんの電話の番号を、誰も知らなかった。土屋さんが、どこに住んでいるのかも、正確には、知らなかった。「この、坂の上のほうだ」と、いつだったか、土屋さんが、指をさした方向を、なんとなく覚えているだけだった。家族がいるのかどうかも、知らなかった。奥さんの話を、土屋さんがしたことは、一度もなかった。
これが、この四阿の、作法の、裏側だった。
過去を聞かない、家のことを聞かない、その、慎ましい作法は、いざこういうときになると、まったく、無力だった。わたしたちは、毎朝、あんなに近くにいたのに、いざ土屋さんが来ないとなると、その所在を、確かめる術を、ひとつも、持っていなかった。
四十年、隣に座っていた人の、住まいも、番号も、知らない。
そのことに、わたしは、ふいに、うそ寒いものを感じた。木漏れ日は、あいかわらず、あたたかく、肩の上を滑っていたのに。
「坂の上の、駐在所で、聞いてみるか」と、松江さんが言った。「あそこの、若い巡査は、このあたりの年寄りの顔を、だいたい知っとる」
「駐在所で、なんと聞くんだ」と、宮本さんが言った。「土屋という爺さんの、家を知らんか、と。名字しか、知らんのだぞ。下の名前も、わしは、知らん」
そう言われて、わたしは、はっとした。
そのとおりだった。わたしは、土屋さんの、下の名前を、知らなかった。四十年、いや、河合さんと松江さんにとっては十年、毎朝、顔を合わせてきた人の、下の名前を、誰も、知らなかった。ずっと、「土屋さん」だった。それで、足りていた。名字だけで、足りる関係というものが、この世には、ある。けれど、それは、いざというときには、なんの役にも、立たない関係でも、あった。
「宮本さんは」と、河合さんが、おそるおそる、聞いた。「宮本さんは、いちばん、長いつきあいでしょう。土屋さんの、下の名前くらいは」
宮本さんは、しばらく、黙っていた。
それから、低い声で、言った。
「……富雄、だったか、富夫、だったか。どっちかだ。書いたものを、見たことが、ない。呼んだことも、ない。ずっと、土屋、だった」
宮本さんの声が、そのとき、少し、揺れた。
四十年、盤を挟んで、半生を過ごしてきた友の、下の名前を、富雄だったか、富夫だったか、思い出せない。宮本さんは、そのことに、いま、初めて、気づいたようだった。そうして、その、たったひとつの、思い出せない名前が、この四阿の、四十年の親しさの、正体だった。名前など、要らなかった。名前を呼ばなくても、盤があれば、足りた。足りていた、と、思っていた。
けれど、盤の向こうの席が、空いた、その日になって初めて、わたしたちは、その親しさの、あまりの薄さに、たじろいでいた。あんなに近くにいたのに。あんなに、毎朝、隣にいたのに。
木漏れ日が、揺れていた。何も、知らないわたしたちの上を、あいかわらず、あたたかく、揺れていた。
手袋
昼前の光が、四阿のなかへ、斜めに差し込んできた。
藤棚の葉の影が、コンクリートの台の上に、揺れる模様を落としていた。その模様が、盤の上を、ゆっくりと横切っていく。時が、経っていた。
河合さんが、ふと、ベンチの端に、目をとめた。
「おや」と、河合さんは言った。「これは、なんだ」
河合さんが、拾いあげたのは、手袋だった。
軍手ではない。毛糸の、深い、紺色の手袋だ。手首のところに、細い、灰色の縁取りがしてある。使い込まれていて、指先が、少し、薄くなっていた。片方だけだった。もう片方は、どこにもなかった。
「土屋さんのだ」と、宮本さんが、すぐに言った。
そのとおりだった。それは、まぎれもなく、土屋さんの手袋だった。土屋さんは、冬のあいだ、いつも、この紺の手袋をはめていた。夏になって、もう手袋の要る季節ではなくなっていたが――そういえば、春の初め、まだ肌寒かったころ、土屋さんは、この手袋をはめて、駒を打っていた。指先だけ、手袋を外して、それで、駒をつまんでいた。
「置き忘れて、いったんだな」と、松江さんが言った。「いつのことだろう」
いつのことか、誰にも、わからなかった。
