沖膳
わたしたちには、待つという仕事があった。
それは網を繕うことや、塩を撒くことや、舟の底を焼くことと同じくらい、この浜では当たり前の仕事だった。誰に教わったわけでもない。生まれたときから、わたしたちの祖母の祖母の、そのまた向こうの背中の中に、待つという姿勢が織り込まれていた。朝、戸を開けて、まず沖を見る。沖を見て、そこに何もないことをたしかめてから、わたしたちは一日を始めた。何もないことをたしかめる、というのがおかしな言い方だということは、わたしたちもよく知っている。けれど、ほんとうにそうだった。何もない沖を見て、ああ今日もまだだ、と思うことが、わたしたちの一日のいちばん最初の所作だった。
待っていたのは、ひとりの男だった。
名を、トキゾウといった。といっても、いまの若い者はもうその名を口にしない。口にしないどころか、知らない者も増えてきた。それでもわたしたちは、トキゾウを待っていた。村の総意として、あるいは村そのものとして、わたしたちはトキゾウを待っていた。トキゾウが海へ出たのは、もう六十年も前のことだ。六十年。ひとが生まれて、老いて、土に還るほどの月日である。その月日のあいだ、トキゾウは一度も還ってこなかった。けれどもわたしたちは、彼が死んだとは言わなかった。死んだ、とは、ついぞ誰も言わなかった。
トキゾウのことを、わたしたちは断片でしか持っていない。
ひとりがその額の広さを覚えていて、ひとりが櫓を漕ぐときの右肩の上がりかたを覚えていて、ひとりが煙草の安い匂いを覚えていた。それらをつなぎ合わせても、ひとりの男の全身にはならなかった。けれどもわたしたちは、その断片を後生大事に持ち寄って、寄り合いのたびに、井戸端のたびに、つなぎ合わせては、ああトキゾウはそういう男だった、と頷きあった。頷きあうことで、わたしたちはトキゾウを、まだ生きている男の形に保った。
額が広く、櫓を漕ぐときに右肩が上がり、安い煙草を吸う男。
それが、わたしたちの持っているトキゾウのすべてだった。
トキゾウが海へ出た朝のことを、わたしたちは、語り継いできた。
語り継ぐ、というのは、正しくないかもしれない。なぜなら、その朝を実際に見た者は、もう、ひとりもいないからだ。けれども、その朝のことは、見た者から見ていない者へ、見ていない者からさらに見ていない者へと、口から口へ、耳から耳へ、受け渡されてきた。受け渡されるうちに、いくらか形を変えたかもしれない。けれども、わたしたちは、それを、ほんとうにあったこととして、いまも語る。
その朝は、よく晴れていた、とわたしたちは語る。
風は、ほとんどなかった。海は、油を流したように、なめらかだった。漁師たちは、こういう日を、なまじ嫌った。凪ぎすぎる海は、ときに、急に荒れる。そういうものだということを、漁師たちは、骨の髄まで知っていた。だから、その朝、舟を出すのをためらった者も、いた。やめておけ、と言った者も、いたという。
けれども、トキゾウは、出た。
なぜ出たのか、わたしたちには、わからない。漁が、よほど不振だったのかもしれない。あるいは、ただ、海が、彼を呼んだのかもしれない。トキゾウは、櫓を漕いで、沖へ、沖へと、出ていった。右肩を上げて、櫓を漕いで。浜から見送った者たちは、その背中が、だんだん小さくなって、やがて、水平線の手前で、点になって、消えるのを、見た。
それきりだった。
昼を過ぎても、トキゾウは、還らなかった。日が傾いても、還らなかった。夕暮れ、海が、急に、荒れはじめた。なまじの凪ぎが、嘘のように、波が、立った。漁師たちは、案じて、浜に出た。出て、沖を見た。けれども、沖には、もう、何も見えなかった。波だけが、暗く、うねっていた。
夜になって、ヌイが、浜に来た。
ヌイは、まだ、若かった。嫁いで、いくらも経っていなかった。ヌイは、浜に立って、暗い沖を、見ていた。村の者が、家に入れと言っても、ヌイは、動かなかった。一晩じゅう、ヌイは、浜に立っていた。そして、夜が明けても、トキゾウは、還らなかった。
それが、すべてのはじまりだった。
それから三日のあいだ、村じゅうの舟が、沖を探した。
わたしたちは、櫓を漕いで、沖へ出た。トキゾウの舟を、トキゾウの櫂を、トキゾウの笠を、トキゾウの、その亡骸を、わたしたちは、探した。海は、もう、凪いでいた。何ごともなかったかのように、なめらかだった。そのなめらかな海の上を、わたしたちは、来る日も来る日も、探しまわった。
何も、見つからなかった。
舟の、ひとかけらも。櫂の、ひとつも。笠の、ひとつも。海は、トキゾウを、まるごと、呑みこんで、何ひとつ、吐き出さなかった。三日目の夕暮れ、わたしたちは、探すのをやめた。やめざるを得なかった。これ以上探しても、無駄だと、わたしたちは、わかっていた。海に呑まれた者が、還らぬのは、この浜では、めずらしいことではなかった。
けれども、ヌイだけは、やめなかった。
ヌイは、自分で、櫓を漕いだ。女が、櫓を漕ぐ。そんなことは、この浜では、ありえなかった。けれども、ヌイは、漕いだ。よろよろと、沖へ、出ていった。村の者が、止めた。引き戻した。それでも、ヌイは、また、出ようとした。何度も、何度も。とうとう、村の者が、ヌイの舟を、隠した。櫂を、取り上げた。ヌイは、それでも、浜に立って、沖を、見ていた。
そうして、ヌイの、長い、待つ年月が、はじまった。
そして、ヌイとともに、わたしたちの、待つ年月も、はじまったのだ。
トキゾウには、妻があった。名を、ヌイといった。ヌイのことは、トキゾウよりもいくらか鮮明に覚えている。なぜなら、ヌイは六十年のあいだ、ずっとこの浜にいたからだ。トキゾウが還らぬまま、ヌイは老いた。老いて、腰が曲がり、目が白く濁り、それでもなお、毎朝戸を開けて沖を見た。ヌイが沖を見るとき、わたしたちもいっしょに沖を見た。ヌイがまだ若く、髪が黒く、肌が張っていたころから、ヌイが白髪になり、杖をつくようになるまで、わたしたちはヌイの隣で沖を見つづけた。
ヌイは決して、泣かなかった。
泣くということを、ヌイは自分に許さなかったらしい。泣けば、トキゾウが死んだことになる。ヌイはそう信じていた。だからヌイは、決して泣かず、決して喪に服さず、決して位牌を作らせなかった。村の坊さまが、そろそろ供養を、と言いに来たとき、ヌイは戸を閉めた。坊さまの前で、ぴしゃりと戸を閉めた。あの男はまだ海の上にいる、とヌイは言った。海の上にいる男に、なぜ経をあげる。ヌイの声は震えていなかった。震えていないことが、かえってわたしたちを震わせた。
それから、わたしたちもヌイにならった。
わたしたちもまた、トキゾウのために経をあげなかった。位牌も作らなかった。墓も建てなかった。トキゾウは海の上にいる。その一点を、わたしたちは村ぐるみで守った。守ることが、いつしか待つことと同じになった。
待つことには、やがて、いくつもの決まりごとが、生まれた。
決まりごとは、誰かが定めたのではない。いつのまにか、そういうものになっていた。たとえば、トキゾウの家の戸は、けっして、釘で打ちつけてはならなかった。空き家になっても、戸は、いつでも開けられるように、しておかねばならなかった。なぜなら、トキゾウが、いつ還ってきても、入れるように、しておかねばならなかったからだ。
わたしたちは、年に一度、トキゾウの家を、掃いた。
埃を払い、畳を干し、囲炉裏の灰を、ならした。あたかも、明日にも、その家の主が、還ってくるかのように。そして、台所の、いちばん奥の棚に、わたしたちは、一膳の、箸を、置いた。トキゾウの、箸である。その箸は、毎年、新しく、削りなおされた。古びて、欠けるたびに、村の、いちばん器用な者が、新しい箸を、削った。トキゾウの、還ってくる日のために。
正月には、わたしたちは、トキゾウの膳を、こしらえた。
雑煮を、ひと椀。漬物を、ひと皿。酒を、ひとつ。それを、トキゾウの家の、囲炉裏端に、置いた。誰も、座っていない、その場所に。そして、朝になると、その膳を、わたしたちは、下げた。雑煮は、冷えて、固まっていた。酒は、ひとくちも、減っていなかった。それでも、わたしたちは、その膳を、毎年、こしらえつづけた。
正月の膳を、こしらえることを、いつしか、わたしたちは、「沖膳(おきぜん)」と、呼ぶようになった。
沖の者のための、膳。それは、トキゾウのためだけのものではなくなった。海に呑まれた、すべての者のための、膳になった。正月、どの家でも、ひと膳だけ、余分に、こしらえた。誰も座らぬ、その膳を。沖の者のための、膳を。それは、この浜の、いちばん大切な、年の初めの、習わしになった。
よその村の者は、それを、聞いて、笑った。
「死んだ者に、膳を出して、どうする。冷めた雑煮を、亡者が食うとでも」
わたしたちは、答えなかった。答える必要を、感じなかった。亡者が食うのではない。生きている者が、忘れないために、膳を出すのだ。沖膳は、生きているわたしたちの、ためのものだった。わたしたちが、わたしたち自身に、「忘れるな」と、言い聞かせるための、膳だった。
ヌイは、子守唄を歌った。
それは、この浜に古くからある唄だった。誰が作ったのでもなく、どこから来たのでもなく、ただこの浜の女たちが、赤子を寝かしつけるときに口ずさんできた唄だった。
──眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。
そういう唄だった。短い、ほとんど旋律とも呼べないような唄だった。けれども、ヌイの歌うそれには、ほかの女が歌うのとはちがう何かがあった。ヌイは赤子に向かって歌うのではなかった。ヌイは沖に向かって歌った。夕暮れ、浜に立って、波の音にまぎれるように、ヌイは低く、低く、その唄を歌った。眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。