春先には、確かに、はめていた。四月か、五月か。それから、いつのまにか、はめなくなった。手袋を外した季節と、この、ベンチの端に、片方だけが忘れられていた季節と、それが、いつ、重なっていたのか、誰も、覚えていなかった。ひょっとしたら、この手袋は、もう、何週間も、あるいは、ひと月も、このベンチの端に、片方だけで、置かれていたのかもしれなかった。わたしたちは、毎朝、その隣に座っていながら、それに、気づかなかった。
宮本さんが、河合さんから、その手袋を受け取った。
宮本さんは、それを、じっと見た。それから、盤の上に、そっと置いた。飛車の、少し先のあたりに。まるで、そこに、駒を打つように。
「もう片方は、どこにあるかね」と、河合さんが言った。
「さあ」と、宮本さん。
片方だけの手袋というのは、妙なものだ。両方あれば、ただの手袋だ。けれど、片方だけになると、それは、もう、手袋ではない、何か別のものになる。もう片方を、探すもの。待つもの。あるいは、二度と、そろわないもの。
わたしは、盤の上の、その紺色を、見つめた。
榧の盤の、飴色の木肌の上に、深い紺の手袋が、ぽつんと置かれている。その取り合わせが、なんとも言えず、寂しかった。土屋さんの、皺だらけの、けれど、駒をつまむときだけは、妙に若々しかった、あの指のことを、わたしは、思い出していた。
その手袋を、わたしは、覚えていた。
春先、まだ、風の冷たかったころ。土屋さんは、この紺の手袋を、両手にはめて、四阿へやってきた。そうして、盤の前に座ると、右手の手袋だけを、外した。外した手袋を、ベンチの端に、置いた。左手には、まだ、はめたままだ。駒をつまむのは、右手だから、右だけ、外す。左は、寒いから、はめたまま。そういう、ちぐはぐな格好で、土屋さんは、駒を打っていた。
「なんです、その格好は」と、松江さんが、笑った。「片方だけ、手袋なんて」
「これがな」と、土屋さんは言った。「ちょうど、いいんだ。右は、指の感覚が要る。左は、要らん。だから、これでいい」
「理屈は、わかりますがね」と、松江さんは、まだ、笑っていた。「はた目には、間の抜けた格好ですよ」
「間が抜けとるくらいが、ちょうどいい」と、土屋さんは、平然と言った。「きっちりした格好で、将棋なんぞ、指せるか」
いま思えば、あのとき、右手の手袋を、ベンチの端に置いたきり、土屋さんは、それを、はめ忘れて、帰ったのかもしれなかった。左手には、はめていた。だから、片手が、素手でも、気づかずに、帰った。そうして、右の手袋だけが、このベンチの端に、置き去りにされた。もう片方は、たぶん、土屋さんの、左手とともに、あの日、家へ帰り、それきり、簞笥の、どこかに、しまわれた。
片方は、ここに。片方は、あちらに。
そのまま、春が過ぎ、手袋の要らない季節が来て、二つは、二度と、そろわないまま、離れ離れに、なった。そうして今日、その片方が、来なくなった主のかわりに、ぽつんと、盤の上に、置かれている。まるで、土屋さんの、忘れていった、右手そのもののように。
それでも、盤は
「指すか」と、宮本さんが言った。
しばらくの、沈黙のあとだった。
「え?」と、河合さんが言った。
「指そう。せっかく、盤が出とるんだ。土屋さんが来たら、途中でも、代わればいい」
宮本さんは、そう言って、盤の上の手袋を、そっと、また、ベンチの端のほうへ、戻した。もとあった場所へ。そうして、駒を、握り直した。
わたしは、宮本さんの、その手つきを、見ていた。
宮本さんは、土屋さんが来ないことを、心配していないわけではなかった。むしろ、この五人のなかで、いちばん、心配していた。それは、宮本さんの、その、ふだんより、いくらか固い横顔を見れば、わかった。けれど、宮本さんは、その心配を、口にする代わりに、盤を、指そうとしていた。
四十年、この人たちは、そうやってきたのだ、と、わたしは思った。
言葉にしない。ただ、盤を挟む。心配も、悲しみも、老いていくことの、あの、じわじわとした心細さも、みな、盤の上に、置いていく。駒を打つ、その、乾いた、小さな音のなかに、溶かしていく。それが、この人たちの、感情の、たったひとつの、作法なのだった。