わたしたちは、ヌイがその唄を、トキゾウのために歌っているのだと知っていた。
海のどこかで、もしトキゾウがまだ生きていて、もしどこかの岸に流れ着いていて、もし眠れぬ夜を過ごしているなら、せめてこの唄が、波を伝って届けばいい。ヌイはそう思って歌っていた。わたしたちはそう思って、ヌイの唄を聞いていた。そして、わたしたちのなかの女たちは、自分の赤子を寝かしつけるとき、知らずしらず、ヌイの歌いかたで、その唄を歌うようになった。沖に向かって歌うのではない。けれども、どこかその唄には、沖の匂いがした。
こうして、子守唄は、この浜で歌い継がれた。
赤子はその唄で眠り、眠った赤子はやがて大きくなり、大きくなった者がまた赤子を持ち、その赤子をまた、同じ唄で寝かしつけた。眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。世代が替わるたびに、トキゾウのことは少しずつ薄れていったが、この唄だけは、薄れなかった。唄のなかに、トキゾウが溶けていたからだ。わたしたちは知らずに、トキゾウを歌い継いでいた。
ヌイが死んだのは、トキゾウが海へ出てから、四十二年目の冬だった。
ヌイは、最後まで沖を見ていた。死ぬ前の晩、ヌイは床から起きて、戸を開けて、沖を見ようとした。村の女たちが止めたが、ヌイは聞かなかった。冬の海は荒れていた。波が高く、風が刺さるように冷たかった。ヌイは、その荒れた沖を、白く濁った目でじっと見ていた。何が見えていたのか、わたしたちにはわからない。あの白い目に、いったい何が映っていたのか。
ヌイは、最後にこう言った。
「あの人は、まだ海の上にいる。わたしが死んでも、おまえたちが、見ていておくれ」
それが、ヌイの遺言だった。
わたしたちは、その遺言を受け取った。受け取ってしまった。受け取ったからには、待たねばならなかった。ヌイが死んだあと、ヌイの代わりに、わたしたちが沖を見た。朝、戸を開けて、まず沖を見る。ヌイがしていたのと、同じように。
けれども、ヌイの死とともに、待つことの中心が、村から失われた。
ヌイがいたあいだは、待つことには、ヌイという核があった。ヌイが沖を見ているから、わたしたちも沖を見る。ヌイが歌うから、わたしたちも歌う。ヌイがいたからこそ、待つことには、はっきりとした形があった。けれどもヌイが死ぬと、その核が、ぽっかりと抜けた。待つことだけが、習慣として、所作として、残った。
それでもわたしたちは、待ちつづけた。
なぜ待つのか、と問う者はいなかった。問うことが、なんとなく憚られた。問えば、その問いが、待つことそのものを溶かしてしまう気がした。だからわたしたちは問わなかった。ただ、朝、沖を見た。ヌイの遺言を、お守りのように胸に抱いて。
ヌイの死から、さらに長い月日が流れた。
村は、痩せていった。魚が減り、若い者が出ていき、戸を閉ざす家が増えた。海沿いの道を歩けば、空き家の窓が、暗い目のようにわたしたちを見ていた。かつて百を超えた家が、いまでは三十に満たない。子供の声は、めっきり減った。浜で網を繕う老人の手だけが、相変わらず、慣れた動きで網目をたどっていた。
そのころには、トキゾウを直に知る者は、もうほとんどいなくなっていた。
額が広く、櫓を漕ぐときに右肩が上がり、安い煙草を吸う男。その断片を語れる者が、ひとり、またひとりと、土に還っていった。最後にトキゾウの顔を覚えていた老婆が死んだとき、わたしたちは、何か取り返しのつかないものを失ったような気がした。けれども、それが何なのか、もう誰も、はっきりとは言えなかった。
待つことだけが、残った。
待つ理由を知る者がいなくなっても、待つという所作だけが、村に残った。それはもう、トキゾウのためですらなかったかもしれない。朝、沖を見る。それは、歯を磨くことや、湯を沸かすことと同じように、ただの習慣になっていた。わたしたちは、なぜ沖を見るのか、もうよくわからないまま、沖を見ていた。
若い者は、それを笑った。
「いつまで、ありもしない者を待っているのか」と、若い者は言った。「もう六十年だぞ。とうの昔に死んでいる。骨も残っちゃいない」
その通りだ、とわたしたちは思った。その通りだ。けれども、それでもわたしたちは、沖を見ることをやめられなかった。やめる、ということが、どういうことなのか、わからなかったのだ。沖を見ない朝、というものを、わたしたちは経験したことがなかった。だから、やめようがなかった。
一度だけ、わたしたちが、待つことを、やめかけたことがあった。
それは、村が、いちばん痩せていた、ある年のことだった。その年、不漁が、つづいた。海は、何も、よこさなかった。網を引いても、引いても、銀の魚は、かからなかった。子供らは、痩せた。年寄りは、咳をした。村の、いくつもの家が、戸を閉ざし、海を捨てて、山のほうへ、町のほうへ、出ていった。
そのとき、村の、若い衆の頭が、立ちあがって、言った。
「もう、やめよう。沖膳も、トキゾウの家の掃除も、みんな、やめよう。わたしたちは、自分たちのことで、手いっぱいだ。死んだ者の世話を、している場合じゃない。生きている者が、生きるので、精いっぱいなんだ」
その言葉に、わたしたちは、黙った。
返す言葉が、なかった。その通りだったからだ。死んだ者を待つよりも、生きている子供に、食わせねばならない。それは、正しかった。わたしたちは、その年、沖膳を、こしらえなかった。トキゾウの家の戸を、掃かなかった。トキゾウの箸を、削らなかった。はじめて、わたしたちは、待つことを、やめた。
やめてみると、不思議なほど、何も、起こらなかった。
トキゾウは、やはり、還らなかった。海は、相変わらず、何もよこさなかった。世界は、待つのをやめても、何も、変わらなかった。ああ、と、わたしたちは、思った。やはり、ただの、習慣だったのだ。やめても、何も、起こらない。トキゾウなど、もう、どこにも、いないのだ。
けれども、その冬、村の、いちばん年老いた女が、死んだ。
その女は、死ぬ前に、わたしたちを、枕もとに、呼んだ。そして、かすれた声で、こう言った。
「沖膳を、出しておくれ。わたしの、最後の、頼みだ。あの人たちに──海の者たちに、忘れられていない、と、思わせておくれ。死んだあとに、忘れられるのが、いちばん、こわい。わたしは、もうじき、死ぬ。けれど、おまえたちが、覚えていてくれるなら、わたしは、こわくない」
その女は、それだけ言うと、目を、閉じた。
わたしたちは、その冬、また、沖膳を、こしらえた。たとえ、貧しくとも。たとえ、雑煮が、薄くとも。わたしたちは、ひと膳だけ、余分に、こしらえた。沖の者のために。そして、死んでいく者に、「おまえを、忘れない」と、約束するために。
待つことは、こうして、生き残った。
一度、死にかけて、また、生き返った。死んでいく者の、最後の願いによって。わたしたちは、知った。待つことは、死んだ者のためではなく、これから死んでいく者のための、約束なのだと。わたしたちが、待つかぎり、誰も、ほんとうには、いなくならない。その約束が、この浜を、この浜たらしめていた。
その夜のことを、わたしたちは生涯忘れない。
それは、夏の終わりの夜だった。蒸し暑く、風のない夜で、海はべったりと凪いでいた。空には雲ひとつなく、星が、痛いほどに冴えていた。わたしたちのなかの幾人かは、暑さに寝つけず、浜へ出ていた。涼を求めて、浜へ出て、波打ち際に腰を下ろしていた。
最初にそれに気づいたのは、誰だっただろう。
いまとなっては、もう誰が最初だったのか、わからない。わたしたちのなかの誰かが、ふと空を見上げた。見上げて、息を呑んだ。そして、隣の者の袖を引いた。袖を引かれた者も、空を見上げた。そうして、ひとり、またひとりと、わたしたちは空を見上げていった。
沖の空に、星が、尾を引いていた。
それは、蒼白い、長い尾だった。ふつうの星ではなかった。流れ星のように、一瞬で消えるのでもなかった。それは、ゆっくりと、海の上に懸かっていた。蒼白い光の尾を、沖のほうへ、長く長く引きながら。まるで、誰かが、空に筆を一刷きしたかのようだった。その光は、凪いだ海の面に映って、海もまた、蒼白く光った。
「彗星だ」と、誰かが言った。
彗星。その言葉を聞いて、わたしたちのなかの、いちばん年老いた者が、ああ、と声を漏らした。覚えている。あれを、わたしは覚えている。子供のころ、一度だけ、あれを見た。あの蒼白い星を。あれが、また巡ってきたのだ。長く忘れられていた星が、また──。
老人は、それ以上、言葉にならなかった。
そのとき、わたしたちのなかの、ひとりの老婆が、ふと、つぶやいた。
「あの星が、前に出たのは──トキゾウが、海へ出た、あの年だった」
わたしたちは、はっとした。
そうだった。言われてみれば、そうだった。わたしたちの、語り継いだ話のなかに、その一節が、あった。トキゾウが海へ出た、あの年の空に、蒼白い、尾を引く星が、出ていた、と。長いあいだ、わたしたちは、その一節を、忘れていた。話の、隅のほうに、埋もれていた、その一節を。けれども、いま、同じ星が、また、巡ってきて、わたしたちに、思い出させた。
六十年。
あの星が、ひと巡りするのに、六十年、かかるのだ。トキゾウが消えたあの年に出た星が、いま、また、同じ空に、還ってきた。星は、還ってきた。星だけが、約束を、守った。トキゾウが還らぬあいだに、星は、ぐるりと、宇宙をまわって、また、この浜の空に、還ってきたのだ。