「じゃあ、あたしが」と、河合さんが、宮本さんの向かいに、座り直した。「今日は、勝ちますよ、あたしは。土屋さんがいないんだから」
「なんだ、それは」と、宮本さんが、めずらしく、笑った。「土屋さんがおらんと、わしにも勝てんのか」
「そういう意味じゃない」と、河合さんは、あわてて言った。「そういう、意味じゃ、ないんだけどな」
河合さんの声が、少し、湿った。
わたしたちは、みな、わかっていた。河合さんが、何を言おうとして、言えなかったのか。土屋さんがいないと、この盤は、なにか、片方だけの手袋のように、そろわないのだった。五人のうちの、一人が欠けただけで、いつもの朝が、いつもの朝で、なくなってしまう。それが、こわかった。
パチ、と、宮本さんが、歩を突いた。
その音が、四阿のなかに、ひとつ、響いた。
鳩が、砂利の上を、こつこつと歩いていた。噴水の水音が、遠く、聞こえていた。木漏れ日が、揺れていた。何もかも、いつもどおりだった。いつもどおりの、昼前の、ありふれた、公園だった。ただ、盤を挟む顔が、ひとつ、足りないだけだった。
子守唄
一局は、河合さんの負けだった。
宮本さんの、無茶な棒銀に、河合さんは、あっけなく、崩された。「ほら、ごらんなさい」と、松江さんが、横から言った。「そんな棒銀、無理筋だと、あれほど――」松江さんが、宮本さんに一局挑んで、これも、負けた。松江さんの、教科書どおりの受けを、宮本さんの、教科書に載っていない攻めが、破った。松江さんは、盤の上を、しばらく、睨んでいた。それから、「まいった」と、小さく言った。
宮本さんは、強かった。その日は、いつになく、強かった。
わたしは、それを、横で見ていて、なんとなく、わかった。宮本さんは、土屋さんの分まで、指しているのだった。土屋さんがいれば、宮本さんは、こんなに、勝ちにこだわらない。土屋さんの、あの、鰻のような受けを、楽しむように、ゆっくりと、盤を運ぶ。けれど、その日、土屋さんがいないから、宮本さんは、その、行き場のない何かを、ぶつけるように、指していた。
「あんたは、どうだ」と、宮本さんが、わたしに言った。「一局、やるか」
わたしは、うなずいた。
わたしと宮本さんは、盤を挟んだ。駒を並べ、駒を進めた。宮本さんの手は、あいかわらず、震えていた。震える手で、宮本さんは、駒を打った。パチ、パチ、と。
指しているうちに、宮本さんが、ふと、低い声で、何かを、口ずさみはじめた。
「……眠れ、眠れ……星が、海を、わたるまで……」
わたしは、駒を打つ手を、止めた。
それは、子守唄だった。誰もが、どこかで聞いたことのある、あの、古い子守唄だ。宮本さんが、それを、指しながら、ほとんど、無意識に、口ずさんでいた。
「土屋さんが」と、宮本さんが、盤を見つめたまま、言った。「よく、これを、うたっとった。指しながら、負けそうになると、これを、口ずさむんだ。だから、こいつが聞こえてくると、ああ、土屋さんが、追いつめられとるな、と、わかった」
「そうだったかね」と、わたしは言った。覚えて、いなかった。
「そうだよ」と、宮本さんは言った。「あんたは、聞いとらんかったか。わしは、いつも、聞いとった。……土屋さんが、これをうたいだすと、わしは、少し、手をゆるめた。追いつめすぎんように。そうすると、あの人は、するりと、逃げるんだ。逃げて、逃げて、最後に、勝つ」
宮本さんの手が、震えていた。駒の上で、震えていた。
「わしは、あの人に、わざと、負けとったのかもしれん」と、宮本さんは言った。「あの人が、逃げるのが、うまいんじゃない。わしが、逃がしとったのかもしれん。四十年も。……いや、どっちが、どっちを、逃がしとったのか、もう、わからんな」
パチ、と、宮本さんは、駒を打った。
「眠れ、眠れ」と、宮本さんは、また、口ずさんだ。「星が、海を、わたるまで」
わたしは、その唄を、聞いていた。