わたしたちは、ただ立ちつくして、その星を見ていた。沖を照らす、蒼白い長い尾を。それは、わたしたちが朝ごとに見てきた、何もない沖を、いまはっきりと照らしていた。何もないはずの沖が、その光のなかで、何かに満ちているように見えた。何が満ちているのか、わたしたちにはわからなかった。けれども、たしかに、何かが満ちていた。
そのとき、わたしたちは、それを見た。
沖の、ちょうど彗星の光が海に落ちるあたりに、小さな、黒い影があった。
最初、わたしたちは、それを岩だと思った。あるいは、流木だと思った。けれども、岩なら、そこにあるはずがなかった。あの沖に、岩はない。わたしたちは、この浜の沖を、誰よりもよく知っている。あそこに岩はない。流木にしては、それは、奇妙な形をしていた。
それは、舟の形をしていた。
小さな、櫓漕ぎの、一艘の舟。彗星の蒼白い光のなかに、その舟は、ぽつんと浮かんでいた。櫓を漕ぐ者の影が、見えるような、見えないような。わたしたちは、息をつめて、その影を見つめた。波は、ない。風も、ない。それなのに、その舟は、ゆっくりと、こちらへ近づいてくるようにも、あるいは、ずっとそこに留まっているようにも見えた。
「トキゾウ」
誰かが、その名を呼んだ。
六十年ぶりに、わたしたちのなかの誰かが、声に出して、その名を呼んだ。トキゾウ。その名は、夜の浜に、低く、ふるえながら、響いた。トキゾウ。トキゾウ。わたしたちは、誰からともなく、その名を呼びはじめた。トキゾウ。還ってきたのか。トキゾウ。
舟は、近づいてこなかった。
わたしたちが、いくらその名を呼んでも、舟は、近づいても、遠ざかりもしなかった。ただ、彗星の光のなかに、浮かんでいた。やがて、彗星が、ゆっくりと、空を渡りはじめた。蒼白い尾を引きながら、沖の空を、横切っていった。そして、彗星の光が、沖から去ると同時に、あの黒い影も、海の闇のなかに、溶けて、消えた。
あとには、何もない沖が、残った。
わたしたちは、しばらくのあいだ、声もなく、その何もない沖を見ていた。波が、寄せては返した。さっきまでそこにあったものが、ほんとうにあったのか、わたしたちは、自信が持てなくなっていた。あれは、彗星の光が見せた、まぼろしだったのかもしれない。蒸し暑い夜の、寝不足の目が見た、ただの錯覚だったのかもしれない。
けれども、わたしたちは、たしかに、それを見た。
わたしたちのなかの全員が、それを見た。彗星を見、そして、その光のなかの舟を見た。見たということだけは、たしかだった。何を見たのかは、わからない。けれども、見たということだけは、村ぜんたいの記憶として、たしかに、刻まれた。
その夜から、わたしたちは、問いはじめた。
長いあいだ、わたしたちが憚って問わずにいたことを、わたしたちは、ついに問いはじめた。
わたしたちは、何を待っていたのか。
トキゾウを、と最初は思う。けれども、トキゾウを直に知る者は、もう、ひとりもいない。額の広さも、右肩の上がりかたも、安い煙草の匂いも、いまでは、伝聞のなかの、ぼやけた影でしかない。わたしたちが待っていたのは、ほんとうに、その男だったのか。
ちがう、とわたしたちのなかの誰かが言った。
わたしたちが待っていたのは、トキゾウではなかったのではないか。トキゾウという、ひとりの男ではなく、待つことそのものを、わたしたちは待っていたのではないか。あるいは──還ってくる、ということそのものを。
ここで、わたしたちは、ひとつの夜のことを思い出さねばならない。
あの彗星の夜、わたしたちが浜に立ちつくしていたとき、港のほうに、見慣れぬものが現れていた。
港には、古い船具屋や、錆びた漁具を並べた小屋がいくつかあって、夜にはみな、戸を閉ざしている。けれども、あの夜にかぎって、その古道具のあいだに、一軒、見慣れぬ屋台が出ていた。
それは、書物の屋台だった。
こんな浜に、本など売れるはずもない。わたしたちは、字の読めぬ者も多い。それなのに、その屋台には、古びた本が、ぎっしりと積まれていた。藍色の、深い藍色の暖簾がかかっていて、暖簾には、小さく、三日月のような印が染め抜かれていた。屋台の奥に、ひとり、年老いた店主がいた。店主は、わたしたちを見ても、何も言わなかった。ただ、静かに、本のあいだに座っていた。
わたしたちのなかの、ひとりが、その屋台に近づいた。
近づいて、本を一冊、手に取った。手に取ると、店主が、はじめて口を開いた。
「お探しのものは、見つかりましたか」
と、店主は言った。
わたしたちは、何を探しているのか、自分でもわからなかった。けれども、店主の問いは、なぜか、胸に刺さった。お探しのもの。わたしたちは、何かを探していた。六十年のあいだ、ずっと、何かを探していた。それが何なのか、いまだに、わからないまま。
その本を手に取った者は、ふと、頁を開いた。
頁には、唄が、書いてあった。
──眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。
わたしたちの、子守唄だった。ヌイが歌った、あの唄だった。誰が作ったのでもない、どこから来たのでもない、この浜だけの唄。それが、その古びた本の、黄ばんだ頁に、たしかに、書いてあった。
わたしたちは、ぞっとした。
なぜ、この唄が、ここにある。誰が、これを書きとめた。わたしたちは、店主の顔を見た。けれども、店主は、ただ、静かに笑っているだけだった。本を手に取った者が、もう一度、頁に目を落とすと──そこには、もう、何も書いていなかった。ただ、黄ばんだ、白い頁が、あるだけだった。
朝になると、その屋台は、消えていた。
古道具のあいだの、屋台のあった場所には、何もなかった。藍色の暖簾も、積まれた本も、年老いた店主も、跡形もなく、消えていた。ただ、わたしたちのなかの幾人かが、その夜の、本の手触りを、覚えていた。古い紙の、乾いた、ざらりとした手触りを。あれは、まぼろしではなかった。わたしたちは、たしかに、あの屋台で、本を手に取った。
そして、わたしたちのうち、誰かのふところに、一本のマッチが残っていた。
いや、マッチではない。マッチ箱だった。深い藍色の、小さなマッチ箱。蓋には、三日月が、刻まれていた。それは、いつのまにか、その者のふところに入っていた。買った覚えはない。もらった覚えもない。けれども、たしかに、その者のふところに、それはあった。
わたしたちは、そのマッチ箱を、開けてみた。
なかには、マッチが、二本だけ、残っていた。二本だけ。あとは、誰かが、もう使ってしまったあとのように、空いていた。わたしたちは、その二本のマッチを、見つめた。誰が、ほかのマッチを使ったのか。いつ、どこで。──わからない。けれども、わたしたちは、なぜか、その藍色のマッチ箱を、捨てることができなかった。村の、いちばん古い箪笥の、いちばん上の引き出しに、わたしたちは、そのマッチ箱を、しまった。
それからのち、わたしたちは、寄り合いを開いた。
村じゅうの者が、集まった。老いた者も、若い者も、字の読める者も、読めぬ者も。あの彗星の夜のことを、あの舟のことを、あの屋台のことを、わたしたちは、語りあった。
若い者は、言った。
「あれは、まぼろしだ。みんなで、同じ夢を見ただけだ」
それでも、いい、と老いた者が言った。
「まぼろしでも、いい。みんなで、同じものを見た。それが、大事なんだ。トキゾウは、もう、還ってこない。それは、わかっている。とうに、わかっている。けれども──」
老人は、そこで言葉を切った。
切って、長いあいだ、黙っていた。それから、こう言った。
「けれども、わたしたちが、待つのをやめてしまったら、トキゾウは、ほんとうに、いなくなる。待つということは、トキゾウを、この村に、留めておくということだ。たとえ、その者を、誰も覚えていなくても。待つということが、その者を、生かしておく」
わたしたちは、ながいあいだ、考えた。
待つということ。それは、いったい、何だったのか。
わたしたちは、トキゾウを待っていた。けれども、トキゾウは、もう還ってこない。それは、わかっていた。最初から、わかっていたのかもしれない。ヌイも、ほんとうは、わかっていたのかもしれない。それでも、ヌイは待った。わたしたちも待った。なぜか。
待つことは、忘れないということだった。
待つことは、あきらめないということだった。
待つことは──愛するということ、そのものだったのではないか。
トキゾウという、ひとりの男を。いや、トキゾウだけではない。海に出て、還らなかった、すべての者を。この浜は、海に生かされ、海に奪われてきた。トキゾウのほかにも、海に呑まれた者は、いくらもいた。けれども、その者たちのために、わたしたちは、墓を建て、経をあげ、喪に服した。喪に服すことで、その者たちを、過去にした。
トキゾウだけは、ちがった。
トキゾウだけは、ヌイの意地によって、過去にされなかった。死んだことに、されなかった。だから、トキゾウだけが、いまも、海の上にいる。いまも、わたしたちの、現在のなかにいる。六十年たっても、まだ、還ってくるかもしれない者として。
それは、苦しいことだった。
けれども、その苦しさのなかでこそ、トキゾウは、生きていた。
わたしたちは、知っている。
この海沿いには、わたしたちの村のほかにも、いくつもの、村がある。どの村も、海に生かされ、海に奪われてきた。だから、どの村にも、還らぬ者を待つ、誰かが、いる。岬の向こうの村では、ある女が、息子を待っている。さらにその先の村では、ある老爺が、弟を待っている。みな、海に呑まれて、還らぬ者たちだ。
待つ者は、わたしたちだけではない。