昼前の光のなかで、震える手で駒を打つ、老いた友の口から、その、古い子守唄が、こぼれ落ちていくのを、聞いていた。それは、土屋さんの唄だった。土屋さんが、この盤の上に、残していった、もうひとつの、片方だけの、手袋のようなものだった。
「あの唄はな」と、宮本さんが、駒を進めながら、言った。「土屋さんの、母親が、うたっとったんだと。ずっと昔、聞いたことがある。土屋さんが、まだ、小さいころ、貧乏な家でな、夜、腹を空かせて、眠れんときに、母親が、あれを、うたってくれたんだと。眠れ、眠れ、星が海をわたるまで、と。……腹が空いとっても、その唄を聞くと、なぜか、眠れたんだと、言うとった」
「そんな話、いつ、聞いたんだ」と、わたしは言った。
「ずっと、昔だ」と、宮本さんは言った。「まだ、この公園に、四阿もなかったころだ。どこかの、川っぷちの、縁台でな。二人で、酒を飲んだ。土屋さんは、あんまり、しゃべらん人だが、あの夜だけは、ぽつぽつと、昔の話をした。母親の話を、した。……それきり、その話は、しなかった。わしも、聞かなかった。けど、あの唄だけは、覚えとる。土屋さんが、盤の上で、追いつめられると、あれを、口ずさむ。無意識に、な。あれは、たぶん、土屋さんにとって、いちばん、心が、しずまる唄なんだ」
わたしは、宮本さんの、口ずさむ、その唄を、聞いた。
追いつめられた土屋さんが、母親の唄で、心をしずめ、そうして、するりと、逃げていく。逃げるのだけが取り柄だ、と言った、あの人が、逃げるときに、いつも、寄り添っていたのは、遠い昔の、貧しい夜の、母親の、子守唄だったのだ。わたしは、それを、いま、宮本さんの声で、初めて、知った。四十年、隣で聞いていたはずの唄の、その、いちばん奥にあるものを、いま、初めて、知った。
それは、土屋さんの唄だった。土屋さんが、この盤の上に、残していった、もうひとつの、片方だけの、手袋のようなものだった。
マッチ箱
十一時が、近づいていた。
昼前の、いちばん、光のやわらかい時刻が、もう、終わろうとしていた。あと少しで、真昼の、濃い、まっすぐな光が、この公園に、降りてくる。木漏れ日は、そのころには、もう、斑にはならない。真上からの光は、影を作らない。
わたしは、煙草を、吸いたくなった。
近ごろは、めったに吸わない。医者に止められている。けれど、その日は、無性に、吸いたかった。わたしは、上着の内ポケットを、探った。くしゃくしゃになった煙草の箱と、それから、マッチが、出てきた。
藍色の、小さなマッチ箱だった。
いつ、手に入れたものか、覚えていない。三日月が、ひとつ、刻んである。「月光堂」と、小さく、金の字で、書いてあった。ずいぶん、古いものだ。中の軸木は、もう、あと、数本しか、残っていなかった。わたしは、そのうちの一本を、擦った。
しゅっ、と、小さな音がして、火が、灯った。
昼前の、明るい光のなかでは、その炎は、ほとんど、色を持たなかった。ただ、空気が、そのあたりだけ、ゆらりと、揺れた。わたしは、その、頼りない火で、煙草に火を点けた。ひとくち、吸って、煙を、吐いた。煙は、木漏れ日のなかを、青白く、昇っていった。ミラ彗星の、あの、消えかけの一点のほうへ。
「あんた、まだ、吸っとったのか」と、松江さんが、あきれたように言った。
「今日だけだ」と、わたしは言った。「今日だけ、勘弁してくれ」
松江さんは、それ以上、何も言わなかった。
その、マッチの火が、消えたあとの、ほんの一瞬、わたしは、思った。土屋さんも、こんなふうに、消えていくのだろうか、と。夜のあいだ、あんなにはっきりと尾を引いていたミラ彗星が、昼の光の前で、頼りなく溶けていくように。四十年、この盤の前に、確かに座っていた人が、ある朝、ふっと、来なくなり、そうして、少しずつ、少しずつ、この四阿の空気から、溶けて、薄れて、いつか、消えてしまうのだろうか、と。
わたしは、煙を、吐いた。