海というものは、そういうものだった。海は、わたしたちに、魚をくれ、塩をくれ、暮らしをくれた。けれども、そのかわりに、ときどき、ひとりを、連れていった。連れていって、還さなかった。海に向かって暮らすということは、いつか、誰かを、海に取られるということだった。それを、わたしたちは、生まれたときから、知っていた。
だから、待つということを、わたしたちは、引き受けた。
海から、暮らしをもらうかわりに、わたしたちは、待つことを、引き受けた。それは、取引のようなものだったかもしれない。海よ、おまえが、わたしたちの誰かを連れていくなら、わたしたちは、その者を、待ちつづける。けっして、忘れない。けっして、過去にしない。それが、海と、この浜との、古い、約束だった。
その約束を、わたしたちは、トキゾウひとりに、託していた。
トキゾウを待つことで、わたしたちは、海に取られたすべての者を、待っていた。トキゾウは、いわば、わたしたちの、待つことの、しるしだった。トキゾウを、待ちつづけるかぎり、わたしたちは、海との、約束を、守りつづけることが、できた。
あの彗星の夜、舟の影が消えたあと、わたしたちは、長いあいだ、浜にいた。
帰ろうとする者は、いなかった。蒸し暑い夜だというのに、わたしたちは、誰も、汗をかいていなかった。ただ、ひんやりと、肌が、冷えていた。あの蒼白い光が、わたしたちの肌に、何か、冷たいものを、残していったかのようだった。
わたしたちのなかの、ひとりの子供が、訊いた。
「あれは、誰だったの」
わたしたちは、答えに、窮した。トキゾウだ、と言うことも、できた。けれども、子供は、トキゾウを、知らない。トキゾウと言っても、子供には、何のことか、わからない。わたしたちは、しばらく、考えて、こう答えた。
「あれは、わたしたちが、待っている人だよ」
子供は、首を、かしげた。
「待っている人。どうして、待っているの」
わたしたちは、また、答えに、窮した。どうして、待っているのか。その問いに、わたしたちは、まだ、答えを、持っていなかった。だから、わたしたちは、その問いを、胸に、抱いて、家に、帰った。そして、その問いが、わたしたちを、長い、問い直しへと、導いたのだった。
わたしたちは、決めた。
待つことを、やめないと。
理由は、もう、要らなかった。トキゾウを直に知る者がいなくても、待つ理由がぼやけていても、わたしたちは、待つことにした。なぜなら、待つということ自体が、この浜の、いちばん古い、いちばん大切な、仕事だったからだ。網を繕うことや、塩を撒くことや、舟の底を焼くことよりも、ずっと古い。生まれたときから、わたしたちの背中に織り込まれていた、あの姿勢。沖を見るということ。
わたしたちは、また、沖を見はじめた。
朝、戸を開けて、まず沖を見る。何もない沖を。けれども、いまは、その何もなさが、ちがって見えた。あの彗星の夜から、わたしたちは、知っていた。何もない沖が、ある夜、突然、何かに満ちることを。蒼白い光が、海を照らすことを。その光のなかに、小さな舟が、浮かぶことを。
だから、わたしたちは、待つ。
その夜が、また巡ってくることを。彗星が、また、沖の空を渡ることを。
子守唄は、いまも、歌い継がれている。
赤子は、その唄で眠る。眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。村の女たちは、いまも、その唄を歌う。沖に向かってではない。けれども、どこか、その唄には、沖の匂いがする。蒼白い、彗星の匂いがする。
わたしたちのなかの、いちばん若い母親が、自分の赤子に、その唄を歌っている。母親は、トキゾウを知らない。ヌイも知らない。あの彗星の夜のことも、生まれる前のことだから、知らない。それでも、母親は、その唄を歌う。なぜ、その唄なのか、母親は、たぶん、考えたこともない。ただ、その唄が、いちばん、しっくりくるから、歌っている。
母親の腕のなかで、赤子が、眠りに落ちていく。
赤子の、小さな手が、ひらいて、また、にぎる。その小さな手に、わたしたちは、未来を見る。この赤子も、いつか、大きくなって、沖を見るようになるだろう。何もない沖を。そして、ある夜、彗星が巡ってきたとき、この赤子も、あの舟を、見るのかもしれない。
ところで、わたしたちは、ひとつ、言い忘れていた。
あの、藍色のマッチ箱のことだ。
村の、いちばん古い箪笥の、いちばん上の引き出しに、わたしたちは、それをしまった。なかには、マッチが、二本、残っていた。わたしたちは、長いあいだ、それを使わずにいた。使うのが、なんとなく、惜しかった。けれども、ある冬の、ひどく寒い晩、わたしたちのなかの誰かが、その引き出しを開けた。
開けて、マッチ箱を取り出した。
そして、その一本を、擦った。
なぜ、擦ったのか、その者にも、わからなかった。ただ、擦りたくなったのだ。寒い晩に、火が、見たくなったのだ。マッチは、しゅっ、と音を立てて、燃えた。蒼白い、火が、ともった。ふつうのマッチの炎は、橙色をしている。けれども、その火は、蒼白かった。あの、彗星の、尾の色をしていた。
その者は、はっと、息を呑んだ。
蒼白い火が、ゆらゆらと、揺れていた。その火を、じっと見ているうちに、その者は、ふと、海の匂いを、嗅いだ気がした。潮の匂い。そして、安い煙草の、匂いを。額の広い、右肩の上がった男が、すぐそばで、煙草を吸っているような──そんな気が、したのだ。
火は、やがて、燃えつきた。
あとには、一本だけ、マッチが残った。藍色の箱のなかに、たった一本。わたしたちは、その一本を、もう、使うまいと決めた。最後の一本。それは、トキゾウのために、取っておくことにした。トキゾウが、ほんとうに還ってきた、その夜のために。その夜、わたしたちは、その最後の一本を擦って、トキゾウの、煙草に、火を、つけてやるのだ。
そして、いまも、わたしたちは、待っている。
朝、戸を開けて、まず沖を見る。何もない沖を。けれども、わたしたちは、もう、それを、何もないとは思わない。沖は、満ちている。トキゾウの、気配で。海に呑まれた、すべての者の、気配で。歌い継がれた、子守唄で。あの夜の、蒼白い彗星の、記憶で。
ある朝、わたしたちのなかの、若い者が、こう訊いた。
「いつまで、待つのですか」
わたしたちは、答えた。
「星が、海を、わたるまで」
それは、子守唄の、一節だった。眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。星が海をわたる、とは、いったい、いつのことなのか。永遠に来ないのか。それとも、もう、来たのか。あの彗星の夜、星は、たしかに、海を渡った。蒼白い尾を引いて、沖の空を、横切っていった。あれが、星が海をわたる、ということだったのか。だとすれば──トキゾウは、もう、眠ったのか。
わたしたちには、わからない。
わからないけれども、わたしたちは、待つ。
最後に、わたしたちは、もうひとつ、思い出す。
ヌイのことだ。
ヌイが死んだとき、わたしたちは、ヌイの遺品を、整理した。ヌイの家は、貧しかった。たいしたものは、何もなかった。けれども、ひとつだけ、わたしたちが、見つけたものがあった。
それは、片方だけの、手袋だった。
古い、毛糸の、手袋。右手の、片方だけ。左手の手袋は、どこにもなかった。なぜ、片方だけなのか、わたしたちには、わからなかった。けれども、わたしたちは、その片方の手袋を見て、ふと、思った。
もう片方は、海の上にあるのではないか、と。
トキゾウが、海へ出るとき、ヌイは、手袋を編んで、持たせたのではないか。一対の、手袋を。そして、その片方を、トキゾウは、海へ持っていったのではないか。だから、ヌイの手元には、片方だけ、残された。対になるはずのものが、片方だけ。
ヌイは、その片方を、死ぬまで、持っていた。
もう片方が、いつか、還ってくることを、待ちながら。
わたしたちは、その片方の手袋を、捨てなかった。藍色のマッチ箱と、いっしょに、いちばん古い箪笥の、いちばん上の引き出しに、しまった。最後の一本のマッチと、片方だけの手袋。それが、わたしたちが、待っていることの、証だった。
夜が、更けていく。
浜には、波の音だけが、寄せては、返している。沖は、暗い。星は、出ているが、あの彗星は、もう、いない。次にあの星が巡ってくるのは、いつのことか、わたしたちには、わからない。何十年も、先かもしれない。わたしたちは、その夜まで、生きていないかもしれない。
けれども、それでも、いい。
わたしたちが、待つのをやめなければ、わたしたちが死んでも、次の者が、待つ。その者が死んでも、また次の者が、待つ。子守唄が、歌い継がれるように。待つことも、待ち継がれる。そうして、トキゾウは、いつまでも、海の上にいる。還ってくるかもしれない者として、いつまでも、わたしたちの、現在のなかにいる。
眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。
わたしたちは、いまも、その唄を、口ずさむ。沖に向かって。暗い、何もない沖に向かって。そして、その何もなさのなかに、わたしたちは、すべてを、見る。
いつか、わたしたちも、いなくなる。
この浜の、最後のひとりが、戸を閉じる日が、来るかもしれない。けれども、それでも、なお。たとえ、この浜が、無人になり、家々が、朽ちて、土に還ろうとも──暗い沖に向かって歌われた、あの子守唄は、波のなかに、潮のなかに、残るだろう。海が、覚えているだろう。眠れ、眠れ、星が海をわたるまで。海そのものが、その唄を、口ずさみつづけるだろう。
わたしたちには、待つという仕事がある。それは、この浜が海であるかぎり、いや、この浜が消えてのちも、決して、終わらない仕事だ。