そんなことは、考えたくなかった。けれど、齢を取るというのは、そういうことだった。友が、一人、また一人と、来なくなる。最初は、二、三日の休みだ。次は、ひと月。そうして、ある日、来なくなったきり、二度と、来ない。訃報が、風の便りに届くこともあれば、届かないことも、ある。届かないほうが、多い。この四阿には、これまでにも、そうやって、来なくなった顔が、いくつも、あった。名前を、わたしは、もう、半分も、覚えていない。
けれど、その、来なくなった人たちのことを、わたしは、いま、一人ひとり、思い出していた。マッチの、消えたばかりの、ほのかな硫黄の匂いのなかで。
待つ
「もう少し、待つか」と、宮本さんが言った。
十一時を、少し、過ぎていた。
いつもなら、このくらいの時刻に、わたしたちは、腰をあげる。それぞれの家へ、昼を食べに帰る。午後には、また、来る者もいるし、来ない者もいる。けれど、その日、誰も、腰をあげようとは、しなかった。
「待とう」と、松江さんが言った。
「待ちましょう」と、河合さんが言った。
わたしたちは、待った。
盤は、そのままにしておいた。宮本さんが並べた駒が、まだ、初形のまま、そこにあった。誰も、その盤を、崩さなかった。まるで、それを崩したら、土屋さんが、もう、来なくなってしまうとでもいうように。片方だけの紺の手袋も、ベンチの端に、そのまま、置いてあった。
昼前の光が、少しずつ、真上へ、昇っていった。
木漏れ日の斑が、だんだん、小さく、丸くなっていった。藤棚の影が、ちぢんでいった。鳩は、いつのまにか、どこかへ、飛んでいった。噴水の水音だけが、あいかわらず、遠くで、聞こえていた。
待つあいだ、誰も、あまり、しゃべらなかった。
河合さんが、一度だけ、口を開いた。「土屋さんは」と、河合さんは言った。「まさか、うちで、倒れとる、なんてことは、ないでしょうな」。言ってから、河合さんは、しまった、という顔をした。それは、みなが、心の隅で思っていて、口には出すまいとしていた、まさに、そのことだった。
「縁起でもないことを、言うな」と、松江さんが、たしなめた。
「すみません」と、河合さんは、うなだれた。
けれど、その、河合さんの言葉は、いったん口に出されると、四阿のなかに、重く、残った。土屋さんは、一人暮らしなのかもしれなかった。もし、そうなら――家のなかで、何かあっても、誰も、気づかない。何日も、何日も、誰にも、気づかれないまま。そういう話を、わたしは、ときおり、耳にする。この齢になると、そういう話は、他人事では、なくなる。わたし自身、いつ、そうなっても、おかしくない。
「あす、来なかったら」と、宮本さんが、ぽつりと言った。「駐在所に、行こう。名字しか、知らんでも、いい。坂の上の、土屋という爺さんだ。それで、探してもらおう」
「そうしましょう」と、松江さんが言った。
「そうしよう」と、わたしも言った。
決めてしまうと、少しだけ、気が、楽になった。明日、来なかったら、探しに行く。その一歩を、決めた。それだけのことで、この、待つことの、心細さが、いくらか、和らいだ。齢を取ると、大きなことは、できない。けれど、明日、駐在所に行く、というくらいの、小さな一歩なら、まだ、踏み出せる。その、小さな一歩を、四人で、決めた。
わたしたちは、黙って、砂利道のほうを、見ていた。
桜の並木の向こうから、いつものように、少し曲がった背中が、杖をつきながら、ゆっくりと、ゆっくりと、近づいてくるのを、待っていた。「逃げるのだけが、取り柄でな」と、皺だらけの顔をくしゃっとさせて笑う、あの人を、待っていた。「眠れ、眠れ」と、負けそうになると口ずさむ、あの、古い子守唄を、待っていた。
けれど、砂利道の向こうには、光が、揺れているだけだった。
木漏れ日が、誰もいない道の上を、ちらちらと、金色に、滑っていくだけだった。
明日も
やがて、松江さんが、静かに、立ちあがった。
「今日は、帰りますかな」
「そうだな」と、宮本さんが言った。
わたしたちは、腰をあげた。膝が、鳴った。腰が、痛んだ。齢を取ると、座っているだけで、体が固まる。それを、一人ひとり、ゆっくりと、ほぐしながら、立ちあがった。
宮本さんが、盤の駒を、片づけはじめた。
一枚、一枚、駒を、木の駒箱に、しまっていく。並べるときと、逆の順序で。震える指で、それでも、丁寧に。パチ、パチ、という、駒を打つ音ではなく、こと、こと、という、駒を箱にしまう、乾いた音が、四阿のなかに、ひとつずつ、落ちていった。
盤を、片づけようとして、宮本さんは、ふと、手を止めた。
そうして、ベンチの端の、あの、片方だけの、紺の手袋を、手に取った。
宮本さんは、それを、じっと、見た。しばらく、見ていた。それから、それを、そっと、たたんで、自分の上着の、内ポケットに、しまった。
「持って帰るのか」と、河合さんが、小さく言った。
「ああ」と、宮本さんは言った。「土屋さんが、来たら、返す」
それだけ、言った。
わたしは、その、宮本さんの、内ポケットの、少し、膨らんだあたりを、見ていた。そこに、片方だけの手袋が、あった。もう片方は、たぶん、土屋さんの、どこかの家の、引き出しか、簞笥の奥に、あるのだろう。あるいは、どこにも、ないのかもしれなかった。それでも、宮本さんは、その片方を、持って帰るのだった。もう片方が、いつか、そろう日を、待つように。
わたしたちは、四阿を、出た。
桜の並木の下を、砂利を踏んで、歩いた。木漏れ日は、もう、真昼の光に、変わりかけていた。斑は、消えて、光は、まっすぐに、上から、降っていた。空を、見あげると、ミラ彗星は、もう、どこにも、なかった。すっかり、昼の光に、溶けて、消えていた。
「明日は」と、河合さんが、言った。「来るかね、土屋さん」
「来るさ」と、宮本さんが言った。
「来ますよ」と、松江さんが言った。
わたしも、うなずいた。「来る」
けれど、その「来る」という言葉が、どれほど、頼りないものであるか、わたしたちは、みな、知っていた。それは、ミラ彗星が、また、明日の夜、あの蒼い尾を引いて、空を横切ると信じることに、似ていた。信じている。けれど、いつかは、来ない朝が、来る。それが、いつなのかは、わからない。今日なのかもしれないし、まだ、ずっと先なのかもしれない。わからないから、わたしたちは、明日も、盤を、出すのだった。
わたしたちは、公園の門のところで、別れた。
宮本さんは、坂の下のほうへ。松江さんは、駅のほうへ。河合さんは、商店街のほうへ。わたしは、川沿いの道を。それぞれの、家のある方向へ、それぞれ、少し曲がった背中を、向けて、歩いていった。
わたしは、一度、振り返った。
誰もいなくなった四阿に、藤棚の影が、真昼の光のなかで、小さく、まるく、揺れていた。その下の、コンクリートの台の上に、駒をしまい終えた、榧の盤が、ぽつんと、ひとつ、残されていた。宮本さんが、片づけ忘れたのだ。いや、忘れたのではないのかもしれなかった。明日も、また、そこに、盤を出すために。土屋さんが、いつか、また、あの、少し曲がった背中で、砂利道の向こうから、ゆっくりと、やってくる、その日のために。
その盤の、飴色の木肌の上を、木漏れ日ではない、真昼のまっすぐな光が、静かに、照らしていた。
わたしは、また、前を向いて、歩きだした。
昼前の公園は、ひとを待つのがうまい。けれど、待たれているひとが、いつまでも、来るとは、限らない。そのことを、わたしたちは、知りながら、それでも、明日も、あの盤の前に、座るのだろう。座って、駒を打ち、負けたほうが立ち、勝ったほうが座り、そうして、ときおり、砂利道のほうを、見るのだろう。少し曲がった背中が、光の向こうから、やってくるのを、待ちながら。片方だけの手袋を、内ポケットに抱えて、もう片方が、そろう日を、待ちながら。
眠れ、眠れ、と、わたしは、歩きながら、小さく、口ずさんでみた。星が、海を、わたるまで、と。
その唄は、土屋さんの唄だった。けれど、いまは、わたしの唄でも、あった。そうして、たぶん、いつか、わたしが来なくなった朝には、宮本さんか、河合さんか、松江さんの、誰かの唄に、なるのだろう。片方だけの手袋が、手から手へ、渡されていくように。盤を打つ音が、朝から朝へ、受け継がれていくように。
昼前の川は、光を含んで、ゆるやかに、流れていた。
わたしは、その光を、見ながら、家へと、帰った。